平成19年1月 第2257号(1月1日) 2007年新春特別号
■2007年―年頭所感
ビジョンなき教育からの離脱
世界と日本、視界の狭い航海が続いています。そのような中、新しい年を迎えました。時代や社会はどう移り変わるのか。人はどう思索し、行動するのか。答えが容易に見つからない問いは増えるばかりです。
自分勝手な理屈で犯罪に走る若者が後を絶たず、独善を極めた拝金主義の広がりも懸念され、いじめ、児童虐待など、子どもと教育を巡る事件が頻発する中、教育の憲法ともいうべき教育基本法が一九四七年の制定以来、初めて改正されました。教育界のみならず、日本社会全体に及ぼす影響は計り知れないほど大きいと思われます。
新しい二〇〇七年は、「優しい心を蘇らせる教育」が今までにも増して必要だと私は考えています。高等教育機関といえども、教え育てるという原点にもう一度立ち返り、教育に工夫を重ねる必要があります。教育に携わる私たち自ら、それぞれの建学の精神に基づく高い志を掲げ、より人間性が重んじられる社会実現のために汗をかいていかなければなりません。そのためには国家間をはじめ、すべての物事を対決的に捉えたり、合理性や利潤の追求ばかりに突っ走ってきた二十世紀思考とはいったん決別し、少し距離を置いて考えてみる必要があるのではないかと思っています。
このような社会状況の中、私立大学は問題や課題が山積し、国立大学の法人化等にも伴い、「競争」の意識が過度に強くなっているように思われます。日本の高等教育はどうあるべきかというビジョンを欠いたまま、勝ち組になるための方策だけを志向したり、財政削減の観点からの改革が進められ、その結果として、お金がすべてという風潮が広まるとともに、目先の教育・研究に流され、本来の私学教育の衰退を招きつつあるのではないかと懸念しています。
私立大学の因って来たるところは、それぞれの「建学の精神」にあります。ビジョンは「建学の精神」の延長線上に位置するものでなければなりません。今一度、自らの原点である「建学の精神」に立ち返り、どうあるべきかといったビジョンを構築し、数十年先に花咲くような本来の教育、すなわち「優しい心を蘇らせる教育」に取り組んでいくことこそ、私学人のミッションであると私は思います。
新しい教育の幕開けを期し、皆様方のご多幸を心よりお祈り申し上げます。