平成18年11月 第2252号(11月1日)
■人工衛星開発物語
北海道初の打ち上げへの秘話
北海道工業大学(西 安信学長)の佐鳥 新助教授らは、去る九月二十三日、北海道初の人工衛星の打ち上げに成功した。開発から打ち上げまでの奮闘について、佐鳥教授に寄稿いただいた。
重量二・七kg、大きさが一二cm×一二cm×一二cmという非常に小さいものの、しかし、北海道初の超小型人工衛星『HIT―SAT(ヒット・サット)』の開発は、平成十七年四月末頃にM―V(ミュー・ファイブ)ロケット7号機に重量五kg以内のサブペイロード(相乗り衛星)の募集に採択された時から、北海道工業大学(道工大)・北海道大学(北大)の学生を含む約二〇名のメンバーによりスタートした。
当然であるが、宇宙開発の現場では、学生だからという甘えは通用しない。M―V搭載が決定したとき、私は会議の冒頭で「自信のない人は今回は辞退して欲しい」と言った。しかし、学生とはいえ、ハイブリッドロケットで空缶衛星(カンサット)を打ち上げた経験のあるメンバーだけあって、私の言葉に怯む者はいなかった。これがHIT―SAT開発のキック・オフだった。HIT―SATの通信系を含む回路全般及び地上局を道工大が、姿勢制御系と熱・構造設計および分離機構の開発を北大が担当することになった。
最初に作ったのが、ブレッド・ボード・モデル(BBM)といって、人工衛星と同一の機能を持つ模型であった。BBMでは電子基板やセンサー類をテーブルの上に全部並べ、パソコンから送ったコマンドで設計通り作動するかどうかを評価した。設計会議では午前一〇時から夜一一時過ぎまで激論が続いた。
次は、技術モデル(EM)といって、一二cm立方の構体に収めたモデルを製作した。回路設計や基板設計も、製品並みの品質が要求される。EMからはロケットの打ち上げ環境試験(ランダム振動試験、低周波衝撃試験、高周波衝撃試験)で、壊れないことが審査基準となる。道工大で製作した回路基板を、夕方に北大へ持ち込んで徹夜で衛星構体に組み込み、翌朝には道立工業試験場で約二〇Gの加速度でガタガタと強烈な振動を加える。コネクタの剥離など回路の破損などもあり、その度に品質管理と組み立て作業の工程管理のチェック体制が改善されていった。開発メンバーは研究室に週五〜六日は泊まり込んで頑張った。
平成十八年四月からは、相模原のJAXA宇宙科学研究本部で、ロケットとの噛み合わせ試験が三週間にわたり実施された。フライトモデル(FM)の開発からは衛星の組み立て及び試験は、全てクリーンルーム内で行うことになった。FMの全動作確認試験と運用プログラムの実装作業は、第二組オペと呼ばれる射場作業の直前まで続いた。赤平の植松電機でHIT―SATの真空試験を実施し、先発隊が九月三日に、FMを内之浦宇宙空間観測所へ搬入した。
そして、平成十八年九月二十三日、内之浦から定刻通りにM―Vロケットが打ち上げられた。主衛星分離後の六時五〇分に宇宙空間に放出され、日本時間七時四二分にHIT―SATからのCW(モールス信号によるコールサイン)を受信したという第一報がフロリダのアマチュア無線家から入った。一五時三六分には、道工大の地上局でもHIT―SATからの強いCW信号を受信。AMSATからはアマチュア無線の世界では特別な意味を持つ「59」の付いた「HO―59」を付与され、国際的にもアマチュア無線衛星として正式に認可された。僅か二・七kgの小さな衛星であるが、HIT―SATの成功は北海道新聞のトップ記事に取り上げられ、道民に大きな夢と希望を提供することができた。