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アルカディア学報

No.92

中国の高等教育―世界を見据えた大学改革 (上)

私学高等教育研究所研究員  船戸 高樹

中国の高等教育に今、改革の波が押し寄せている。
《文革後の拡充政策》
 筆者が初めて中国を訪れたのは、国交回復2年後の74年7月。悪名高い4人組が権力を振るっていた文化大革命の末期である。約10年にわたって中国全土をおおった文革の嵐が、教育界に及ぼした影響は、計り知れない。
 白紙の答案を出した学生が"反潮流"の英雄としてもてはやされ、教師を批判した小学生が教育改革のモデルとなるなど、異常なケースが続出していた。訪れた清華大学のキャンパスは、人影もまばら。1000人以上の教師は、ほとんどが「勤労による再教育」の名のもとに農村に下放され、学生は募集停止となっていた。「知識が深ければ深いほど、反動分子である」とか「技術を身に付ければ堕落する」といったスローガンのもとに教育が破壊され、踏みにじられた時代である。
 文革後、中央政府は教育機関の再建を重点目標として取り組み、特に高等教育機関については、既存の大学の整備とともに、人材養成の観点から各地に大学を新増設する"拡充政策"を取った。この結果、85年には4年制の本科大学とわが国の短大に相当する2~3年制の専科大学、合わせて450校だったものが、90年代初頭には1000校を超えるまでに倍増した。世界銀行のレポートによれば、発展途上にある国の経済成長と教育の普及度には密接な関係があると指摘されており、特に高等教育については科学技術開発や経営革新に対する波及効果を通じて経済成長に貢献する、と述べている。
 もちろん、経済成長が高等教育の普及率のみで達成できるわけではない。それには、資源配分の効率を高めることで、成長を実現するという一連の経済政策が不可欠である。具体的には、国有企業の民営化、価格・金利規制の緩和や不必要な政府介入を排除することによって、市場メカニズムをダイナミックに機能させるような規制緩和政策である。また、対外的には貿易の自由化や資本移動の規制を緩和することによって輸出主導型の経済政策を導入することがあげられる。
 WTOへの加盟が実現した中国は、名実共に世界経済を担う一員としての地位を確立したといえるが、このような状況を作り出した要因は、国の経済政策と共に80年代の"大学拡充政策"によって養成された人的資本の充実が大きな力になっているといえよう。現在、進行している大学改革は、文革後の改革に次ぐ2度目の大改革であるが、前回が"拡充"を重視した政策であったのに比べ、今回は"質の強化"を基本に据えたことが特徴である。
《質の維持を重視》
 中国政府教育部が掲げている改革の柱は、3つある。
 1つ目は、世界の高等教育に通用するための大学を目指した質の充実・強化。2つ目は、既存の大学の統廃合による制度改革。3つ目は、高等教育に対する需要に応える定員増である。
 改革の理念について前教育部副部長の韋■(注)博士は、「国際化が進む中でわが国がさらに発展していくためには、高等教育の改革は欠かせない。その中で、最も重視していくことは質の維持、向上である。教育の質は、大学の命であり、これについては妥協の余地はない」と力強く語った。その上で「制度の改革や大学進学希望者の増加に応える政策を取り入れることも重要な面があるが、それらは時代と共に変化する。しかし、どのような環境になっても質を維持することが、我々に課せられた使命である」という。
 質を維持するために、まず取り組んだのが、既存大学の統合である。中国の高等教育機関は、これまで教育部が直接管理する大学のほかに、鉄道部や衛生部などの政府部局が設置している大学と省などの地方政府所管の大学の3本立てであった。この中で、特に問題となったのは政府部局設置の大学である。発展段階の時代には、このような大学は各部局にとって専門的な教育を受けた人材を確保するのに優位に働いたが、設置母体の性格からみても大学というより専門学校的にならざるを得ない。
 このため政府は、「部局設置の大学は、先進国の教育システムにはない特異な形態であり、世界に通用する高等教育制度にすることと、大学の質に統一性を持たせるため」という理由で、これらの大学を教育部所管の大学に合併・再編する制度改革を行った。ところが、このことで新たな問題が持ち上がった。一つは、教員の質である。教育部のコントロールが効かなかったため、部局設置の大学教員は特に研究面で劣っているケースが多い。引き受けた大学にしても、いきなり退職を勧告するわけにもいかないため、取りあえず講義からはずし、学内の教育研究センターに在籍させて研究に専念させる措置を取っている。
 もう一つは、待遇面である。潤沢な予算を持っていた部局所管の大学の教員給与も教育部所管の大学教員の給与水準より高い。講義もできない教員が高い給与を取っていたのでは、他の教員から不満の声が沸き起こる。このため、各大学はそのような教員の給与を凍結し、他の教員と同じレベルになるまで昇給を停止しているという。
 もっとも、韋博士によると、教育部所管の大学でも教員の質が問題になっているという。その理由は、定員が増え、学生数が増加したことによって教員の数も増えたため、教育や研究面で十分な資質を備えていない教員が生まれているからだ。「いかにして教員の質を高めていくか―これが今、我々の直面している最大のテーマである。大学の活力は、質の高い教員集団がいて、初めて実現するからだ」と博士は強調する。
《評価システムを導入》
 多くの問題を抱えながらも、制度改革で統合に踏み切った政府は、全国の大学の中から100大学を選び、重点的に予算を配分して、質の高い大学を構築するための「211プロジェクト」(21世紀に100の大学を重点整備するの意)を展開している。それでは、これらのプロジェクト対象の大学を含め、今後中国の高等教育機関は、具体的にどのようにして質を充実させ、強化しようとしているのか。
 これについて、韋博士は「基本的には、各大学が高等教育の質を高めるために強い意志を持って、たゆまない努力を続けることだ。その上で、我々としては、個々の大学の質の評価をする機関を設けることにしている。現在、中国では一部の分野についての評価をすることはあるが、まだ大学全体を対象とした機関評価のシステムはない。教育部の教育研究センターが中心となって取り組んでおり、近く公表することにしている」と語っている。
 大学改革が遅々として進まないわが国の状況に比べ、国家体制の違いがあるとはいえ、中国の高等教育は世界を見据え、力強く踏み出している。
(つづく)
注:漢字は金偏に玉