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アルカディア学報

No.83

変革への道程―オンライン教育と大学(上)

カーネギー財団 上級研究員・同知識メディア研究所ディレクター  飯吉 透

 先日、コロラド州デンバー市で行われた教育メディア関連の国際学会で、日本の若手研究者グループと夕食を共にする機会があった。ある国立大学で、日本国内としては先駆的に、授業のオンライン化を進めているグループだ。話題の中心になったのは、「日本では、これまで社会人に対し大学が広く門戸を開いてこなかったため、現時点で、大学がオンライン教育を大規模に推進していくための基盤が脆弱だ」ということと、もう一つは、「日本の大学が、制度や人材などの点において、オンライン教育を受け入れられる態勢を整えていない」ということだった。
 私は、前者については、日本の大学におけるオンライン教育の普及にとって、それ程大きな弊害になるとは思わない。勿論、アメリカの高等教育界が長年に亘って築き上げてきた「社会人教育のためのシステム」が、オンライン・テクノロジーの支援を得て、飛躍的に進化しているのは確かだ。一方、日本では、オンライン・テクノロジーが登場したことで、大学が社会人教育に真剣に取り組むきっかけとなりそうな気配が感じられる。
 テクノロジーと社会の変革の因果関係については、「デマンド・プル(Demand-Pull)」と「テクノロジー・プッシュ(Technology-Push)」という2つの考え方がある。「デマンド・プル」は、「すでに社会に存在しているニーズが、新しいテクノロジーによって満たされることを通して、社会の変革が進められる」ことであり、他方の「テクノロジー・プッシュ」とは、「ある新しい技術が誕生したことによって新たな可能性が生じ、その結果として社会の変革が促されること」を指す。
 アメリカの高等教育におけるオンライン教育の普及は、明らかに「デマンド・プル」の典型的な例であり、日本の場合は、オンライン・テクノロジーによる「テクノロジー・プッシュ」によって、社会人教育が発展する可能性がある。それと同時に、学生の確保に苦しむ日本の大学が、「社会人を『学生市場』として開拓しなければならない」というニーズを、オンライン・テクノロジーによって満たそうとする「デマンド・プル」の側面もまた見過ごせない。いずれにしても、日本の高等教育において、「オンライン教育」と「社会人教育」の双方が、二人三脚で今後発展していけるのであれば、相乗的な効果が期待できるという点で、好ましいことと言える。
 しかし、もう一方の「日本の大学が、制度や人材などの点において、オンライン教育を受け入れられる態勢を整えていない」という問題は、かなり深刻である。新しいテクノロジーは、ともすれば「一日にして成る」ことが可能だが、高等教育機関において、制度を改変し、人材を育成するのは、時間と忍耐を要するからだ。
 例えば、ある大学が、オンライン教育システム(アメリカでは、一般的にラーニング・マネージメント・システム:LMSと呼ばれている)を導入したからといって、すぐにオンライン教育を提供し始められる訳ではない。まず各教員は、これまで自分たちが講義で使ってきた教材を、オンライン上に「再構築」する仕事から取りかからなくてはならないが、多くの日本の大学の場合、まずここで「挫折」を余儀なくされるだろう。この過程において、教員を支援する体制が整備されていないからだ。アメリカの大学には、「Office of Instructional Technology」や「Office of Instructional Design」というような、教育メディアやテクノロジー、授業・教材設計のサポートをしてくれる部署がある。中には、各学部ごとにこのようなサポート部署が設置されている恵まれた大学すら存在する。このような部署では、技術スタッフの他に、授業・教材設計の専門家(教育学修士レベルのトレーニングを受けている者も多い)を擁しており、「講義へのテクノロジーの効果的な導入」や「メディアを利用した教材の開発」を幅広く支援することを業務としている。
 現在の日本の大学の多くは、教員に対するこのようなサービスを提供する部署が、ごく手薄か、またはほとんど設けられていないのが実状だ。また、仮にこのような部署を作ろうとしても、適した人材を国内で探し出すことも容易ではないだろう。今後、高等教育におけるオンライン教育やテクノロジー利用を推進していくためには、このような大学における教員の支援体制を整え、そのための人材を育成することが、大学のアドミニストレーションにとって急務である。
 さらにアメリカでは、オンライン教育を始めとするテクノロジーの積極的な導入によって高等教育システムの改善を促進するため、各大学の利害を越えた協力も行われている。例えば、アメリカ高等教育学会(AAHE)から派生した非営利機関である「Teaching, Learning, and Technology Group」(TLTG)は、これまで500以上の大学に対し、テクノロジーの効果的導入やその評価に関するアドバイスやコンサルティングを行ってきた。TLTGの中核メンバーは、各々の大学のキャンパスにおいて、テクノロジーの効果的導入に成功した経験を持つ教員やアドミニストレーターによって構成されている。彼らの仕事は、他の大学からの依頼に応じ、講演やワークショップの実施、ミーティングへの参加などを通じて、「テクノロジー導入による大学の変革」を成功に導くことだ。
 アメリカの高等教育界における、まさに「草の根」的と言えるこのような協力体制は、一部の有力な研究大学に集中的な助成を行っている日本の「弱肉強食」的な教育政策とは、実に対照的と言える。そこには、高等教育界を「エコ・システム」と見なし、各大学が切磋琢磨しながら共存共栄できる環境を育てよう、という姿勢が見られる。
 オンライン教育を推進する上で、もう1つの大きな課題は、オンライン教育に対する知識と技能を、個々の大学教員にどのように習得させるかだ。大学は、ワークショップなどを通じて、教員に、効果的なオンライン教育を実践するための研修を行う必要がある。アメリカでは、比較的大きな大学であれば、このようなワークショップを提供できる部署を学内に持っているが、そうでない場合には、外部の教育コンサルタントやラーニング・マネージメント・システムの販売やサポートを行っている企業に、有料サービスとして依頼しなければならない。当然のことながら、大学や学部は、これらの歳費を年度予算に組み込んでいる。これなども、現在の日本の大学では、想像し難いことだろう。
 このような教員に対する研修は、「オンライン教育を実践するために、ラーニング・マネージメント・システムをどのように使うかを学ぶ」というような、単なる技能習得中心の内容では不十分だ。例えば、先日、アメリカの高等教育専門紙「The  Chronicle of Higher Education」に、「The 24-Hour Professor」と題し、「オンライン講義が、如何に大学教員の役割や教授法、生活までもを変えてしまうか」をレポートした記事が掲載された。示唆に富むその内容をごく簡単にまとめれば、オンライン講義は、教員にとって「両刃の剣」であり、効果的に行えば、通常の教室での講義以上に、個々の学生の理解や学習意欲を高めることが可能な一方、ややもすれば、教員がオンライン上で個々の学生に細かに対応しようとして「1日24時間」振り回されることにもなりかねない、というものだ。つまり、オンライン教育を効果的に実践するためには、個々の教員が、「新しいテクノロジー」だけでなく「新しい教授法」を学ぶことが必須なのである。
 「大学へのオンライン教育の導入」を唱えるのは容易だが、このように単に制度や人材という観点からだけ見ても、その成功への道程は、決して短くも平坦でもない。次回は、オンライン教育の評価の問題について、アクレディテーションの観点から取り上げる。