アルカディア学報
岐路に立つ私立大学の資産運用
―文科省・経産省がガイドブックを公表
少子化による18歳人口の減少、物価上昇の継続、そして社会からの説明責任の高まり――。私立大学の経営環境は、かつてないほど大きな変化にさらされている。
こうした中、文部科学省・経済産業省は2025年10月、「大学の資産運用の在り方に関する研究会」(座長=川崎成一)を発足させ、大学における資産運用の在り方について検討を重ねてきた。このほど報告書がまとめられ、あわせて実務的な手引きとなる「大学の資産運用の促進・高度化に向けたガイドブック」が公表される運びとなった。
全国の私立大学における資産運用のスタンスは様々だが、両者はいずれも一律の運用手法を推奨するものではなく、各大学が自律的かつ責任ある判断を行うための材料と論点整理を提供することに主眼が置かれている。
学生生徒等納付金への依存という構造的な脆弱性
私立大学の収入構造を見ると、学生生徒等納付金が収入の約8割を占めるという特徴がある。これは、学部学生の約8割の教育を担う私立大学にとって、経営の安定が学生数の確保に直結してきたことを意味する。ところが、2040年には大学進学者数が現在と比べて3割近く減少するとの推計もあり、従来型の収入構造だけに依存し続けることのリスクは年々高まっている。報告書は、こうした状況を踏まえ、資産運用等を通じた財源の多様化を「急務」と位置付けた。
併せて見過ごせないのが、世界的なインフレ圧力と金利上昇局面という足元のマクロ環境である。多くの大学で中心となってきた「預金・債券中心」の運用は、名目上の元本を守ることはできても、物価上昇率を差し引いた実質的な資産価値の目減りを防ぐことは難しい。かつて平成21年に文部科学省が発出した通知(「学校法人における資産運用について(通知)」平成21年1月6日付け20高私参第7号)は、デフレ環境下で元本毀損の回避を主眼としたものであったが、インフレが常態化しつつある現在においては、その前提自体が変わりつつあるといえよう。
もっとも、今回の報告書やガイドブックが強調するのは、資産運用を性急に推し進めることではない。むしろ、実務経験の乏しい大学関係者が、何から手を付ければよいのか分からないまま思考停止に陥っている現状にこそ目を向けている。理事会が運用の障壁となっているケースがある一方で、逆にトップダウンの決定に現場が反発する事例も指摘されており、大学ごとに直面する課題は一様ではない。
中でも根強いのが、善管注意義務違反への懸念から運用に踏み出せないという心理的なハードルである。この点についてガイドブックは、善管注意義務違反は損失という結果のみで判断されるものではなく、適切なガバナンス体制のもとでの意思決定プロセスや内容の合理性等をもとに総合的に判断されるものであるとし、理事が適切な役割を果たしていれば、運用の結果として損失が生じたこと自体をもって責任を問われるものではないとの考え方を明記した。実務上の不安を和らげ、検討の土俵に乗るための一歩を後押しする狙いがある。
検討すべき事項を整理した実務の手引き
ガイドブックの特徴は、大学が資産運用を行うにあたって、検討すべき事項を段階的に整理している点にある。まず出発点となるのが、「何のために資産運用を行うのか」という運用目的の明確化である。施設更新への備え、奨学金原資の安定確保、インフレ下での購買力維持など、各大学の使命や将来構想に応じて目的は多様であってよいが、これを理事長のリーダーシップのもとで理事会として責任を持って定め、関係者間で共有することが出発点になるとされる。
運用目的が定まれば、次に目指すべきリターン水準やリスク許容度を示す「運用目標」、そして基本ポートフォリオや外部委託の在り方などを定める「運用方針」へと具体化していく。ここでガイドブックが繰り返し強調するのが、単年度の損益に一喜一憂せず、インカムゲインとキャピタルゲイン・ロス、評価損益を合算した「トータル・リターン」を中長期的な視点で把握することの重要性である。大学の資産は本来、永続的な教育研究活動を支えるものであり、短期的な運用成績によって運営方針が左右されるべきではないという考え方が根底にある。
また、実務的な論点として研究会が特に議論を重ねたのが、債券中心の運用からの移行である。債券は満期まで保有すれば額面での償還が見込める安全資産である一方、金利上昇局面では評価損が生じやすく、実現損を避けるために身動きが取りづらくなるという課題が指摘されてきた。研究会では、1970年代のインフレを契機に、米国の大学基金が債券中心の運用から、徐々に株式、さらにはオルタナティブ資産を含む分散型ポートフォリオへと段階的に移行してきた歴史も参考事例として共有された。
そして、ガイドブックは、こうした資本市場を活用した運用について、大学を設置する法人が非営利法人であると同時に資本主義社会の一員であり、投資を通じて資本市場の活性化や産業・技術のイノベーションにも資する存在であるとの位置付けも示している。長期的な時間軸で見れば、企業の利益成長とともに株式市場全体の価値が上昇してきたという歴史的傾向があることも紹介されており、永続的な主体である大学にとって、株式をはじめとするリスク性資産が、相応の分散のもとでポートフォリオの中核となり得る資産の一つであるとの見方が示されている。もちろん、価格変動リスクを伴う以上、資産・銘柄・地域・投資時期を分散させ、大学の身の丈に応じた段階的な取り組みを図ることが前提となる。
問われるのは"自校に合った答え"
もっとも、多くの大学が直面するのは、運用を担う専門人材の不足という現実的な制約である。この点についてガイドブックは、必ずしも各大学が単独で高度な専門人材を抱えることを前提とせず、CIO(Chief Investment Officer)や外部専門人材の登用に加え、OCIO(Outsourced Chief Investment Officer)の活用や、複数大学による共同運用といった多様な対応の在り方を示した。共同運用については、スケールメリットを享受できるだけでなく、責任が分散されることで運用に踏み出す心理的ハードルが下がるとの指摘もあり、小規模・中堅規模の大学にとっては現実的な選択肢となり得る。
併せて、時価情報の開示充実など、透明性向上に向けた取り組みの必要性も盛り込まれた。現行の学校法人会計基準は簿価会計を基本としており、評価損益が財務諸表に反映されにくいことが、合理的なポートフォリオ運営を妨げる一因になっているとの指摘も研究会ではなされている。他方、研究会及びガイドブックが繰り返し強調しているのは、あらゆる大学に画一的な運用手法を当てはめることの危うさである。資産運用を行うか否か、どの程度のリスクを取るかは、各法人の使命や財務体力、ガバナンス体制の成熟度に応じて判断されるべき事柄であり、報告書とガイドブックは、あくまでその判断を下すための共通の視座と論点を整理したものにすぎない。
とはいえ、進学者数の減少という構造変化と、資産価値の実質的な目減りをもたらしかねないインフレという2つの逆風を前に、財源の多様化を検討課題として先送りし続けることのできる猶予は、決して大きくない。まずは理事会において、自校の資産がどのような目的のもとで管理されているのか、現状を点検することから始めてみてはどうだろうか。今回のガイドブックは、そうした最初の一歩を後押しする材料として、多くの大学関係者に活用されることが期待される。
