アルカディア学報
一人歩きする評価―IMD世界競争力白書にみる
評価の時代の今日では、格付けやランキングが盛んである。つい最近も、一民間評価会社が日本の国債の格付けを引き下げ、財務省が反論するという騒ぎになった。マスメディアはセンセーショナルにとりあげ、経済大国の日本が発展途上国なみに扱われたと報じた。格付け会社の評価者の方では、我々は日本を途上国なみと決めつけたわけではない。政府の負債残高が大きいためにたまたまこのような結果となったまでだと弁明していた。しかし評価の怖さとは、評価者の意図に関わりなく、ひとつの評価結果があたかもその国全体の総合評価であるかのごとくみなされてしまうということである。まさに評価とは現代の妖怪である。
スイスの経営開発国際研究所(IMD)が毎年発表する「世界競争力白書」(World Competitiveness Yearbook)が、今年もまた公表された(2002年度版=写真下。昨年度の同白書については、弊紙の01年8月1日付け、アルカディア学報44で報告している)。日本でもさっそくマスメディアが一斉に取り上げている。報道によれば日本の潜在的成長力は、49か国中21位、企業の国際競争力は八位であったとして、日本の低落ぶりを表すものだとして、盛んに話題を呼んだ.(例えば、日本経済新聞、27年4月17日付け、「データで読む日本の競争力」)。
新着の「世界競争力白書」には、日本の競争力の強い指標と弱い指標との対照表が載っている。
これによると、通貨準備高、特許認定件数、企業の研究開発人材数、全国規模の研究開発人材数、研究開発支出額、外国特許の取得件数、ハイテク技術輸出、1人あたり研究開発費総額、国民総生産(GDP)等々の分野において、日本は世界の1位ないし2位にランク付けられている。
注目すべきは、高等教育の達成度において、日本が2位に位置付けられていることである。これは25歳~34歳の人口中に占める高等教育を受けた人の比率(45.0%)で、高等教育の普及度において抜きん出ていることを示している。この比率は、1999年度のデータによれば、一位のカナダ(47.0%)に次ぎ、3位のアメリカ合衆国(38.0%)、フィンランド(38.0%)を凌いでいる。つまり量的にみて、日本の高等教育の大衆化は世界で最も発展した段階にある、ということになるわけだ。
一方、日本が世界で最も低いランク付けをされているのは、生活コスト、法人税率の高さ、インターネットのコスト、中央政府の赤字・負債、貿易収支の不均衡、実質経済成長率等々で、それぞれ30位から49位までの、世界の最低順位に位置付けられている。
特に問題なのは、教育への公財政支出のGDPに占める比率が43位(3.6%)と、世界で最も下位のグループにランクされていることである。正確な算定結果であるか否かは別として、この数字は、2000年の時点で、39位のインド(3.9%)、41位のトルコ(3.8%)、42位の韓国(3.7%)よりも低い順位となっている。つまり日本の教育は量的には普及しているが、その割に公費の投資が少なく、安上がりな制度になっているということになりそうだ。
しかしここで最も問題とされるのは、教育の質の面における評価である。このような定性的評価は数値で表現することが困難なため、IMDでは各国の経営者やエグゼクティブにアンケート調査で評価を依頼している。例えば、「大学教育は市場経済の競争的環境の求める必要性に適応しているか」という設問に対して、六段階評価で答えてもらうわけである。筆者の問い合わせに対するIMDからの回答によれば、日本に最低1年以上居移住している経営者(約90%が日本人)131人より回答があり(回収率約14%)、これに肯定的な回答をした人の比率は2.5%であったという。この数字は、49か国中49位であったという。ちなみに肯定的回答の最も高かったのはフィンランド(8.86%、1位)、ついでカナダ(8.04%、2位)、アイルランド(8.04%、2位)、イスラエル(8.00%、3位)、アメリカ(7.98%、5位)であった。
また下位国では日本のすぐ上はインドネシア(3.05%、48位)、ルクセンブルグ(3.44%、47位)、ギリシャ(3.88%、46位)となっている。
この49か国中の最下位であったとされるデータはメディアによって増幅されて報道され、産業人や政治家によっても問題とされて、日本の大学の質の低さに対する証拠のように喧伝されている。しかし、ここでこの設問に答えたのは、日本に最近1年以上居住している主として日本人の経営者であって、回答者数はわずか130人に過ぎないということである。この数が日本の大学教育に関する意見を代表しているかどうかは調査技術的にも大いに疑問がある。言いかえれば日本の大学教育に対して否定的な評価をしているのは、日本人なのであり、必ずしも国際的に定まった客観性のある評価とはいえないのである。
以前から繰り返し指摘してきたところだが、マスメディアも学界も政治家も、このようなランキングが発表されるとその根拠を疑うことなく、また確認もせず、オウム返しのように大学バッシングに利用する傾向があるのは、たいへん困った現象である。
ランキングや格付けは現代の情報社会では避け得ない現象である。こういう時代にこそ、大学関係者とりわけ研究者は、いたずらに情報に躍らされることなく、評価の在り方を研究し、その成果を世間に示していくべきではないか。