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アルカディア学報

No.813

なぜ私学助成は「2分の1」か
忘れられた「3分の1負担論」の系譜

研究員 山崎慎一(桜美林大学グローバル・コミュニケーション学群准教授)

 私立大学の経営危機が語られるとき、必ずといってよいほど取り上げられるのが「私立学校振興助成法第4条に掲げられた2分の1助成は、なぜ実現しないのか」という問いである。少子化による定員割れ、地方私大の閉校、学納金依存の限界――こうした状況のもとで、「国はどこまで私学の経常経費を負担すべきか」という問題は、もはや一部関係者だけの専門的争点ではなく、地域の高等教育と社会の持続可能性に関わる公共的課題となっている。条文上は「2分の1以内の補助」が可能であるのに、なぜ現実はそこから遠いのか。そのギャップの由来を問うことは、現在の大学再編や「私大淘汰」論を考えるうえでも避けて通れない。
 この問いを解く一つの鍵が、戦後日本の私学助成政策史において一定の役割を果たしてきた「3分の1負担論」という理念である。これは、戦後の国会審議において、どのように立ち上がり、その後「2分の1助成」という今日よく知られた目標に道を譲りながらも、議論の背後で生き続けてきたのか。財政制度そのものの変遷ではなく、それを正当化し方向づけてきた「言葉」の歩みをたどることで、現在の私学助成をめぐる議論の前提を問い直すことができるのではないか――それが本稿の問題意識である。
「3分の1負担論」とは、教育経費を国、学生・保護者(授業料)、社会(寄付金・募金等)がそれぞれ3分の1ずつ負担するべきだとする構想である。高度経済成長期以降、父母負担の限界が意識されるなかで、文部政務次官や文部大臣、私学団体の代表などが国会の場で繰り返し言及した理念であり、私学助成の望ましい姿をめぐる一つの規範的モデルとして機能してきた。私学は単なる「公教育の補完」ではなく、自ら公共性を担う主体である。その公共性を財政面から支えるためには、国だけでなく、受益者と社会を含む三者による費用分担が必要であるという発想が、「3分の1」というわかりやすい数値に託されていたと言える。
 しかし、国会会議録を丁寧に読み解いていくと、「3分の1負担論」は固定的なスローガンではなく、時期によって異なる意味をまといながら用いられてきたことが明らかになる。戦後初期の「形成期」には、まず憲法89条との関係で私学助成の合憲性や、公教育としての位置づけを確認する議論が中心であり、この段階では比率の議論はまだ前面化していない。むしろ、国家が「私立」にどこまで関与しうるのかという原理的な線引きが問われていたと言える(参院文教委:1949・1952及び衆院文教委:1952:1963)。
 ところが1960年代半ば以降の「転換期」になると、急速な大学進学率の上昇と、それを実際に担っているのが私立大学であるという現実が、政治の側にも強く意識されるようになる。経常費への本格的な国庫補助を構想するうえで、「国・授業料・寄付金で3分の1ずつ負担する」というモデルが、国会の場で明示的に語られるようになり、負担の「公平さ」や「教育機会の拡大」がキーワードとして前面に出てくる(参院文教委:1964,1970,1975等)。比率は単なる技術的な数字ではなく、「父兄負担の限界」を訴え、「高等教育への公的責任」を主張するための説得の論理として活用されていったのである。
 興味深いのは、1980年代半ば以降の「再編期」である。この時期になると、議論の焦点は「誰がどれだけ負担すべきか」という理念論から、「経常費補助をどの水準まで高めるのか」という水準論へと移行する(参院文教委:1985)。いわゆる「経常費の2分の1助成」という目標が前面に出る一方、「3分の1負担論」という言葉そのものは、国会審議において次第に姿を消していく。
 ただし、だからといって理念が完全に消滅したわけではない。国・学生・社会が費用を分かち合うべきだとする負担観そのものは、暗黙の前提として残存し、その上に「2分の1助成」構想が積み上げられていったと考えられる(衆院文教委員会:1993)。
 言い換えれば、「2分の1助成」の背後には、かつての「3分の1負担論」が薄く影を落としているのである。
 このように、「3分の1」や「2分の1」といった数値の背後には、高等教育の公共性と費用分担をめぐる社会の意識が折り重なっている。にもかかわらず、これまでの私学助成研究の中心は、文部省・財政当局・私学団体の力学や制度改正のプロセスに焦点を当てた政治過程の分析であり、「3分の1」「2分の1」といった比率をめぐる国会での言説そのものを正面から扱った研究は決して多くない。なぜ2分の1助成が掲げられ続けるのか、その背後にどのような歴史的負担観が潜んでいるのか、という問いは、なお掘り下げる余地を残してきたと言える。比率の言説史をたどることは、数字の裏にある価値観の変遷を照らし出す試みでもある。
 今日、私学助成の水準が十分ではないこと自体は、私学関係者にとって自明である。しかし、その主張を社会全体に対して説得的に発信するには、「私学は公共的役割を担っているから、もっと国費を投入せよ」という一点張りでは不十分であろう。むしろ、戦後の国会で蓄積されてきた「3分の1負担論」のような多元的な費用分担の構想を掘り起こし、国・学生・地域・企業など多様な主体が関与する新たな支援モデルをどう描くかが問われている。自己責任論が強まりがちな現在だからこそ、「誰が、どこまで負担するのか」という問いを歴史的文脈に置き直し、高等教育を社会全体で支えるための想像力を取り戻す必要があるのではないか。
 各大学の現場では、学費値上げや奨学金制度、授業料減免、公費助成のあり方をめぐる議論や調整に日々直面しているだろう。そうした実務的課題と、国会という「遠い場」で積み重ねられてきた言説の歴史とは、本来切り離されたものではない。現場の実感と政策言説の歴史を往復しながら、これからの高等教育財政の構図を構想していくことこそ、私たちに求められている作業であろう。
 本稿が、そのための視座の一端を提供し、各現場での議論を深めるきっかけとなれば幸いである。