アルカディア学報
アメリカ大学スポーツの光と影
NCAAの現状と課題 (上)
アメリカの大学スポーツにおけるホット・トピックとして2025年2月にワシントンのケネディ・センターで開催されたACE(米国教育評議会)年次総会のセッションで細かに解説するものがあったので紹介したい。
ご存じの通り、アメリカの大学スポーツは三大プロスポーツ(NFL/MLB/NBA)に匹敵するとまではいかないが、日本のプロスポーツ(プロ野球やJリーグ)に比べて遥かに高額の金が動く世界である。もちろん全ての大学スポーツ競技で巨額の資金が動くわけではないが、大学スポーツの二大競技と呼ばれるアメリカンフットボール(アメフト)とバスケットボール(バスケ)はそれぞれ「カレッジ・フットボール(NCAA Football/College Football)」と「カレッジ・バスケットボール(NCAA Basketballl/College Basket ball)」 と呼ばれてかなりの試合数がテレビで生中継され、視聴率もプロに匹敵する高さで知られている。
アメリカのプロスポーツの中でも圧倒的な人気を誇るのがNFLと呼ばれるアメフトのプロリーグで、1試合の平均観客数は6万人超で世界最多だと言われている。そのNFLに進路として直結するのがカレッジ・フットボールであり、こちらの平均観客数はプロを遥かに凌ぐ数字である。余り知られていないが、全米のスタジアムの観客収容人数ランキングを見ると、何と1位から14位までが全てカレッジ・フットボールのスタジアムで占められている(上位8スタジアムは10万人以上収容可能)。
バスケはほぼ全てのNCAA加盟大学にチームがあるスポーツであり、高校生の目ぼしい選手のスカウト競争は熾烈を極める。バスケには全米大学選手権が1939年から存在し、NCAAトーナメント(別名マーチ・マッドネス)と呼ばれている。全米の350校を超える1部リーグ加盟大学からランキング上位68校が3月中旬に選考され、全米4か所で1回戦~準々決勝(5回戦)が順次行われる。準決勝以降は「Final Four(ファイナル4)」と呼ばれてNBAチームの大規模アリーナで行われる大会になっており、さながら「アメリカ版甲子園」と呼んでも差し支えない規模の全国大会である。このNCAAトーナメントが行われる1か月間は全試合が生中継されて全米のスポーツファンがテレビに釘付けになることから、別名「マーチ・マッドネス(3月の狂騒)」と呼ばれている所以でもある。今年のACE年次総会で講師として登壇したのは2019年のNCAAトーナメントで優勝したヴァージニア大学(UVA)の監督を当時務めたトニー・ベネット氏で、アメリカの大学スポーツが抱えている問題点について解説がされた。
① 男女平等の義務
最初のハードルは、「各大学における男女平等の義務」という部分である。これはいわゆる「スポーツにおける男女平等」を推進するための施策としてかなり以前から導入されていた。男女両方が行うメジャー競技としてはバスケ、サッカー、バレーボール、陸上、水泳などが存在するが、男子のみの競技としてメジャーなのがアメフトと野球である。これに対してメジャーな女子競技はソフトボールぐらいである。この男女の競技(チーム)数を平等にするというのが実は相当難しく、女子はラクロス、フィールドホッケー、ボウリング、ボート競技といった、どちらかというとマイナーな競技のチームを無理やり作って帳尻を合わせている(男女平等を保っている)大学が多いのが実情であり、筆者が以前勤めていた東海岸の私立大学でも同じことが起こっていた。
今般問題となっているのがトランプ大統領の発出した大統領令の中で、いわゆるDEI(多様性、公平性、包括性)の撤廃を求める内容のものである。この大統領令については多くの州で提訴されているものの、連邦裁を経て有効だと判断された場合、NCAA加盟大学で男女同数のスポーツ種目を維持する根拠がなくなり、極端な例ではあるが「儲かる(注目度の高い)」種目であるアメフトとバスケにリソースの大部分を割くといった大学が出てきてもおかしくはないという議論が起こっている。自大学のスポーツ活動において男女同数のチーム数を維持するだけではなく、全競技チームの学生に対して男女同額の奨学金を支給するというのは相当金がかかる話であり、今般のDEI廃止を要求する大統領令が大学におけるスポーツ振興という面からは逆効果になっているという皮肉な面もあるのが現状である。
②監督やコーチ、スタッフの人件費高騰
NCAAの二大競技であるアメフトとバスケにおいて指導者の力量というものは非常に大きく、プロとほぼ同様のレベルで監督の手腕が問われる。ここにおいて大きな問題となっているのが監督の年俸の高騰である。大学の理事長や学長をはるかに超える額(数10倍~100倍はざら)の年俸契約を結んでいる監督も多く存在し、一番有名なノースカロライナ大学(UNC)アメフトチームのビル・ベリチェック監督(元ニューイングランド・ペイトリオッツ監督として知られる)は15億円の年俸額(約1000万ドル)で契約しているが、これでも監督の年俸ランキングでは8位にとどまる。日本の大学スポーツの指導者で最も有名な人物は青山学院大学駅伝チームの原晋監督だと思われるが、こんな年俸での契約は到底考えられない。大学側は有名な監督や元選手を監督やコーチ(特にアメフトでは守備コーチ、攻撃コーチ、スペシャルチームコーチなどコーチだけでも多数必要である)として呼ぶことによってチームを強化し、結果としてスポンサー契約や卒業生からの寄付も得ることが出来るが、スポーツチームの人件費高騰や施設整備が大学の授業料高騰を招いている実態もあり、大学に対する風当たりは大きくなっている。今回の議論の中にはアメフトやバスケの監督やコーチに対するサラリーキャップ制度の導入の是非といったものまであり、こちらも大学の財政に深く関わる問題となっている。
③「NIL(Name, Image and Like ness)」という新たな権利の弊害と問題
NCAAにおける最大の改革(改悪)として知られているのが選手の「NIL(Name,Image and Likeness)」という権利を認めたことである。これは「選手の肖像権/収益権」として知られている権利であり、プロスポーツ選手なら当たり前のことではあるが大学スポーツにおいて選手個人がスポンサーを得る行為はこれまで禁止されていた。
しかし、NCAAは賛否両論あった(反対意見の方が圧倒的に多かった)中、2021年にこのNILを認める方向に強引に舵を切った。このNILの最もややこしい点としては、「それぞれの州によって制度が異なる」という部分であり、運用は大学のある州の州法と大学のポリシーに拠ることとなっていて全米で統一した制度は未だにない。州法の規定がない場合は各大学がNILに関する規程を定めるようNCAAは指示したが、各大学にとっては前例のない事態に陥り困惑する大学が続出した。大学によってはNILに基づいたスポンサー契約を結ぶ前に大学の許可を得る、契約前にビジネス面や法的面での研修を受けるよう義務付けている、もしくは大学が禁ずる分野(ドラッグ、アルコール、ポルノなど)のスポンサー企業とは契約してはならない等の規定を設けている学校もあるが、全ての大学でこのようなきめ細かい対応が出来ているわけではない。NCAAは合衆国議会に対して大学生のNILに対応した統一的な連邦法(通称NIL法)の法案作成を要求しているが、国会議員の関心を引かない事柄であるため、現状ではアメリカ合衆国としての統一的な法整備のめどは立っていない。このNILの行使を認めたことによる弊害は特に人気スポーツであるアメフトとバスケ(男女両方)で顕著に出ており、学生は自分のスポンサーを獲得して個人契約を結ぶかわりにスポンサー料を収入として得るようになった。大学やチームが大手スポンサー(アディダス、ナイキなど)と契約することはよくあることで日本の大学でもみられるが、選手個人が大学のスポンサーとは異なる企業と契約して問題になるケースが頻発しており、大学チーム全体のスポンサーが看板選手がライバル社の広告塔となったことについて不快感を示すケースやスポンサー額を見直したケース、そして最悪のケースとしてスポンサー契約自体が打ち切られたケースもある。
また、選手は大学生なので18歳~22歳であることが多く、個人所得に対する確定申告等の手続きや税法についてよく理解していないことが多い。実際IRS(米国歳入庁)から申告不備等で追徴課税される学生選手が続出したため、大規模大学ではチーム専属の税理士(アメフトチームだけで3~5人必要)を雇って選手各個人の確定申告や納税を管理する羽目になり、ここでも余分な人件費が出るようになってしまった。更に問題となっているのが選手の代理人(エージェント)の存在である。アメリカのプロ選手同様、学生選手のNILに基づくスポンサー契約においても代理人(契約金の15~20%が成功報酬)が暗躍するようになり、大学進学前から大学に対して法外な要求をするケースも起きている。
実際のNILの契約額について公式なデータはないものの、全米ランキング上位(100位以内)の選手であれば最低60万ドル(約9千万円)程度の価値があるとされている。NILで特筆すべき事象としては、従来のスポンサー契約で主流であったスポーツ用品(ユニフォーム、グローブ、シューズ、ヘルメット)やスポーツ飲料等のスポーツ関連企業ではなく、一般企業(エアコン、電話会社、スーパーマーケット、食品、ファーストフード等)、それも全国企業ではなく地方の中小企業がスポンサーとして増加していることにある。中には選手の名前をもじったダジャレのような製品名を販売した中小企業の製品が大ヒットしたケースもある他、以前からある菓子の商標名と同じ名前のスポーツ選手全員と契約して自社の広告アンバサダーとして任命した例もある。選手本人ではなく、選手のペットをCMに出演させたペット関連企業まであり、もはや大学がコントロール出来る状態を遥かに超えたカオスな状態になっているのがNILを巡る情勢であり、このまま放置すれば早晩大問題が起きかねないトピックでもある。
(つづく)