アルカディア学報
学習パラダイムからChatGPTパラダイムへの転換
~授業シラバスの見直しを
はじめに
1995年、伝統的な教育パラダイムに終止符を打つべく、ジョン・タグとロバート・B・バーは、共著論文「教育から学習への転換~学士課程教育の新しいパラダイム」(『主体的学び』創刊号、2014年 東信堂)を提唱して一世を風靡した。それから26年が経過した。筆者は、「ChatGPTによる新たなパラダイム転換~大学教育はどう変わるか~授業シラバスを見直そう」(アマゾン電子書籍、2024年12月)と題する著書を刊行し、新たなChatGPTパラダイムへの転換を提唱した。
周知のように、2024年ノーベル物理学賞と化学賞のいずれもAI(人工知能)に関する研究分野が受賞したことから、生成AIの一つであるChatGPTが一気に注目されるようになった。これまでもChatGPTが使われていたが、世間の批判もあって、必ずしも積極的な使用ではなかったが、このノーベル賞受賞でChatGPTが表舞台で躍動することになる。
「学校神話」の崩壊
本稿の特徴は、1995年の学習パラダイム転換から大きな変動が見られなかった学校現場に、新たにChatGPTによるパラダイム転換が起きたことで、学校教育がすべてだと考える学校神話が崩れ、その存在意義が揺らぎはじめた。教育パラダイムから学習パラダイムに変わり、そして新しいChatGPTによるパラダイム転換が起こった。この新しいパラダイムは、従来にも増して、学習パラダイム傾向を強め、個別化学習や教育現場でのパーソナライズされた学習支援が活性化するであろうことは、ChatGPTの回答からも明らかである。
そのような混沌とした社会状況下で、ChatGPTと共存共栄していく学校現場の苦悩は火を見るよりも明らかである。我々に出来ることは何か、やらねばならないことは何かを考える必要がある。筆者は、大学教育の抜本的な見直しが焦眉の急であると考えている。なぜなら、大学は教育機関の最高学府であり、将来の学校教員を養成しているからである。なぜ、大学改革が急がれるのか。なぜなら、従来の大学教育では太刀打ちできないところまできているからである。
大学改革と言っても漠然としてわかりにくいが、筆者が強調したいのは、大学教員の改革である。なぜ、大学教員の改革が必要なのか。大学は、1949年に新制大学と衣替えをしたにも関わらず、その実態は、旧態依然の研究が中心で、教育を軽視してきたことは否めない。そのような大学教員を育てた大学院教育にも問題がある。そこでは、研究指導が中心で、どれだけ教育について指導されたか、当事者ならわかるはずである。このような悪循環が日本の大学教育を劣化させているとは言い過ぎであろうか。初等中等教育では世界のトップクラスでありながら、大学となると極端に低いのはどこに原因があるのか。答えは、大学教育に欠陥があるからである。
どこからどのように着手すれば良いのだろうか。まずは、大学教員が学生に教えるときに作成する授業シラバスに注目する必要がある。大学では、教員と学生をつなぐ媒体の役割をするのが授業シラバスである。それ以外に、両者をつなぐコミュニケーション手段はない。
ChatGPT時代の授業シラバスは、これまでとは大きく違う。むしろ、違わなければならない。
ChatGPT時代の授業シラバス
新しいChatGPT時代の授業シラバスを考えるには、拙著で紹介している「教育パラダイム」=「学習パラダイム」=「ChatGPTによるパラダイム」の図表を凝視し、とくにChatGPT時代にはどのようなことが求められるかを熟慮して、授業シラバスの作成をはじめるべきである。この図表は、1995年にジョン・タグ氏らが学習パラダイム転換を世に問うてから、26年が経過した後にまとめたもので、初公開である。以下の図表は、一部を抜粋したものである。
これまでのように、テンプレートにしたがって授業シラバス内容を書き込むという安直さでは対処できない。なぜなら、生成AIによるChatGPTが相手だからである。まず、授業シラバスを作成する前に、教員自らが授業デザインをすることが先決である。これは、教員の授業哲学を反映したもので、これがなければ誰の授業なのか不明で、授業の名に値しない。なぜ、教員の授業哲学が必要なのか。なぜなら、授業シラバスには、ChatGPTの使用に当たって、倫理の問題、評価の問題、不正行為の問題など、人間として考える必要があるからである。
授業シラバス作成と5W1H手法
筆者は、京都情報大学院大学で同僚の孫宜蒙氏と共同で「次世代型高等教育論」の授業を担当している。この授業はユニークで、履修生は大学教員になることを想定して15回の授業シラバスを作り、そのなかの1単元をクラスで45分間のプレゼンテーションをする仕組みになっている。学生は、教員の立場に立って授業を構築し、授業シラバスを作成することにチャレンジする。孫氏は、5W1Hを使って授業シラバスの書き方を指導した。
筆者は、ChatGPTに「5W1Hは、授業シラバスを作成するうえで、どのように役立ちますか。」とプロンプトして尋ねたところ、以下のような回答が返ってきた。すなわち、「5W1Hは授業シラバスを作成する際に、必要な情報を体系的に整理し、明確かつ説得力のあるシラバスを作るために非常に役立ちます。それぞれの要素を具体的に活用する方法を以下に説明します。」がそうである。簡潔にまとめているが、現状にそぐわないところも多々ある。これは生成AIが情報を集約したもので、情報が正しくなければ、誤った理解につながる恐れがある。プロンプトする人間の批判的思考力が問われる。
1.Who(誰が)学生・聴衆の層
対象者が誰かは、情報を的確に伝える上で重要である。高校生以下の場合、学習にウエイトが置かれることになるのでインプットを中心に考えるが、大学生や社会人の場合、学問にウエイトが置かれるので、疑問形で質問を投げかけながら、アウトプットを引き出すように心がける。
2.What(何を)授業の内容
量と質のバランスのとれた授業内容が重要である。教育パラダイム時代の教員は、量にウエイトを置きすぎ、PPTの説明も文字数が多くて窮屈な授業が多かった。「腹八分」のことわざではないが、学習者に考えさせる余地を残すことも必要である。
単位制も、授業の量と質から算出される。1/3の講義と2/3の教室外学習の組み合わせが基本であるが、現状の授業シラバスを見る限り、3/3の講義のみで単位が授与されている。これでは、単位制とは呼べない。講義を重視する傾向は、エリート校ほど強いように感じられる。
授業シラバスは、あくまでもガイド的な役割をするので、学生との契約書などのような堅苦しい表現は止めて、柔軟な授業運営が望まれる。
3.When(いつ)授業シラバス内における位置
授業のスケジュールにおいては、学期全体の計画を週ごとに示す。筆者の場合、ICEモデルを利用して、15回の授業をI(アイデア・基礎編)、C(コネクション・つながり編)、E(エクステンション・応用編)の3領域に分けている。このことにより、授業シラバス内における位置づけが明瞭になり、教員と学生の「立ち位置」がわかる。
4.Where(どこで)授業の場所(教室・実験室)
授業は、教室だけとは限らない。アクティブラーニングが奨励されることから教室外学習も検討する必要がある。
5.Why(なぜ)授業の目的
授業の目的が、単位履修のためか、就職のためか、大学院進学のためか目的を絞り込む必要がある。この授業を履修したことで、学生が何をどのように学んだのか、インプットとアウトプットの意義を明瞭にする。パラダイム転換の図表からもわかるように、知識伝達の教育から学びを生み出すことを目標にするように変える必要がある。
6.How(どのように)授業の進め方
授業内容や教員の授業スタイルによっても異なるが、どのようなスタイルにせよ、基本は、教員が「何を教えたか?」ではなく、学生が「何をどう学んだか?」に焦点が当てられるべきで、そのためには、授業の進め方が重要になってくる。ChatGPT時代を考慮すると、「対話型授業」「学生目線」での授業の進め方が望ましい。
成績評価をどのようにするかも考える必要がある。なぜなら、授業の進め方次第で、評価方法も異なるからである。ChatGPT時代の評価は、量的評価よりも質的アセスメント(改善を促す評価)が重要になる。具体的には、試験よりもポートフォリオが効果的である。
おわりに
最先端と言われる、ChatGPTにも欠陥がある。使用しているLLM (Large Language Model)言語モデルには、技術的課題がある。これは、ハルシネーション(Hallucinations)と呼ばれ、「嘘をつくことがある」「わからないことをそれっぽく答えようとする」ことがあると指摘されている。したがって、すべてを鵜呑みにすることは危険である。しかし、現状の学校教育では、正解しか教えないので、学習者は安易に鵜呑みにしてしまう。これからは、学校での教え方を変えるべきである。大学では、批判的に考えることを強調するが、大学に入ってからでは遅すぎる。筆者は、これからの学校教育では、「疑う」ことの重要さを学び、「嘘を見抜く」ことのできる批判的思考力や洞察力を育む教育への転換が焦眉の急であると考えている。