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アルカディア学報

No.78

競争的資金と私大―21世紀COEと14年度科研費(上)

早稲田大学理工学部応用物理学科教授  竹内  淳

〈21世紀COEプログラム〉
 昨年「TOP30」として騒がれた21世紀COEプログラムの初年度の募集がまもなく開始される。文部科学省によるこのプログラムは、大学院の博士後期課程を対象として世界的水準の研究教育拠点の実現を目的にしている。このプログラムでは、研究を主眼とする研究大学は全体の約5%の20~30校程度であるとみなしていて、審査を経て選ばれた大学院に重点的に資金が配分される。今後、これ以外の大学単位の交付金もこの種の制度に組み込まれる可能性があり、競争的施策によって研究教育レベルを向上させたいという文科省の明確な意図が存在するように見える。
 これまで研究よりも教育に主眼を置いてきた多くの私立大にとって、このプログラムは、必ずしも強い関心事ではないかもしれない。しかし、文科省の意図の有無に関わらず、大学がランク付けされる恐れがあり、既に受験産業が多大な関心を寄せている。したがって、このプログラムに選ばれる大学院の多数が国立大になれば、私立大全体に対する受験生の評価を落としかねない。また、この資金の獲得の成否は、財政上、私立大にとっても大学院のレベル向上の重要な要素である。
 2001年7月11日付のアルカディア学報で、科学研究費補助金(科研費)などの競争的資金の審査に関する問題点を指摘した。例えば、審査員の所属や経歴が多様性を欠いていて、国立大の教官が圧倒的多数を占めていること、また、審査員から利害関係者を排除する規定が無いため、公平性と客観性に疑問があることなどである。21世紀COEの委員会メンバーを見ると、27名の委員の内、14名が旧帝大の教官経験者であり、過半数が国立大関係者によって占められている。私立大関係者は8名で少数である。4年制大学の学生数は、私立大は国立大の3.2倍であり、経済規模でも私立大は国立大の2.4倍ある。この現状において、国公私立大にまたがるシステムを議論するには、この委員の配分比は疑問である(ただし、従来の文科省の各種の審議会に比べればこれでも私立大系の委員の割合は増加しており、わずかに状況の改善が認められる)。
 科研費の審査員の推薦および選考条件として、審査員の多様性を促す規定が日本学術振興会のホームページに公表されている。そこには、公私立大の研究者の選考にも配慮することや、女性研究者を加えるよう配慮することなどが述べられている。おそらく21世紀COEプログラムの下部組織の審査員の選考においても、同様の規定が存在するだろう。しかし、科研費や21世紀COEの審査員の配分が、実際に多様なものになりうるかどうかは注意深く見守る必要がある。日本学術振興会は、ホームページに審査に関する各種の情報を公開し透明性と公平性の確保に努力しているが、現在の科研費の審査員の配分は国立大教官に大きく偏っている。年齢にも多様性がほとんど認められない。審査システム全体が従来の慣行から抜け出すには、一層の関係者の努力を要すると考えられる。
 「利害関係者の排除」については、昨年、筆者らが参加した経済産業省の産業構造審議会の一部会で、競争的資金の政策評価の課題として取り上げた。従来、国内の各種の競争的資金の審査においては、審査員と申請者が同一の機関に所属したり、研究上近しい関係にあっても問題とされてこなかった。審査員の構成に偏りがあり、利害関係者が排除されないとすると、特定の個人あるいはグループに恣意的に資金を配分する可能性が生まれる。米国のNSF(全米科学財団)の審査システムでは「審査員の多様性の確保」と「利害関係者の排除」を掲げている。二十一世紀COEプログラムの審査では、国内の他の競争的資金の審査に先駆けて「利害関係者の排除」に取り組むことを期待したい。もちろん、科研費の審査システムにも今後この規定が盛り込まれることを強く望みたい。

〈評価項目の問題点〉
 21世紀COE選考の際の評価項目となるものとしては、論文数などの研究業績と、科研費などの競争的研究資金の獲得額が挙げられている。問題点の一つは、研究業績が主に論文数でカウントされることで、論文の質が評価項目に含まれていないことである。個々の論文の質の高さを見るためには、その論文が発表後何回引用されたか(インパクトファクターと呼ばれる)を基礎データの一つとして加えるのが望ましい。現在の判断基準では、論文を粗製乱造する大学院がもっとも良い評価を受けることになる。
 また、私立大の科研費1件あたりの受給額は国立大よりかなり小さいため、仮に申請書に記載される科研費の額が一定額で切り捨てられると(例えば1千万円以上のものしかカウントされないとか)、見かけ上、国立大がかなり有利になる。小さな額の科研費も含めて正確に評価する必要がある。
 評価項目に関する最大の問題点は、「研究の効率」を測る指標が含まれていないことである。私立大には国立大の5分の1の公的研究費しか交付されていないという現実がある。これは、国内の公的研究費の配分システムの制度上の問題であって、私立大と国立大の本来の研究能力の差にもとづくものではない。筆者の調査によると、研究資金の額と、論文数の間には強い相関関係があるので(岩波書店「科学」2001年6月号)、私立大の論文数は国立大より必然的に大幅に少なくなる。したがって、「論文数で代表される研究業績」と「競争的研究資金の額」は、似かよった指標とみなしてよく、これらの指標を単純に比較するだけでは、大学院の研究レベルを複数の視点から評価することにはならない。研究費と論文数というとわかりにくいかもしれないので、例えば工場の生産能力にたとえてみたい。A工場にB工場の五倍の金額の設備投資を行ったとする。当然A工場の生産能力はB工場より、はるかに大きくなるだろう。このとき、A工場の生産能力がB工場より大きいのでA工場の方がB工場より優れていると言えるだろうか。そもそも投資額が違うのである。
 私立大の群と国立大の群では公的研究費に多額の差があるので、これを公平かつ合理的に評価するためには、少なくとも「研究成果÷公的研究費の支給額=研究効率」も加える必要がある。現状では国費を大量に費し、とにかく数多くの論文を発表すれば、すぐれた大学院であるということになる。この場合、税金がどれだけ無駄になったかは問われない。国全体の施策の有効性という視点からは、国費を投入してもあまり研究成果があがらない大学院よりも、効率の高い大学院に投資する方が、税金の活用には望ましい。
(つづく)