アルカディア学報
顧客減少時代の大学経営
顧客体験価値を高める
大学の顧客は
大学は非営利組織なので、大学の主たる収入源をもたらしてくれる入学者や入学候補者である受験生等を、通常は顧客という呼び方をしないのであるが、これからの大学経営という視点からは、入学対象者を顧客として認識することが必要になると思う。その理由は、競争環境が激化した今日のような状況下では、自学の教育の理解者であり、自学の教育サービスの購入者である人たちを、一定程度に確保し続けていくことが不可欠であり、そのためには、その人たちを自学の顧客として捉え、そのニーズや課題を認識しようとする姿勢が求められるからである。したがって、この稿では、在学生や受験生を顧客と表現していくこととしたい。
大学の当該年度の主たる顧客は、入学対象となる高校3年生である。この人たちが多かった時代の入試は受験戦争と称されるほど、大学に合格することが大変難しい時代であった。地方の小規模大学であっても、一般入試の受験生が1万人を超えるというような状態であったが、その後の、18歳人口の減少にもかかわらず、大学数の増加により、現在では、4年制大学でも半数以上が入学定員を充足できない状況となっている。そして、近年の出生率を見る限り、少なくとも18年先までは、高校3年生の数は減り続けることは確定しているのである。具体的な数でいえば、現在の106万人から73万人弱までと、3割強の数が減少することになるのである。
このような状況下にあっては、当然ではあるが売り手市場だった、かつての頃とは異なり、大学は厳しい競争環境にさらされることになる。これからの18年間で、顧客の数は30万人以上も減少することになるのである。それも、各大学が均等に減少の影響を受けるということではなく、受験市場において、評価の低い大学から減少していくことになるのである。このような状況に対して、もちろん、それぞれの大学は真剣に対応策を考え、実施しているのである。しかし、18歳人口は途中で増えるということはないので、どこかが必ず減少の影響を受けることになるのである。
大学の顧客として、国内の18歳以外で考えられるのは、社会人や外国人留学生である。社会人に関しては、リカレント教育が推進され、ある程度の注目を集めてきてはいるが、それでも、正規の学生として入学してもらえるような環境整備は、まだまだ難しいといえる。
外国人留学生に関しては、2033年までに40万人の外国人留学生を受け入れることが政府の目標として設定されているので、これが順調に進めば、日本の18歳人口減少のある程度の部分を埋めることができることになる。しかしながら、日本語力の問題もあり、現状の教育水準を低下させない形での受け入れには、少なからずの努力が求められることになる。
差別化と同質化
市場が拡大していた状況、すなわち日本の大学でいえば、1990年代くらいまでは、18歳人口も多かったし、大学進学率も伸びていた時期であったので、他の大学と横並びでいるという、同質化戦略で事足りていた。選ぶ方も、あまりにも変わったことをしている大学であると、選択に際して、不安を感じるという状況もあったと思う。それが、厳しい競争環境に変わってきた今、本来であれば他との違いを強調する差別化戦略が求められていると思われるが、逆に同質化が進んでいるように思われる。
その理由としては、18歳人口減少という厳しい事態に直面し、各大学がこれまでよりも顧客の声を聞くようになったことがある。どこの大学でも、学生のニーズや課題、満足度とその要因を把握するため、学生に対するアンケート等を実施するようになった。そこで出てくる学生の要望や課題といったものは、どうしても類似のものが多くなる。そして、それに各大学が対応していくことによって、結果的には同質化が進んでしまうのである。これは、差別化を図るために顧客の声を聞いたことが、かえって同質化を進めるという皮肉な結果を招いてしまったのである。
また、国の補助金による政策誘導も、その一因といえる。社会人基礎力を養成しなさい、地域と連携しなさい、産業界とも連携しなさいといった方向性に沿っていくことで、同じような教育プログラムが生まれてくることになる。今、地方の小規模大学のパンフレットを見てみると、どのパンフレットにも地域との連携プログラム、産業界と連携した取り組みが載っているのは、このことによるものである。
このように、それぞれの大学が厳しい競争環境の中で、生き残りを果たすために努力しているわけであるが、その結果として、顧客にとって違いの分かりにくい状況が生じているといえる。このような状況の中で、マイケル・ポーターが言っているように、市場の中で「最高の存在」となるのでなく、「独自の存在」となるために必要なことは、どのようなことであろうか。
すでに述べたことからもわかるように、独自の教育プログラムなど機能面での差別化は、一時的には図ることができても、長続きはできない。ブランディングという手法は有用なものであるが、優れた資源、実績を有しない大学にとっては、時間も費用も掛かり過ぎるものになってしまう。ほとんど費用も掛からず、比較的短期間でできる手法として考えられるのは、顧客体験価値を高めることによる差別化ではないかと考えている。
顧客体験とは
顧客体験とは、商品やサービスと顧客が触れ合う「顧客接点」での体験に対して、顧客側が感じる「合理的価値」や「感情的価値」のことを指す概念である。例えば、その大学のキャンパスライフを模擬体験できる、オープンキャンパスでの体験といったものである。もちろん、どの大学でもオープンキャンパスは、大切なお客さんに対応するという姿勢で運営されているので、参加者した人の多くは、学生スタッフが親切だった、教職員が親切であったというような感想を持つケースが多いと思われる。それは、もちろん大切なことであるが、顧客体験の価値で差別化を図るとなると、それだけでは十分とは言えない。
例えば、ホテルでの体験価値を高めるものとして、施設・設備の立派さ、快適さ、料理の豪華さ、美味しさといったこととがあるが、それにも増して接客サービスの質といったことが大きな要素になると思われる。顧客満足度の高いことで知られているホテル、リッツカールトンが他のホテルと差別化を図れているのは、サービススタッフの行動、姿勢によるものであるからである。
私自身、少し前に東北のひなびた温泉に泊まったことがあった。行ってから知ったのであるが、部屋には浴室はもちろん、洗面もトイレもない。しかも温泉は熱すぎて入れない。それでいて、口コミ評価が高いのである。その理由は、夕食のときに判明した。給仕をしてくれるおばちゃんが、愛想が良く、それぞれのお客に合わせたコミュニケーションを取って、夕食の時間を楽しいものにしてくれているのである。このことによって、私の顧客体験価値も上がったのであった。
もちろん、大学はホテルと異なり、サービスが売り物とは言えないわけであるが、大学の目的である人を育てるということも、どれだけ、その人の現在、将来を考えられるかにかかっていると思う。動機は、少しでも多くの入学者を得たいということで構わないのである。オープンキャンパスの来場者に、少しでも多くの感動を感じてもらえるような準備も含めた対応、それを心がけることで、在学生への対応も、必ずや変わることになると思う。
いろいろな大学の話を聞いていると、個々の教員、職員のレベルでは、学生に感動を与えられるような教育・支援のサービスは、すでに行われている。それを、大学という組織レベルまで広げていくことが、差別化を図るためには不可欠となる。もちろん、それは普通のサービスを提供することに比べたら、非常に手間暇のかかることである。
それでも、それに対して相手が感動してくれたならば、サービスを提供した人も感動にあずかることになるのであるし、感動するような教育・支援があるならば、それは必ず学生の成長につながることになる。そして成長した学生が、受験生や新入生に感動体験を与えていく。そのような、感動のサイクルが循環するキャンパスライフをつくっていくことが、模倣されにくい差別化の、一つの有用な方策ではないかと思う。
広報部門だけでなく、全ての部門が受験生、在学生に感動を与えるようなサービスを考え、提供していく。そのことによって、組織の方向性も統一され、機能するものへと変わっていく。差別化の内容として、これまで取り上げられなかったことであるが、有用な手法ではないかと考えている。