アルカディア学報
18歳人口減少時代に求められる大学の姿勢と発想の転換
―多様な学生の学びの希望に応える―
―行政の姿勢も転換が必要―
一層困難になる学生確保―より幅広く学生受け入れをー
2023年度に110万人を下回った18歳人口は、数年間横ばいを続けた後、緩やかに減少し、2035年には100万人を下回る。2022年の出生数は予測より約10万人少ない約77万人で、これは概ね2040年の18歳人口に該当する。先日公表された2023年の出生数はさらに少ない約73万人であった。18歳人口の減少は、大学をはじめとした高等教育機関の学生確保を困難に陥れており、今後それは一層厳しくなる。
もちろん、文化学園大学も例外ではない。AO(総合型選抜)、推薦、留学生、一般、共通テスト利用の各種入試を合計10回程度行い、かろうじて学部入学定員(850人)を満たしているのが現状である。難関・有名大学と言われる大学に従来より合格し易くなることにより、そちらに志願者が流れ、中堅大学がその影響を受け、「玉突き」で本学のような中小規模大学に志願者減という形でその余波が及んでいる。そして、「早く進学先を決めたい」との受験生の心理と、「早く入学者を確保したい」という大学側の意向が相まって、入学する大学の決定時期の早期化が進んでおり、本学では入学定員の8割の入学予定者が年内に固まるという状況になっている。
ところで、18歳人口減少を、大学側からの「学生確保の困難化」というマイナス面だけでとらえるべきであろうか。大学入学定員の総数が変わらなければ、従来は大学進学を希望しながらそれが難しかった層が大学教育を受けることができるようになると、プラスにとらえることはできないだろうか。高等教育に限らず、少子化時代には、一人一人の児童・生徒・学生がより手厚い教育を受けることができるようになると前向きにとらえることも可能である。そのためには、行政側にも、少子化だからと言って当然のように公的教育投資を減らすのではなく、教育の機会拡充と教育条件向上の機会ととらえる発想が必要である。
学生数確保のため、高等教育機関が留学生や社会人を積極的に受け入れようとするのは当然であるが、18歳人口層の中で、これまで経済的事情、学力などの理由から、希望しながら大学での学びの機会を得られなかった層を受け入れ、大学教育を提供することも積極的に考えてはどうだろうか。もちろん、大学により対応は様々であり、他大学との再編・統合による存続を模索するところもあれば、これ以上の継続は困難として閉校を考えるところもあるだろう。
このような時代においては、多くの志願者の中から大学側が「選抜」して「入学を認める」という旧来の発想も転換が必要ではないだろうか。大学進学希望者から如何にして「選んでもらう」か、すなわち、「選抜」するのは大学側ではなく大学進学希望者側であると考えるのである。もとより、大学側には、一層、教育研究の質を向上させ、魅力を高めるとともに、これまで以上に一人一人の学生へのきめ細かな対応が求められることになる。
合わせて、特定産業分野に優秀な人材を送り込むという従来の「人材育成」の考え方についても、学生それぞれの希望に応じ、大学が、教育や多様な学生生活の機会を提供することにより、学生が将来、豊かで充実した人生を送れるよう寄与するという、「個人」としての学生を尊重する発想に転換する必要があるのではないだろうか。
少子化対策としての高等教育への公的投資の拡充
少子化の原因の一つとして、我が国における個人の教育費負担の重さがしばしば指摘される。例えば、国立社会保障・人口問題研究所の調査結果では、理想の子供数を持たない理由として、「子育てや教育にお金がかかりすぎる」が最も多く、内閣府の調査報告書によれば、子育てにかかる経済的な負担として大きいと思われるものとして、「学校教育費(大学・短大・専門学校など)」が筆頭に挙げられ、学習塾などの教育費、幼稚園・保育所等にかかる費用、学校教育費(小学校・中学校・高等学校)などの教育費が続いている。そして、高等教育段階をはじめとした教育費の個人負担の重さは、OECD諸国に比べて我が国の公的教育投資が、特に高等教育段階で著しく低いことによるものであるのは言うまでもない。
このような状況からの脱却を目指し、筆者が文部科学省生涯学習政策局長在職時に、文部科学大臣の指示を受け、各分野の有識者の意見を聴きながら、公的教育投資拡大方策の取りまとめに関わった。公的教育投資を年4~5兆円拡充することにより、①家計の教育費負担が軽減され、出生数増加に繋がり、一定程度少子化に歯止めがかかるとともに、②国民がより高度な教育を受けることができるようになることにより、個人の豊かな人生の実現と、経済成長や格差の是正につながる、というものである。その内容は、「2020年 教育再生を通じた日本再生の実現に向けて」と題して、2014年5月に総理官邸で行われた教育再生実行会議において文部科学大臣からプレゼンテーションを行い、2015年7月の教育再生実行会議第8次提言「教育立国実現のための教育投資・教育財源の在り方について」にも反映された。
これは、その後、2019年10月からの幼児教育・保育の完全無償化や、2020年4月からの大学等における新たな修学支援制度創設に繋がっている。ただ、当初、大学等における新たな修学支援制度が「高等教育の無償化」として打ち出されたのは、事実上無償(授業料等減免と給付型奨学金の全額支援)となるのが住民税非課税世帯(年収約270万円程度以下)に限られていたことからして、誇大であると言わざるを得ない。
2024年度から多子世帯と理工農系の中間層に対象が拡大され、2025年度からは多子世帯について所得制限なく無償化(全額支援)される予定ではあるが、様々な条件により限定されていて大胆さに欠け、少子化対策としてどれだけ効果があるのか疑問を感じる。
このような施策にとどまってしまう背景には、政府の一部が未だ高等教育の「受益者負担論」に拘泥していることがあるのではないか。高等教育の恩恵は、受ける個人にとどまらず、社会全体に及ぶとの発想に転換する必要がある。
大学の自治=大学の自主性尊重の重要性
最近の政府の施策や姿勢で気になることとして、大学の自主性を尊重しようという意識の希薄化がある。日本国憲法第23条により「学問の自由」、すなわち、研究、発表、教授の自由が保障され、特に大学については、伝統的に「大学の自治」が認められるとされている。したがって、大学は、国家権力など外部からの干渉を受けずに教育研究の内容・方法を自主的に決定し、自主的に管理運営することができるのである。このような「大学の自治」は、中世ヨーロッパでの大学発祥以来の伝統であって、今日まで世界で大学が発展してきた所以であり、また、大学が大学たり得る証(あかし)であるとも言える。
ところが、最近の政府の高等教育・学術政策は、あからさまな個々の大学への介入はないものの、資金配分の仕組み等により、政府として望ましい教育研究分野やガバナンス体制に「誘導」しようとする傾向が目に付く。例えば、①「新しい資本主義」に資するとして理工農系等の「成長分野」への転換を図るための予算措置、②10兆円のファンドの運用益により一部の大学を支援する「国際卓越研究大学」、③一部の大規模国立大学法人に重要事項の決定権限を有する「運営方針会議」の設置を義務付け、その委員の任命に文部科学大臣の承認を必要とする国立大学法人法の改正などがそれである。また、日本学術会議会員任命拒否の問題に見られる、学問や学術研究の世界への「リスペクト」の欠如も危惧される。大学関係者の一部に「大学自治など時代遅れ」「今さら自主性を主張しても...」との風潮や諦念があるのも残念である。
30数年来、「大学改革」として、行政主導で「選択と集中」、「競争原理の導入」、「ガバナンス改革」などが進められてきたが、むしろ我が国の大学の「教育研究力」は低下したのではないかとの見方もある。人文科学・社会科学から自然科学に至る幅広い教育研究分野の「裾野」があり、自由な教育研究の蓄積があってこそ、ノーベル賞につながるような高度で独創的な研究も花開く。行政は、大学に対して助成などの支援はするが、教育研究内容や管理運営には介入せず大学の自主性に任せるという「王道」に立ち返るべきではないだろうか。