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アルカディア学報

No.756

ChatGPTとどのように付き合うか
~いま、大学教育の存在意義が問われている~

客員研究員 土持ゲーリー法一(京都情報大学院大学副学長)

はじめに

 コロナ禍でオンライン授業が広まり、大学教育が抜本的に見直されている最中、ChatGPTの脅威が世界を駆け巡り、教育現場は未曽有の危機に直面している。
 日本においては、ChatGPTの規制が「緩やか」だとの批判がある。たとえば、「『なぜそこまでAI開発を優遇するのか』...著作物利用、先進国で最も規制が緩い日本」と題して、『読売新聞オンライン』(2023年4月28日)が報じている。同記事によれば、「対話型サービス『チャットGPT』など生成AI(人工知能)による著作物の使用に対し、日本は先進諸国で最も法規制が緩く、AIがほぼ無条件に著作物を『学習』できる状態となっている。イラストレーターや音楽家らは著作権が侵害されるとの懸念を強めており、専門家らは、新たなルール作りが必要だ」と批判的である。

ChatGPTの脅威

 具体的にどのような脅威なのか。たとえば、小説の執筆、レポートの作成、プログラミングなどの脅威である。「この論文、学生が書いた? ChatGPTが書いた? 先生はどう見抜けば...教育現場における『上手い』付き合い方とは」と題するYouTube
(https://www.youtube.com/watch?v=QA456_poTEE)『TBS NEWS DIG』によれば、ChatGPTを使って作成した作品が日本の文学賞に入賞した例もある。レポート作成を手助けし、プログラミング・コードも書くという。
 たしかに、ChatGPTは未だ開発途上のため、信ぴょう性には疑念があるが、そのことを理解したうえで活用すれば意義があるとの意見もある。すなわち、「文章作成のロジカル」という側面からみれば、文章の流れやものの考え方の違いを知るうえで示唆に富み、アイデアを考えるうえで参考になるとの評価がそうである。ChatGPTを「拒絶」するのではなく、どのように「活用」するかを検討すべきであるとの意見も聞かれる。

ChatGPTのどこがいけないのか

 まず、情報管理の側面である。具体的には、身近な個人情報や機密情報の流出の恐れがある。次に、信頼性である。「偽情報」が含まれる可能性がある。「フェイクニュース」の言葉が流布しているように、何が正しく、虚偽なのか根拠が曖昧である。そのことが教育現場を混乱させている。たとえば、論文など作成にChatGPTを使うことで思考停止に陥る可能性があり、そのような論文を「盗作」扱いや禁止にする大学も現れている。しかし、これらは緊急対策に過ぎず、教育体制の構造は変わらない。
 ハロルド・ジョージ・メイ氏は、「教育そのものが変わるのではないか。たしかに、答えはすぐに出るが、その答えが正しいかどうかは、未だ、疑問視されている。出た答えが正しいかどうかの裏づけを自分で調べることが重要である」との考えを示した。(https://www.youtube.com/watch?v=QA456_poTEEを参照)
 「ChatGPTは教育を破壊するのか!? その『根源的な衝撃』と『必要な対応』」と題して、『現代ビジネス』4月30日付で以下の記事が配信された。(https://news.yahoo.co.jp/articles/1c3fa65a0afadbc1beb474e8cecd63f829f6341aを参照)執筆者・野口悠紀雄氏(一橋大学名誉教授)は、冒頭で、「ChatGPTなどの生成系AIが利用可能になり、教育は根源的な見直しを要求されています。こうした技術を頭から否定するのでなく、その問題点と能力の限界を認識した上で、これを活用する能力を高めるよう、教育体制を改革すべきです」と提言をしている。
 生成系AIを使うと人間の思考能力が失われる危険がないわけではない。しかし、野口氏は「指示や質問の仕方が重要なのです。うまく質問しなければ、よい答えは得られません。よい質問を考えることこそ重要です。使い方によって、結果には大きな差がでるのです。そうであれば、学生に使い方を教えるべきです」と教授法にまで言及している。

「質問の仕方」を学ぶ

 国立情報学研究所は、第64回「大学等におけるオンライン教育とデジタル変革に関するサイバーシンポジウム『教育機関DXシンポ』」と題して、2023年4月21日オンラインで開催した。中川裕志氏(理化学研究所革新知能統合研究センターチームリーダー)は、「ChatGPTとの付き合い方」のなかで、「ChatGPTは嘘をもっともらしく作文する機械である」と紹介した。続いて、松林優一郎氏(東北大学教育学研究科)も「ChatGPTと教育における信頼性」と題して、ChatGPTのことを「真実のような嘘(Hallucination)が及ぼす影響」について述べた。これらの報告からもデータを鵜呑みにするのではなく、真偽を批判的に分析する力を育てることが学校教育に求められている。 
 次に、プロンプトエンジニアリング(Prompt Engineering)についての言及があった。これは、ChatGPTなどの自然言語対話型AIに問いかける際、精度の高いアウトプットが得られるように、質問文(プロンプト)を構築する技術のことで、「プロンプトエンジニアリング」と呼ぶ。
 中川氏は、脅威に「怯む」のではなく、チャレンジすることが重要であると指摘している。ここでもリベラルアーツ的なものの考え方が重要になる。すなわち、批判的思考力と複眼的視野がそうである。これらの資質は、質問文(プロンプト)を構築する際に必要な資質であり、問う力として培うことができる。

カナダのChatGPTに関するワークショップ

 2023年6月13日、カナダ・プリンスエドワード島で開催されたSTLHE(カナダ高等教育ティーチング&ラーニング学会)でもChatGPTのワークショップ「人工知能~実存する危機か、それとも必要な支援か?(Nudge)ChatGPT時代の教育と学習のあり方」と題して開催された。
 「ChatGPTは、人間と同じような方法で文章を書く人工知能である。学生が書いた文章とAIが構築したものとを区別できないため、多くの学者が学生の指導や評価方法を再考する必要に迫られている。実際、多くのコメンテーターは、これは学習に対する考え方や評価方法の根本的な変化のはじまりかもしれないと考えている。このワークショップでは、人工知能の長所と短所を理解するとともに、学生をより深く学習に導くために必要なスキルや知識、ChatGPTのAIベースのシステムでは簡単に再現できない評価を作成することで、以下のような能力を身につける。
 1.学生をより深く教材に引き込み、アカデミック・インテグリティ(学問の誠実性)へと導く。
 2.AIベースのシステムの限界と真正な評価の必要性を理解する。
 3.AIが再現できないコースや評価を設計するテクニックや戦略を学ぶ。
 4.オープンエンド、ハンズオン(体験学習)、パフォーマンスベースのアセスメントを作成するベストプラクティスを実践する。
 5.学習と批判的思考の育成を促進するAI技術を取り入れる戦略を学ぶ。」
 ChatGPTの脅威を克服するためのテストのあり方
 ChatGPTの脅威は、「学んだことをテストする」という従来の学習方法を根底から覆した。明治以来、日本の学校は西洋に追いつくために「効率化」を優先し、テストによって成果をあげ、先進国を追い越した。しかし、「効率化」ということばは経済用語であって、教育用語ではない。
 テストで人を評価することはできない。それは数量的評価に過ぎず、ChatGPTと大同小異である。以下の記事は、注目に値する。拙論「最近のアメリカの大学事情~入学試験、リーダーシップ、就職」『教育学術新聞』2441号(2011年5月11日付)で、ブリガムヤング大学(BYU)の取材をしたときのものである。BYUには、Center for Teaching and Learning, CTL)が管轄するテスト・センターがある。これは、全米の大学で最大規模を誇る試験会場で650人の学生を収容できる。その主たる目的は、クラスのテストを代行することである。すなわち、講義とテストを切り離して運営する。日本では講義担当者が試験や成績を管理するが、これで客観的な評価ができるのだろうか。
 同センターの取組で見逃せないのは、不正行為を未然に防ぐテスト問題を教員が作成できるように、CTLが共同マニュアルを作成して提供していることである。たとえば、「どのように優れたテスト問題を作成することができるか~大学教員のためのガイドライン」あるいは「選択肢問題を作成するための14のルール」などがあり、具体的かつ効果的な事例が多く紹介されている。そこでは「記憶」に頼らず、「応用」を重視するテスト問題を作成するように指導している(詳細は、https://testing.byu.edu/ を参照)。

おわりに

 ChatGPTの規制が他国よりも緩やかな原因の一つは、そもそも社会でものごとを批判的に考えることが不足しているからではないだろうか。教員が授業で「正解」しか教えず、それを繰り返して問うような教授法は「時代錯誤」である。
 「話題の『ChatGPT』誰でもできる目からウロコの使い方【『独学大全』著者が教える】『ダイヤモンド・オンライン』5月6日配信には、次のような面白い記事があった。すなわち、「ただ『ChatGPTは嘘つきだ』というよりも、騙されてしまう人間側に原因がある気がします」がそうである。
 学校は、信ぴょう性を見抜く批判的思考力や洞察力を培うところでなければならない。