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アルカディア学報

No.75

アジアの新たな動向―公開遠隔教育の飛躍的進歩

放送大学教授  岩永 雅也

〈アジア公開大学連合〉
 去る2月21日から23日までの3日間、インド・ニューデリーにおいてアジア公開大学連合(以下AAOU)の第15回年次大会が開催された。AAOUは、1987年に公開遠隔教育(Open and Distance Education、以下ODE)の一層の発展を図り、アジア各国のODE機関相互間の交流を推進することを目的として結成された、緩やかな連合組織である。現在の構成メンバーは、日本の放送大学、韓国の国立公開大学、中国の中央電視大学など二八校の会員大学からなり、アジア地域におけるODE機関をほぼ網羅した包括的な組織となっている。なお、英国の公開大学(OU)、南アの南アフリカ大学など22校も準会員校として参加している。年次大会は、各会員校が順次ホストを務め、毎年度秋に開催される。大会では年度ごとのメインテーマを中心に、各大学でのODE実践の紹介、大学評価の分析結果報告、種々の調査報告、そして新たな教育プランの紹介などが行われ、現時点でのアジア地域におけるODEの状況と、それをとりまく社会的環境のあり方を、まるで手に取るように知ることができる。
 そもそもODEとは、入学と学習の遂行をめぐる諸制限を極力排した教育機会を、原則としてキャンパス外の学習者に対して提供する教育行為である。諸制限の中には、年齢、職業、学歴といった基本属性だけでなく、経済力や能力、学力といった要素に関わる制限も含まれる。従って、ODEでは基本的に通学制の教育機会に比して学習の時間的空間的制約が軽微であり、大幅に安価であって、通常は入学試験も行われない。そうした性格を持っていることから、わが国の例を見るまでもなく、ODEはこれまで長い間、郵便と書籍による通信教育とほぼ同義の概念として、つまり対面式の座学を基本とする「正規の」教育課程とは別のものとして理解されてきた。しかし、特に高等教育段階での学習者と学習内容の多様化、そしてメディア技術の飛躍的な進歩により、現在では「正規の」教育課程とODEとの間の境界が、急速に不明確なものになりつつある。AAOUの年次大会に毎年のように参加していると、そうした変動を目の当たりにすることができるのである。

〈AAOU年次大会の概要〉
 さて、今回のAAOU大会は、インドで最も伝統あるODE機関であるインディラ・ガンディー国立公開大学が主催した。参加者は、アジア各地及び欧米などの25か国からの研究者とODE関係者で、総計250人にのぼった。大会では、「大学教育への接近と社会的公正:公開遠隔学習の重要課題」をメインテーマに、基調講演や分科会、ラウンドテーブルなどが行われた。開会の辞を現職のスリ・クリシャン・カント副大統領、閉会の辞を人的資源開発省の要人が述べるなど、国を挙げてこの大会を重視していることが感じ取れた。カント副大統領は、昨今のODEに対する期待の高まりと多様な学習形態を可能にする諸技術の進歩について述べ、「もはや学習者が大学へ来なければならない時代は終わった。これからは大学が学習者のところへとやって来るのである」と格調高く結んだ。
 各国参加者の発表は、公開遠隔学習(ODL)システム―緊要な課題と対応、教育課程・教授法・教育プログラム、研究と教員の訓練及び質の保証、テクノロジーの適切な利用の4つのサブテーマにまとめられ、23のセッションにわかれて行われた。そのすべてを併せると延べ150以上の発表が行われたことになる。国際学会としても大規模なものであるといってよいだろう。それらの発表の中では、いかにしてより多くの人たちにODEを提供することができるか、遠隔学習者の達成度をどう評価するか、どのようにしたらODEを担当する教員を有効に訓練することができるか、といった議論が展開され、その上でそれらの課題に関する各国での取り組みが紹介された。社会的弱者(女性、身体障害者等)の権利を保障するのにODEがいかに有効な手段となり得るかという点についても、多くの発表が行われた。地域性を反映して、家族計画やHIV問題の啓蒙にODEの果たしうる役割などについても、実践に基づく刺激的な発表が数多く行われていた。また、英国や北米、豪州などのODE機関の国際市場戦略に対し、どのような態度、立場をとるべきか、といった経営戦略的な議論も見られた。今日のアジア地域の社会と教育が直面する問題の大半がODEの観点から論じられたといっても過言ではない。

〈3つのMと日本のODE〉
 実は、全く同じホスト校で会場も同じという8年前のAAOUの第8回年次大会にも筆者は参加しているが、今回は、その2つの大会の内容的な差異を強く感じることができた。当時のメインテーマは「公開学習システムの構造と運営」というもので、ようやく緒に就いたODEの基礎を各国で共有しつつ、これからの発展を目指すという基本的な態度のあらわれたテーマであった。それに対し、今回のテーマは、すでにそうした基本的なシステムの議論が一段落した後の各論に関わるものと見ることができるだろう。事実、8年前には、自国のODE機関のシステム紹介やプログラムの解説、あるいは実践報告といった内容のプレゼンテーションが圧倒的に多かったものである。それらのほとんどは、ODEに関わる理論に基づく分析や考察というより、きわめて実際的かつ記述的な発表であった。
 ところが今回の発表内容は大きく様変わりしていた。その内容の傾向を一言でまとめるならば、「3つのMの盛行」ということになろう。その一つはman-agementである。経営理論や組織運営理論に基づく公開大学運営の方法やその効率化、あるいは直面する財政問題についてのさまざまな報告が各分科会でなされ、効率的管理運営に対する関心の高さを窺い知ることができた。2つ目のMはmarketingである。アジア諸国のODE機関は公務員や初等教員等の継続教育のために設立されたものが多く、従来学生市場の開拓に対する関心は必ずしも高くなかった。しかし、財政困難が常態化している現在、そうした教育機関であっても、民間職業人、主婦、除隊者、移民といった多様な市場開拓の必要性が自覚されているのである。最後のMはmediaである。発表には、放送やビデオの利用、あるいはe-learningに関する実践報告も多数見られた。とりわけ、教育デバイスとしてのインターネットは、アジア地域のODEに不可欠の存在となりつつあり、それを用いた教育訓練、つまりWBT(Web Based  Training)に対する関心は非常に高い。というのも、WBTは、アジアという地域の後発性を超えて世界のアカデミックな中枢に直接アクセスできる画期的な教育法だからである。発表では、そのメリットやそれを効果的に利用した実践例はもちろん、学生が各国のODEを超えて直接欧米のネット大学へアクセスしてしまうことの問題点も指摘されていた。また、日本在住の英国人研究者が、国際的オンライン教育に日本人が乗り遅れている理由について、右脳的言語である日本語と左脳的言語の英語との間の齟齬がその要因だという結論を示していたのは興味深かった。
 アジアのODE諸機関と比較した場合、わが国の放送大学は、とりわけ教育方法の点で保守的だといわざるを得ない。すでに彼らは国家の枠を超えて世界を見据えたサバイバル戦略を模索し始めている。わが国のODEもそれに即応した対応をすべき時に来ている。手遅れではないが、あまり時間をかけてはいられないのもまた事実である。