アルカディア学報
入学前教育の隘路
―中長期的視点からの取り組みを―
重要性を増す入学前教育
少子化の進行などにより、私学セクターの大きい日本の高等教育機関では学生確保や入学者選抜の重要性が年々増している。本紙でも、学力選抜による高大接続が難しくなる中で総合型選抜や学校推薦型選抜といった年内入試が一層重要になるだろうとする論考が散見されるが、こうした認識は大学関係者に広く共有されていると思われる。
学力選抜以外の入試の重要性が高まる中、各大学は様々な工夫を講じた入学前教育を実施する必要性にも迫られている。入学前教育に関する概念的な整理や政策動向については紙幅の都合で立ち入らないが、入学前教育は年内入試などの入試区分と連動する措置であり、その意味で各大学の入試戦略の一部をなすと言える。近年はいわゆるコロナ禍を経て教育現場でのICTの活用が広がり、入学前教育でも従来大きな問題であった時間的、地理的な制約が軽減される可能性がある。こうした状況に鑑みれば、効果的な入学前教育の開発は多くの大学に共通する課題と言える。そこで本稿では、IRや入学前教育等の担当者としてその実践や効果検証に携わってきた筆者の経験も踏まえて、入学前教育の評価・開発における課題等について論じたい。
効果検証の構造的困難
入学前教育の重要性を指摘したばかりではあるが、多くの場合、入学前教育の成果は捉え難い。例えば、入試の結果はライバル校の動向、国の政策(定員管理等)、高校カリキュラムの変化等からも影響を受けるため、当該大学の特定の取り組み単独の効果を評価することは難しい。入試と密接に関連する入学前教育でも、こうした学外からの(加えて学部改編のような入学前教育以外の学内の施策からの)影響を免れることはできないが、入学前教育が構造的に有する問題も指摘できる。
まず、受講者と非受講者との比較による効果の提示が難しい。特に、入学前教育の受講者の方が、非受講者よりも入学後の状況(学業成績や除籍退学率等)が芳しくないことが往々にしてあり得る。入学前教育が要請されるのは、早期に進学先が決定した生徒の基礎学力、学習意欲、学習習慣などに不安があるからである。もし、受講群(年内入試で合格)と非受講群(一般選抜等で合格)の入学後の成績等を単純に比較してしまうと、元々の学力水準等の違いのような交絡要因が統制できないため、受講群の結果が悪くなり、入学前教育の効果が不十分という印象を与える。
精緻な統計的手法を用いようとしても、入学前教育の制度的な立て付けのために限界がある。通常、同一入試区分の合格者を大学側が差別的に取り扱えないので、特定の入試区分の合格者全員をその入試区分に対応した入学前教育の対象とすることになる。「介入(入学前教育の受講)の有無=入試区分等の違い」になるため、例えば傾向スコア・マッチングで受講の有無だけが異なると見なせる者同士を比較しようとしても、実は入試区分だけが異なる者同士の比較と同じことになってしまう。また、パネルデータで個人の異質性を統制した分析を行いたくても、多数の生徒の入学(前教育受講)前後のデータを各高校と大学で共通に扱える変数として収集することは現実的に難しい。
受講者と非受講者の比較による効果検証が難しいのなら、受講者内の分析によって効果を示す方向性が考えられるが、そこにも様々な問題が潜伏している。例えば、入学前教育の効果を受講前後のアンケートなどによって確認する方法は、入学前教育の内容と関連した能力や態度など(の自己評価)の変化をわかりやすく提示できる。だが、より本質的な入学後の状況(学業成績や除籍退学率等)の改善に対する寄与を検証してはいない。入学後の状況との関連を検証したいのなら、入学前教育への取り組み方(入学前教育に関する学習時間、活動量などの違い)の効果を示す方法もあり得よう。実はこうした分析結果は、元々学力や意欲が高いものほど入学前教育にも入学後の学業にもしっかりと取り組むはずなので、比較的簡単に提示できる。だが、それは、入学前教育の取り組み方を経由した、元々の学力や意欲の効果を示しているだけかもしれない。
そもそも、取り組んだ者に効果が見られるのは、取り組まなかった者が一定数いることの裏返しであり、入学前教育が十分に機能していない証拠とも考えられる。となると、元々の学力や意欲等に関係なく取り組める入学前教育の開発は極めて重要である。しかし、誰もがしっかり取り組める入学前教育に近づいた結果、むしろ効果の無さを示唆するようなデータが得られるというパラドックスも生じ得る。筆者の経験では、ある年、入学前教育に新たな工夫を導入して受講者の中でも不活発層の取り組み方を改善させた結果、取り組み方の(平均値は上昇したが)分散が小さくなり、前年まで統計的に有意であった取り組み方と入学後の状況の正の相関がなくなったことがある。
短期的、直接的成果への執着を超えて
以上のように、入学前教育においては、仮に成果が出ていたとしても、データで明瞭に示せない場合が少なくない。そもそも、入学前教育のような比較的短期間の限定的な介入が高校までの十数年の蓄積に劇的な変化を容易にもたらすなら、高校でも大学でも今よりも効果的な指導をいくらでも実施可能なはずで、入学前教育の必要性さえ生じないだろう。
だが、入学前教育がわかりやすい成果を上げていないように見えるからと言って、プログラムの廃止、予算削減、十分な検証を行う前の頻繁な内容変更などを拙速に行うことは賢明とは言えない。一定の時間をかけて間接的に発現する様々な効果が想定できるからである。
先述したように、入学前教育は入試区分と連動しており、実質的に各大学の入試戦略の一部である。入学前教育はその大学がどのような準備を入学者に求めているかを提示する。そのため、入学前教育の質は、高校教員や受験生の当該大学(の少なくとも特定の入試区分)に対する評価を形成し、高校での進路指導や志願者の質に中長期的な影響を与え得る。筆者の経験では、入学前教育で何年も連携してきた高校に、本学への年内入試合格者のみを対象とした高校独自の指導(大学でのグループワークを想定した丸1日がかりの探究学習等)を自主的に導入していただけたことがある。当該高校出身者の入学後の状況は年々良好になっている。
また、受講者以外への教育効果も期待できる。入学前教育の実施に先輩学生を動員できれば、実施側のマンパワーの不足を補い、きめ細やかな指導を可能にできる。また、受講生は歳の近い先輩からサポートを受けられ、大学生活をよりイメージしやすくなる。そうした中で、先輩学生自身も、先輩としての自覚を強くし、また教職員との協働を通して様々な実務経験を得て成長していく。
「では、そうした中長期的、間接的な影響の検証結果を提示せよ」と言われても、残念ながらそれも難しい。
ただし、入学前教育の安易な廃止や縮小が、上記のような効果をまず期待できなくさせることは間違いない。例えば、先述の教育現場へのITC普及により、既存のe-learningの充実にとどまらない、遠隔での双方向的な交流を大胆に取り入れた新たなモデルの入学前教育を構築できるかもしれない。
入学前教育での経験が質的に変化すれば、それが入学後の学習にも波及し、日々の授業、カリキュラム、学習支援等にも変容を促すかもしれない。全てうまくいくとは限らないし、検証も困難かもしれないが、大半の入学者が経験するようになった入学前教育は、入学後の教育を変革する梃子にもなり得るのではないか。
入学前教育の担当部署は、入学後の成績との関連のような単純な指標以外にも、幅広く様々な波及効果を提示できそうなデータの収集や実践上の工夫を重ねることが期待されているが、大学執行部もまた、入学前教育の効果検証の難しさを理解し、現場の努力が大学の価値向上につながるような判断や支援を行うことが期待されていると言えよう。