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アルカディア学報

No.746

パンデミックと政変後の
ミャンマーの教育と大学〈下〉

客員研究員 大澤清二(大妻女子大学名誉教授)

7 最新の統計からみる大学教育の現状

 現在、新教育制度の運営に忙しいなかで、政府は全国の大学の現状把握にも熱心である。現場の大学から上がってくる新しい統計情報を収集してまとめることは本省の日常的な業務の一つになっている。教育省の所管大学は50校でこのうち47大学がキャンパスベースであるが、学事統計などの報告に消極的な大学もあるらしい。この中にはインフラの整備が進んでいない地域も含まれており、電気設備が十分でない大学もあるため、電話連絡で報告を受けることも少なくないという。
 下表はこうした状況で教育省が把握している2023年1月中旬の統計である。現在の政権下でも各省がそれぞれの大学を所管しているが、下表によれば教育省管轄のヤンゴン大学やマンダレー大学などのキャンパスベースの大学47校では登録者数は第1学年から博士課程までで22万713人である。このうち実際に授業の受講登録した学生は10万9486人、49.6%と半数である。残りの半数は在学したまま授業を受けていないわけで、日本では考えられない事態である。この理由には、現政府に対する反抗のほか、志望先と異なる学部などに振り分けられたことに対する不満なども考えられるが、いかにも多い。
 さらにこの受講登録者のうちで授業に出席した者の割合は88%であるから、概ね授業登録した学生は登校して授業に出席しているといえよう。この数字は政変以前と大差はない。政変前では第1学年だけの比較では、2万1571人のうち1万7155人、79.5%の出席率であるのに対して、現在は3万3652人中の2万8429人、84.5%が出席しているので若干現在の方が出席率は高いわけである。しかしここで気になるのは落第率の増加である。政変前の落第者は2万1571人中の40人、0.18%であったが、2022年は4615人、13.7%に急増している。この理由を様々に推測することはできるが、現在が大混乱の直後であって、大学の雰囲気が沈静化してくることでこの数字は徐々に改善してくると思われる。
 ミャンマーでは日本と同じように大学入学後に学生証を受け(enrollment)、科目登録をした者(registered)
が授業に出席できる。下表の統計では、入学者の半数は大学に籍を置いているだけで、授業を受けていない。そこで出席率の定義をどうするかが問題となる。出席者数を分子として、分母をenrollmentにすべきか、
registeredにすべきかが議論の分かれているところである。
 ミャンマーでは学業成績によって学生を第3学年次にオーディナリクラス(ordinary)とオナーズクラス(honors)に分類する。表中の「オナーズ1」は第3学年の優秀クラスという意味である。「オーディナリー」クラスは第4学年で卒業となり、「オナーズ」クラスは第5学年で卒業して学位はBA(honor)となる。そのなかでさらに「クオーリファイド」qualifiedに分類されると修士課程に進学できる。徹底して学業成績が学位、学歴に反映しているのがミャンマー社会である。表にはこれらの統計を示してあるが、混乱期直後の統計でもあることをご理解いただいた上で読んでいただきたい。
 以上、簡単に統計を概観したが、なかでも第1学年の授業登録者が政変前の80.4%から50.0%に下落したことについて次のような解釈が可能であろう。厳しい大学入試を通過して念願であった一流大学に入学できたことは喜ばしい。むろん大学には行きたいが現政権下で通学することには躊躇がある。そこで、とりあえず学生の身分を確保した上で、大学には登校せず、政権が変わるまで待ちたい、という若者が非常に多いということである。ミャンマーでは大学入試を通っても、その年に入学しておかないと将来とも学生になれないのである。

8 大学カリキュラム

 基礎教育のカリキュラム改革では、新制度となって新たに生まれた12年生においては、現在大学で教えている内容の一部を高校で学んでいる。そこで現在の大学のカリキュラムも修正しなければならない。このために教育省は各大学の学長にカリキュラムを修正するように指示している。教育省は今後第3学年以上では、演習などに時間を割きたい意向である。そのために、基礎教育の新カリキュラムにあわせ、大学のカリキュラムを変えるための委員会をつくって検討中であるが、現時点では何も決まっていないらしい。中には4年制を3年制にしたらどうかなどという案もあると聞くが、それを含めて未決定であるとのことである。
 また、新制度ですべての教員養成校(全国21校)が3年制から4年制に変更されてから2年が経過した。この場合もカリキュラムの修正が必要であるが、まだ作業は終了していないようであり、現在は新たに加えられた4年生の新カリキュラムを作成中とのことである。

9 マトリキュレーション試験の動向

 ミャンマーの大学教育で必ず触れなければならない事項に全国一斉の大学入学試験がある。既に本紙において、2020年1月と2022年1月にこのマトリキュレーションテストの概要と当面する問題点については触れたので、詳細については繰り返さない。
 ミャンマーでは大学の新学期は12月初旬に始まるが、今年度は11月に始まり3月初旬に第1学期が終了する。第2学期の開始は未定であるが、それまでにはマトリキュレーション試験を実施しなければならない。
 過去2年間の混乱のなかで同テストは変則的な施行となったが、さしあたって今年度は6月に行うことになりそうである。今回のマトリキュレーション試験は旧カリキュラム最後の試験となる。受験希望者は試験の3か月前に申し込むことになっているが、1月現在で、申請数は10万人を超えその後20万人になったらしい。昨年は難関といわれる工学部や医学部も例年よりは入りやすかったという評判であったが、今年も旧課程最後ということもあって、これらの人気学部を含めてヤンゴン大学やマンダレー大学などの有名大学も入りやすいのではないかと関係者は語っている。これらのキャンパスベースの大学に行くためには、マトリキュレーション試験に合格した年に入学しなければ入学資格を喪失してしまうから、とりあえず入学し、時節をみて登校しようという傾向は今年の受験者にもみられるであろう。
 このテストに関しては、近年ではテストの内容や科目、制度自体の見直しが徐々に行われ、不合格者にも高卒資格を付与するという改革がなされたところである。(以前は、このテストに不合格になると大学にも入れず、高校も卒業できないという制度であったが、これは改善されたわけである。)
 また、受験科目のうちミャンマー語、数学、英語は必須科目で、物理、化学、生物、地理、経済、歴史、選択ミャンマー語が選択科目となっているが、例年、このうちの選択ミャンマー語はほとんど受験者がいない。昨年も全国で1桁の受験者数であった。この状況からは合理的に考えれば、選択ミャンマー語を受験科目から外すべきであるということになるであろう。しかし大学にはミャンマー語、ミャンマー文化、ミャンマー文学に関する専門学科が設置されており、国としてはこれらを保存する意味からも、軽視できないという。大学でこれらを専攻する学生もほとんどいないという現実は気がかりではあるが、それでも選択ミャンマー語は選択科目から外せないということである。

10 得点の調整

 マトリキュレーション試験の得点調整は試験問題を作った教官の権限で可能である。試験問題の難易度を考慮して、加点して合格者を増やしたり、成績優秀者(Distinction)を調整できるという。
 得点調整は昔から行われていたらしい。かつては採点表に学生の名前や登録番号が書いてあったので、親などの強い要請で答案の修正が行われたこともあったと聞くが現在は識別のためだけのコード番号しか書いていないので、むろん答案の主は分からなくなった。
 かつて生物科目でカンニングが発覚したこともあった。ある受験会場の生物の試験で全員が成績優秀者(Distinction)になったので、どうもおかしいと言うことになり、調査の結果、全員を不合格にしたことがあるという。
 2024年以降も政府はマトリキュレーション試験制度を続ける意向である。日本のように各大学が入試を行うことはミャンマーでは現実的ではないという。理由は、大学はすべて国立大学であること、国内の交通手段が不十分で、すべての受験生が志望大学へ受験に出かけることは現実的ではないという意見もある。
 学制改革に対応した新しいマトリキュレーション試験は、2024年3月に実施されよう。このためには2年前の現時点でその概要を公表すべきであるが、まだ手は付けられておらず、今日に至っている。新学期が始まる6月までにはアナウンスしたいところである。
 今後のマトリキュレーション試験に関する議論は、試験科目の内容の議論だけではない。大学入試制度をどうするか、大学教育の期間や、内容をどうするかという大学制度自体にかかわる大きな問題にも発展する可能性を指摘する声もある。近未来の新政権はこれらの諸問題とも向き合わなければならない。

11 外国留学への関心

 ヤンゴンの日本大使館前にはしばしば長蛇の列が出現する。その多くが日本留学志望者である。
 筆者のところにも個人的に留学を希望する方からの問い合わせがあるくらい、海外留学希望者が多い。経済的余裕があることはむろんであるが、日本人の友人や、近親者に日本在住者が居るなどの手蔓がある人は、政府高官の子弟を含めて留学に強い関心を示す傾向である。政変以来の1年半で100万人を超す失業者が出て、大学を卒業してもほとんど安定的な職業に就けない現状では、若者が海外に希望を託すのはやむを得ない。留学する際の希望分野はほとんどが実学指向のようである。それはミャンマーの学校教育が極端なくらいいわゆる主要科目に限られており、実学を軽視してきたことにも原因があろう。保健体育、美術、音楽、職業家庭科などはこの国には居場所がなかったのである。
 筆者はミャンマー教育の桎梏はこの実学軽視の制度にあると感じている。筆者が共同研究をしている国境省所管の民族発展大学ではこの反省からか、これら実学に特に熱心に取り組んでおり、学生たちは5年間、全寮制で農業、伝統工芸を含む工業、民族衣装を含む家庭科、音楽、美術、保健体育をみっちりと学習している。政府や一部の大学には、実学重視の問題意識が明確に存在しているようである。
 最近、筆者に留学相談をされた2名はいずれも政府関係者の子弟ですでに大学を卒業していたが、そろってアニメーションの制作技術を日本の専修学校で学びたいというものであった。そこで実際の美術的なスキルを拝見したところ、美術教育を全く受けていないレベルの作品であったので、改めて基礎訓練をお願いした次第である。
 ミャンマーで今年実施される日本語能力試験(JLPT)に向けた願書がヤンゴンで販売されたところ、2万5868通にも達したという(1月8日付、グローバル・ニュー・ライト・オブ・ミャンマーより)。日本がミャンマーの若者にとって今もなお、憧れの国であるのは嬉しい。
(おわり)