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アルカディア学報

No.745

パンデミックと政変後の
ミャンマーの教育と大学〈上〉

客員研究員 大澤清二(大妻女子大学名誉教授)

1 ミャンマーの概況と学校教育

 2021年2月1日の政変以来、権力を掌握した国軍の暫定政権側とこれに激しく抵抗する民主派・少数民族過激派との抗争が続き、市民を巻き込んで多数の犠牲者が双方に出ている。さらに2020年春から流行していたパンデミックの影響が重なって、ミャンマーの教育界は経験したことのない混乱が2年あまりにわたって続いた。この間に公務員の不服従運動が起き、教員が軍に協力することを拒否し、全国各地の小・中・高・大学の教員の多数が学校から去った。これに呼応して児童、生徒、学生の大部分が登校を拒否するという事態が広がり、僧院学校などの一部を除いて全国の学校は一斉にほぼ休校状態となり、国全体の学校教育機能が麻痺したのである。2021年~2022年はミャンマー社会全体が感染症の猖獗と内乱状態の恐怖、不安に包まれるという想像を超えた混乱の2年間であった。
 2023年1月現在、感染症の流行はほぼ終息し、両派の抗争も徐々に沈静化してきたが、いまだにカヤー州、ザガイン地方域の一部、国境に近い山間部などから時々戦闘が報じられており、両地域内にある筆者の調査地も被害を受け、一時は住民のカレン族の人々は避難生活を続けていた。いまだにいつ混乱が完全に終息するのか予測がつかない。民主派に与する人々はその勝利を信じているようであるが、民主派が権力を武力で奪うことは果たして可能なのだろうか。もし対抗する両派が正面から衝突することを想定すると、戦力は約40対1であるとも伝えられ、圧倒的に国軍側が有利である。そこで、※少数民族勢力を含めた民主派が国軍に対抗するには、ゲリラ戦を選択することとなり、結局、泥沼化した抗争は市民を巻き込む形となっている。
 ※国軍と戦っている少数民族勢力は、主たる少数民族武装勢力7集団の内の、カレン民族同盟(KNU)の一部のグループとカチン少数民族勢力などの一部民族である。
 ASEANは数回にわたって両派の仲介を試みているが、両派の会談すら成り立たず、膠着状態が続いたまま今年8月以降に予定されている総選挙を迎えようとしている。このように不透明な情勢下でも、2023年1月現在では大都市含めて大部分の地域では市民生活は平静を取り戻しつつあり、閉鎖されていた全国各地の学校も再開されている。1月中旬の現在、教育省所管の50大学中では49大学が再開している。ミャンマーの教育はようやく蘇生に向かって動き出したともいえる。

2 ミャンマー情勢の評価

 この国の現状の評価と今後の見通しについては、当然ではあるが立場によって非常に幅が大きい。私見では、現場に近い人ほど消極的見通しを語り、高級公務員や経済界のトップは比較的前向きに時代を捉えているという印象である。財界トップのZ氏は過日、日本最大のショッピングモールとして知られる企業との商談に来日しており、希望を捨ててはいないようである。日系企業のオーナーのI氏は、現在ヤンゴンはバブル景気のように地価が急騰している、自分はヤンゴン郊外に企業用地をいま探しているところだ、とも語った。インフレーションが続き、市民(特に公務員などのサラリーマン)の生活は苦しくなっているのも事実であるが、これを積極的に評価しようという人もいるということである。
 一般的には、軍に理解を示す少数の人びとと大多数の民主派支持の人々の意見は真っ向から対立、矛盾し、双方が相手の立場や主張を強く否定している状態である。この双極的対立は社会をはっきりと分断している。大学関係者の多数は表面的な意思表示は控えてはいるが、民主派に心を寄せているようであり、一般教員は上層部に対して根深い不信感を抱いている方が多いというのが個人的な印象である。

3 総選挙

 こうした状況を打開する期待を抱かせるのが2023年8月以降に予定されている総選挙である。これは2008年に成立した新憲法にしたがって行うもので、この期を逃すと国の混迷はさらに解決が難しくなると予想できる。選挙に対しては、暫定政府、軍側は熱心に新プランを提案し、国民に理解と参加を呼びかけている。また2020年の選挙で政変の引き金ともなった問題の有権者数を正確に確定するための大きな作業が行われた。全国民の住民票のチェックを行い、有権者名簿を確定し、5100万人分の国民の情報をデータベース化したともいわれる。今回の選挙では、比例代表制の導入が検討されており、これが導入されると、2008年に憲法で設けられた国会議員の25%を国軍から選出するという指定枠に、前回の国軍系政党が得た得票率を加えると国軍系の議席は4割を超える可能性もあるという予測もある。このため、民主派は選挙が軍の権力基盤の延長、強化のために使われるとして強く反対しているのである。
 選挙の実施に当たって、日本のような選挙実施システムを持たないミャンマーでは、教員をはじめとして大量の公務員の動員が必要であるが、後述のようにその多くを欠いているのが現状である。選挙の前に人口調査を軍は行うとしているが、膨大な調査員を前提とする調査を現在のミャンマーで完遂することは難しい。
 今回の選挙も前回と同様に、民主派の勝利が予想されているが、民主派内部にも複雑な事情があり、内部対立抗争も起きている。また同時に軍との内戦参加を呼び掛けて多数の人々にばら撒かれた武器の行方とそのコントロールの弱さも心配である。

4 不服従運動と大学教員の補充

 この2年間の幼・小・中・高・大学の学校閉鎖または公教育機能の停止は、1948年のビルマ独立以来、初めて経験した大規模なものであった。
 公務員の不服従運動によって大学教員が大量に退職しており、教員は現在も不足したままである。これを補充するために国は2021年には教員の大量の募集を行った。教育省管轄下だけでも5448人と3358人の2回にわたる大量採用を行い、各教育大学はその要員訓練に追われた。さらに2022年には新たに修士課程を修了した者を100人ほど採用したので合計で1万人程度を採用したことになる。これからのミャンマーの大学はこれらの新人が担うことになるのであるが、経験が乏しい新人を対象にした研修も従来のように全国規模では行えず、現状では各大学で先輩教官が個々に新人を指導している。大学における教育方法については、ヤンゴン教育大学のスタッフがテキストを作成し、それを各大学で利用している。また教育大学の教員が各大学の教員の訓練を行い、さらに訓練を受けた教員が各大学で指導にあたるというカスケード式の訓練も行われている。
 2023年1月現在、教育界は一服して授業が再開され、原状の回復に向けた努力が続いているが、政変以降に失われた人材、停滞した教育と研究活動を回復して、新たにスタートした数多くの制度的変更に対応するには大きなエネルギーを要する。

5 カリキュラム改革と教員の負担

 基礎教育の学制改革が行われて11年制が12年制に移行し、これに伴ってカリキュラムの再編が行われてきた。この移行の中途でパンデミックが到来し、政変が起きたのである。
 現在でも新カリキュラムの編成とテキスト制作は続いており、大学教員たちにも大きな負担となっている。担当する教員は通常業務のかたわらでこれらの作業に参加し、土日、夜間も仕事をせざるを得ないという。しかるにミャンマーの大学にはほとんど事務員は配属されていない。したがって事務局の仕事やその他の雑務まで教官が分担している。ヤンゴン大学でさえ、教員以外の専任は清掃スタッフしかおらず、事務作業は教官が手分けをして行ってきたのである。

6 ネピドーに新設大学

 首都ネピドーに新設のネピドー国立アカデミー(Ney Pyi Dow State Academy)が開学した。4年制の大学であり将来的には大学院修士、博士課程も視野にいれている模様である。混乱の中での新大学設立ということで、暫定政府がお膝元の首都の大学に寄せる期待は大きい。これまでネピドーには農業大学しかなかったので、一般的な教養過程(アーツ・アンド・サイエンス)を含む大学が待たれていたとのことである。
 2022年11月に行われた開学式には政権トップのアウン・ミン・フライン氏が登壇して抱負を語っている。この大学を将来的にはヤンゴン大学、マンダレー大学に並ぶような、世界水準の学府にしようという構想である。初年度の今年は、第3学年生のみが在学している。当初の計画では365人に予定していたが入学者は200人程度になった。彼らは他大学からの転校生で、主にネピドー地域の8タウンシップに住所がある公務員の子弟である。学生寮が未完成のために、自宅から通学できる学生に限定して転入を許可したのである。この学生達は来年度は第4学年に進級し、新たに第3年学年が加わり、同時に第1学年も入学予定である。次年度はこのようにして第1、3、4学年の体制として、次次年度に全学年がそろう予定という。それに向けて教室、教育設備などを拡充してゆく構想である。こうした応急的な対応は、現在の政府ができるだけ早く人材を社会に輩出したいための措置のようでもある。
(つづく)