アルカディア学報
地方の大学にも希望はある!
地方の私立大学の究極の差別化戦略
大学の将来に暗雲が漂う中、私たちが願うのは一つである。厳しい危機を乗り越える特効薬でもあれば、それを飲んで生き延びたいということである。しかし、これは夢物語だ。地方の人口が急速に減っていく中で地方の私立大学が定員を確保することは、オアシスのない砂漠に住む人を増やそうとするのと同じだからである。しかし、韓国の韓東大学校と日本の就実大学は、夢物語をノンフィクションに変えようとしている。オアシスのない砂漠に村を作るという不可能なことを可能にしようとしている韓東大学校の「崔道成(チェ・ドソン)総長(以下:崔総長)」と就実大学の「西井泰彦理事長(以下:西井理事長)」の話を聞いてみたい。
地方私大の危機の処方箋
日本の私立大学と韓国の私立大学が直面している状況は類似している。学齢人口は減り続けており、2035年の18歳人口は首都圏よりもはるかに地方のほうが下回ることが予想される。数字だけを見ると地方の大学は残ることができるのかさえ疑問に思える。崔総長と西井理事長は対談に際し、地方の私立大学をめぐる状況の厳しさを共感しながら、まず西井理事長が日本の地方大学が置かれている状況と自らの経験を話すことで対談がはじまった。
西井理事長は、この10年の間、京都と岡山の地方大学の理事長を務めた。その間、日本では大学に在籍する学生数は大きく増えないまま、大学数は増える異常な状況になっていると指摘した。特に、財務の面から見ると、支出が収入を超過し、補助金は10%以下に減少、私立大学の運営が厳しくなっていることが日本の地方私大をめぐる状況であると述べながら、自身が京都の大学法人の理事長を務めた時の経営危機を乗り越えた経験を語り始めた。
西井理事長は京都の私大の理事長だった時、収支差額がもっとも悪化したときに理事長に就任したという。その大学は、西井理事長の前任者が人件費をカットして経営を立て直そうとしたが、労使紛争に発展し、学内の対立が激化していた。西井理事長はその問題を打開するために、就任してから、教職員に時間をかけて話し合いを重ねた。その過程で少しずつ協力を得ながら一歩ずつ紛争を解決した。そして、法人の財布に残ったお金を全部使い、キャンパスを交通の便が良い京都市内に設置し、学生を増やし、財務も改善することに成功したのである。破綻寸前の私大の再建を成功させた西井理事長の話は、対談相手だった韓東大学校にもつながる部分があった。
韓東大学校も約20年前に設立した時、大学の門を閉じる危機に直面した。しかし、大学を存続させたいと思う教職員が私財を学校の再建に投じ、さらに、保護者も授業料を先払いするなどの献身的な努力によって学校を正常化させた歴史があった。その後、韓東大学校の立地は、「浦項」という地理的な悪条件にも関わらず、独特な教育研究内容で注目を浴び、全国で注目される私大として成長させた。実際、地方の国立大学ですら定員割れが始まった中で、慶尚北道地域では唯一100%学生がうまっている私立大学として地位を確立している。それでは、韓東大学校はどのように地理的悪条件、劣悪な財政、短い大学の歴史という三重苦の中で生き延びることができたのだろうか。
処方箋は「学生第一主義の差別化」
韓東大学校のような歴史の短い大学は開校時から定員確保に苦労すると思うのが通常であろう。なぜならば、歴史のない大学に入学するのは正直高校生や保護者の目からみて、かなり勇気が必要だからである。大学側も、授業料収入を目当てに成績が低い学生でも受けざるを得ない。
しかし、韓東大学校は異なった。開校以来、定員割れが数年続く中、勉学に真面目に取り組んでいる学生のみを選抜した。そして、それだけでなく、韓国の高等教育の歴史に存在しなかった学部学科体制を生み出した。それは「学生の自由専攻設計制度」であった。今回の対談の準備段階から事前調査の過程で気になったのは、韓東大学校の他には見たことのない「学生の自由専攻設計制度」だった。西井理事長と同席した独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の森利枝教授はこの制度について崔総長に質問した。
崔総長は「学生の自由専攻設計制度」について、次のように説明した。「学生の自由専攻設計制度」は、学生たちが入学するときから通常の大学とは全く異なると前提を述べた。その上、まず、大学に入学するのに、学生は「専攻を選ばない。文系理系という区別もしない」。学部学科を決めず、学生は、1年生の時は基礎科目を習い、自分が専攻したいものを探す。2年生にあがると、自分の専攻を選ぶ。ただし、専攻は1つではなく、2つの専攻を選んで同時に進行していく。学生は1つ目は既存の専攻を、2つ目は自分で自由に設計する。
ここまでの説明ではなかなかこの制度を理解することはできなかった。大学に学部学科はあるのに、学生は学部学科に所属せず、2つの専攻を自分で授業を選んで勉強していくというのがどのように可能かと思ったからである。この疑問に対し、崔総長はさらに詳しく例を挙げて説明した。例えば、生命工学と行政学を組み合わせて「保健医療」という専攻を作ることもできる。その時、教員にその専攻を認められれば、自分で教員の指導のもとで、その専攻に必要な科目を卒業単位に合わせて履修することができる。この説明を聞くと、再び疑問が生じた。
"学生が単位を取りやすい科目だけを組み合わせることもあるのではないか"ということであった。これに対して、崔総長は、"2つの専攻を認めた教員が学生の履修と学習の方向性をコントロールしているため、学生が簡単に単位取得を目指すことは難しい"ということであった。つまり、教員は学部学科に所属しているが、学生は学部学科に所属しない。そのため、形としては学部学科があるが、学生は学部学科に帰属されることなく自由に専攻を設計することができるのである。そして、その専攻の内容に関連する学士の学位をもらうことができるのだ。このような「学生の自由専攻設計制度」は、大学が主導で授業を学生に提供するより、学生が学びたい内容を自由に学べるということで他の大学と明らかな差別化を実現したのである。
しかし、韓東大学校の他の大学と異なる独自の教育プログラムはこれだけでない。唯一無二といえる韓東大学校だけの特徴は、韓国の弁護士資格ではなく、アメリカの弁護士資格を取れる「国際法律大学院」の設置と運営である。
韓東大学校の「国際法律大学院」は、グローバル時代を先導する国際的法曹の養成を目標に、2002年に開校した。それ以来、現在まで卒業生の約70%以上が米国弁護士試験に合格するなど、国内外の海外法務分野で大活躍している。韓東大学校の国際法律大学院は、米国ロースクール教育課程と同様に運営し、全員米国での弁護士経験がある教授陣から100%英語で授業を受けている。また、在学期間にローファームおよび企業法務チーム、政府機関、NGOなどでインターンシップ活動を行い、理論的知識を実務に反映する能力を形成している。実際、直近3年間で米国弁護士資格を取得し卒業した学生数だけでも100人余りを越えるほど国際法分野の名門ロースクールとして地位を確立しており、2002年以後排出された累積弁護士数は536人に達する。
多くの韓国の大学が、韓国国内の弁護士を育成するロースクールの設置に集中する中、初めからグローバル舞台で活躍する弁護士を育成するという差別化で、英語で勉強し、アメリカの司法試験を受けて弁護士資格を取得する道を生み出したのである。特に驚くのは、単に形だけではなく、合格率が卒業生の70%と高いことが表すように、教育内容の斬新さと結果の両方を実現しているということである。それでは、地方の小さな私大の韓東大学校が他の大学ではマネすらできない組織と教育を創り出すことに成功したのだろうか。
地方という弱点を強みへ
西井理事長の京都の私大の再建の努力は就実大学でも続いている。特に、西井理事長が力を入れているのは、人口が減っていく中で大学が生き残るためにまずやるべきこと、すなわち、財務の健全化に力を入れている。「アリとキリギリス」の物語でも見られるように、大学の冬の時代を見据え、着々と準備しているのである。これはどの大学もやっているだろうと思いがちだが、意外にアリのような大学はそんなに多くない。それはなかなか学内の構成員から今財布の紐を絞めることに理解と同意を得るのが難しいからである。その意味で、就実大学の西井理事長は、話し合いとリーダーシップによって10年後の冬の時代に生き残るための準備をしている。
一方、韓東大学校の崔総長は、大学の建学理念でもあるキリスト教の信仰のもと、学内の構成員が一丸となり、掲げた教育研究の目標の実現に取り組んでいる。例えば、グローバル人材育成という目標を本気で取り組んでいるのだ。グローバル人材の育成はほとんどの大学が掲げているキャッチフレーズだが、多くの学生が実際に真のグローバル人材として形成されるケースはそんなに多くない。
しかし、韓東大学校は、法律大学院がアメリカの弁護士資格を取ることが象徴的であるが、これだけでなく、授業のうち「40%」を英語で実施している。さらに、普通に国内用の教科である韓国関連科目も「グローバル韓国学」という形で作り出している。このように名前だけでなく、グローバル人材のアウトプットを生み出すことが他の大学との差別化を実現させている。
もう1つは、学生の成功を第1に考えて、首都圏の大学では実現できない学生の知と経験の満足感を学生が実感できるようにしている。崔総長は、「学生第1主義」に基づく授業を展開している。この授業は「ハイテク・ハイタッチ」と呼ばれている。詳しくいうと、これからの時代、教室で行う講義はなくなると同時に、教授が全部の知識を持っているという理に叶わない固定観念から脱皮し、ハイテクの技術を活用し、学生と教授が空間に縛られることなく、さらに自分の頭の中にある知識だけに依存することなく、一緒に話し合い、調べて、学んでいく授業を展開しているのだ。そして、今、この成果は、表面的には企業の評価、就職率と産学連携事業の競争的資金の獲得などから確認でき、内包的には韓東大学校の一人一人の考えからその様子を伺うことができる。対談が終わる頃、崔総長は話した。"今の時代は、1年生の時に学んだ知識が4年生になるとゴミになる時代であり、大学は人口減少と最新知識の入れ替わりの早さから、全てにおいて、もはや過去の常識が通じない時代を迎えている"と。
この話を聞いて、ある考えが頭によぎった。地方の私大が、人口の面では不利なことが間違いない。しかし、新しい時代に必要とされる「知」とは何かを問うと、その答えをまだわかっていないのは首都圏の大学も、地方の大学も、国立大学も同じであろう。これからの大学が学生に提供する「知」の形の姿を知らないのは、全ての大学が答えを見つけていないという点で共通しており、ある意味、公平な状況であるといえる。そうすると、大学で過ごす4年の時間のうち、1年生で学んだ知識が4年生になった時ゴミにならない知を得ることができる教育研究環境を醸成することができれば、地方の大学でもその存在価値を認めてもらうことができるのではないだろうか。特に、今のように教室で学ぶことが意味のない時代であると尚更だ。つまり、もうこれ以上失うことのない地方の私大が過去の知識の伝授や組織のあり方に束縛される必要はないのである。
しかし、問題は、まだゴミとなる知識の伝授を諦める勇気がないことだ。処方箋が出されてもその袋を開けることを面倒臭がる大学の風潮が変わるかということである。
いずれにしろ、崔総長と西井理事長は証明している。地方の私立大学にも処方箋はある。ただし、問題は、その薬を飲む選択をするかどうかだ。