アルカディア学報
経営管理学修士から美術学修士へ
サイエンスからアートへの転換を示唆
はじめに
筆者は、本紙『アルカディア学報721号』(2022年4月20日付)で、論稿「文理融合を促すリベラルアーツ教育~STEMからSTEAMへ」を寄稿した。その意図するところは、ITやデジタル化の急拡大を受け、デジタルトランスフォーメーション(DX)の考えが注目されるようになったからである。これは、デジタル化の恩恵を受け、どのような影響を受けているかをアセスメントするもので、教育におけるDXもその一つである。文科省の学修者本位の教育の実現は、そのバロメーターである。
さらに、突き詰めれば、ITやデジタル化だけで大丈夫なのか。人間教育を蔑ろにしないかとの危惧があり、原点に戻って、リベラルアーツ教育のあり方が注目されるようになった。
今後、AIの時代が本格的になると考えられる現代では、ビジネスをただ論理的にとらえるだけではなく、直観的に物事をとらえる感性や、物事を解決するための創造性が必要になると考えるようになった。実際に、ビジネスの現場では、高いレベルで芸術的な思考を備えたMFA(美術学修士)保有者が貴重な人材として評価されはじめているとの記事もある。(出典:ベネッセ海外進学・留学ラボ『海外大学進学情報(2019年4月5日)』「今話題のアートの最高学位『MFA(美術学修士)』とは?」(https://www.benesse-glc.com/lab/blog/jyouhou190405)
たとえば、2000年代初頭ころから、アメリカの実業界において人材重用の変化が見られはじめた。すなわち、MBA(経営管理学修士)型人材からMFA(美術学修士)型人材への需要の遷移がそうである。ビジネスにアート?と疑問符が浮かばれるかも知れないが、実際に現在、世界のエリートたちの間に、すでにMBAの価値が急落し、台頭するようにMFAの人気が高騰していると紹介する記事もある。(出典:有限会社ズームBLOG長谷川駿介「『MBA(経営管理修士)からMFA(美術学修士)へ』サイエンスからアートに近づく現代ビジネス」(2021年9月1日)(https://zoom-design.jp/blog/notes/post-2475/)
一体なぜ、そのようなことが起こったのだろうか。本稿では、新たな視点から文理融合の世界的な動向を紹介する。
経営管理学修士(MBA)とは
MBAとは、日本のビジネス業界で知らない人はいないほど、普及・拡大している。「経営管理学修士」よりもMBAの響きにインパクトがあるのは、それが海外の大学で授与されることから、ビジネス界において「ステイタス」を高めているからである。
その歴史を辿ると、アメリカで1881年に設立されたウォートン・スクールが世界初のビジネススクールであるとされている。その後、1908年に設立されたのがハーバード・ビジネス・スクールで、現在のMBAの基礎が作られたといわれる。ウォートン・スクール設立から35年後の1916年、MBAプログラムの認証を行う国際機関ができ、現在の発展につながっている。このウォートン・スクールをモデルとして、2000年1月12日に設立したのが、シンガポールマネジメント大学である。
美術学修士(MFA)とは
前掲のベネッセ海外進学・留学ラボ『海外大学進学情報』によれば、昨今、ビジネス業界においては、論理的なスキルだけでなく感覚的・直感的な創造的思考が重視される傾向があると言われる。たとえば、Apple創業者スティーブ・ジョブズやYouTubeチャド・ハーリーなどのビジネス界の中心人物がアートを学んだことはよく知られる。ビジネスにアート感覚を加えるメリットを訴えた関連書も多数出版されている。そのような世界的な流れの中で、とくに近年、アメリカではMFA is New MBAということばが注目を集め、MFAをもつ人材が求められていると紹介している。
この言葉は、2008年のニューヨークタイムズに掲載されたアメリカの著名作家ダニエル・ピンクのインタビュー記事で一躍話題になった。もともとは、彼が2004年のHarvard Business ReviewでThe MFA is the New MBAと題する論文を発表したのが最初であった。すなわち、15年以上も前から提唱されていたが、そのことばは色あせるどころか、今日のビジネス界においてますます大きな存在感を放っている。
ダニエル・ピンクは、「ビジネスマンには機械にはない人間独自の能力が重要となること」、そして「その独自の能力とは創造性の他にないこと」から、先の「MFA(美術学修士)は新しいMBAである」と紹介し、現代のビジネスにおいては、アートの力を持つことが経営学を学ぶことに匹敵、もしくはさらに重要になっていると紹介している。
MBAの失墜とMFAの台頭
前掲の長谷川駿介氏は、MBAは経営全般の基礎知識の習得から論理的思考や問題の分析・解決力、他者とのリレーションシップに関わる全般的な能力が学べる実践的な学位であると紹介している。その性質上、経営者やマネジメント階層などのビジネスリーダー、あるいはコンサルティング業を営む者に極めて価値の高い学位であり、世界中の大学院やビジネススクールで履修課程が提供されている。そんなMBAが失墜の憂き目に晒されるようになったのは、いつからなのだろうか。多くの経済学誌にも記事や論文を寄稿しているダニエル・ピンクの分析によると、キーワードは「アジア」と「オートメーション」なのだと言う。ピンクによると、MBAのような「『左脳的技術』~論理的な思考能力」は、現代において容易にオートメーション化が可能であり、そのため海外の安価な労働力へのアウトソーシングが盛んに行われるようになった。例えば、投資銀行はインドでMBAホルダーを雇い、財務分析やレポート作成を任せている。エリートの代名詞だったMBAは、このようして失墜したと紹介している。
長谷川氏は、それに台頭してMFAが注目されはじめたのは、どのような理由があったのかについて、次のように述べている。
2000年代初頭は、Appleのプロダクトが世界を席巻した時代である。世界的な戦争が終わり、恐慌を乗り越え、インターネットによる技術革新を迎え、中流以下の階層にもある程度モノが豊かに行き渡り、供給過剰の様相を帯びた市場環境で、製品の差別化に「見た目の美しさ」や「独自性のあるコンセプト」が必要だと、広く認知が拡張されはじめた時代である。
おわりに なぜ、今「MFA」を求めるのか
彼は、続けて、アーティストの思考プロセスからビジネスを学ぶ理由は、MBAのような能力~ダニエル・ピンクの言葉を借りると「左脳的」な能力は、今あるシステムを上手く回したり、問題を分析したりして解決することを極めて得意とする一方、新しい価値・意味・概念を生み出すことを不得手とする。例えば、白紙のキャンバスを渡され「そこに新たな世界を描け」と言われてもMBAホルダーにそれはできない。そのようなことが可能なのは、MFAホルダーである。
絵を描けることがビジネスとどう関係があるのかと不思議に思われるかもしれないが、現代のビジネス界において「何もなかったところに新しい世界を創る」能力がいかに有用か。新しいビジネスを創り上げるプロセスは、画家が白紙のキャンバスに絵を描くプロセスと、音楽家が楽譜を書き上げるプロセスと、小説家がストーリーを綴るプロセスと、映画監督が映像作品を創り上げるプロセスと一緒である。
以下は、長谷川氏からの引用である。
「画家も音楽家も小説家も映画監督も彫刻家も漫画家も陶芸家も、当然のように『何もなかったところに新しい世界を創る』ことを生業としている。これからの時代、分析や解析などの論理的な能力はますますオートメーション化、デジタル化が進んでいく。そんな中、生身の人間にしかできない工程とはなんだろうと考えると、それはきっと無いものを想像する、無かったものを創造する、クリスタライズする工程だろう。世界のエリートたちがMBAを捨てMFAを学ぶ真意は、その気づきによるところが大きいと私は考える」
しかし、現状はどうであろうか。政治家や教育関係者は、年間授業時間を増やし、理数系の授業に力を入れ、コンピューターなどのテクノロジーを教室に導入し、テストの回数を多くし、教員に必要な資格の数を増やし、逆に、芸術のような文系の予算を大幅に削減する傾向にある。世界の潮流を考えると、これは正しい選択といえるだろうか。
これからの時代は、「問題解決(治療)」よりも、「問題発見(予防)」が重要であることは、新型コロナウイルス感染拡大の現状からも明らかである。