アルカディア学報
自己点検・評価が不可欠―大学から見たNEASC大学評価
本紙平成14年4月3日号のアルカディア学報における私学高等教育研究所・喜多村和之主幹の「基準認定の意味と役割」、翌週掲載の鋤柄光明研究員の実地調査報告「調査団から見た大学評価」によって、大学評価の方法としての訪問調査の内容と方法はご理解いただけたと思う。
筆者のここでの報告では、アクレディテーション更新の過程で行われる訪問調査に際して、できるだけ受入れ大学側の立場に立ってその要点を記しておく。鋤柄氏の報告のちょうど反対側の立場の報告ということになる。
訪問調査団のオブザーバーとして訪れた大学は、創設の歴史は浅く、法学大学院、文理学部、ビジネス学部、工学部をもつ総合大学である。古い歴史をもち、小規模で人間形成を主眼とするリベラル・アーツ大学の多いニューイングランドにおいて、あるいはアメリカを代表する優良大学がひしめくこの地域においては、まさに何らかの自己主張をしなければ生き残れない大学である。その自己主張こそが、大学の存在理由である。成人向けのプログラムをボストン市内を中心に17か所ものオフ・キャンパスで展開していることをみれば、この大学の存在理由と戦略は明瞭であろう。
さて、この大学がアクレディテーションを受けたのは5年前のことで、今回の更新は2002年の3月17日からの4日間が訪問調査団の受入れ日程ということであった。大学が調査団を迎える準備をはじめたのは、2000年秋のことである。まずニューイングランドNEASC(NEASC)の開催するワーク・ショップにプロボスト(教育担当副学長)と大学側委員会のふたりの責任者がこれに加わる。この時点から、学内でセルフ・スタディ・レポート(自己研究報告書)を作成するチームが徐々に組織化される。このセルフ・スタディこそ、アクレディテーションの過程でもっとも重要で不可欠のものである。日本では早くも形骸化してしまったような自己点検・自己評価が、アメリカではアクレディテーション過程では決定的な意味をもつものとして現在に至っているのである。
自己研究報告書は、NEASCの指定の書式とマニュアルに則り、全100頁以内で作成することになっている。大学はこの報告書を作成するためにコーディネータを選任し、財政学の女性教授がこの責任者となった。NEASC発行のセルフ・スタディ・ガイドやセルフ・スタディ・ワークブックなどを参照しながら、コーディネータの統率のもとにNEASCの定める11の評価項目ごとにチームを編成する。NEASCは数値による基準をあまり設けていないので、当該大学の使命と目的に照らして各項目を文章によって精査するのである。従って、学内では何度も何度も会合が開かれ、インターネットで意見が交換され、文章は練りに練られ、推敲されやがて報告書ができる。つまり報告書は安直には作成できないのである。なぜならそれは訪問調査団によって徹底的に読まれ、批判的な眼にさらされるからである。こうして報告書は、2002年の早い時期に完成されて調査団を待つ。
報告書の原案を作成する段階で加わった教員は約60名、職員約20名。この大学の専任教員数のおよそ3分の1がこのチームに加わったことになろう。このことが自己評価の重要な一面である。これだけの人員が自分の属する大学を冷静に見つめなおす機会を得たことが大切なのである。
大学が訪問調査団に備えて用意するのはこれだけではない。この自己研究報告書を作成する過程で集めたすべての情報は、調査団のために図書館などに備え置く。コンピュータに入力されていた統計も利用可能としておく。すべての情報は、訪問調査団のために評価項目にそって11項目に分けられボックスごとに整理される。ボックスは16箱であった。ボックスのなかには、自己研究報告書の他に大学カタログ、法学大学院カタログ、教員ハンドブック、学生ハンドブックや大学年報あるいは各種印刷物などである。非常勤講師の略歴などもあった。用意された調査団の部屋には団員がすぐ利用できるようコンピュータ、コピーカード、文房具類、電話やファックス、飲物などなどが準備されていた。
訪問調査団は大学到着前に評価項目のうち、自分の担当部分をそれこそ丸暗記するほど読みこなしており、その内容に疑問を感じれば、用意されたボックスから資料を探し照合し、必要であれば大学に資料の提出を求める。なんといっても筆者にとって圧巻であったのは、調査団が大学の各部署を訪ねてインタビューを繰り返すさまである。まさにここに訪問調査の神髄がある。大学側は、まず調査団のインタビューに応じるスケジュールを調査団到着前におおむね30分から1時間単位で作成しておく。しかしそのスケジュールは2日目の朝には改定され、午後にもまた改定され、ついにその改定は6回に及んだ。例えば、大学事務局のキー・パーソンである財政・管理運営担当の副学長は、初日の夕食会に顔を出した後、2日目の午前10時、11時、3日目の午前9時、午後3時、4日目午前11時、という具合に時間を割く。こうして調査団員がインタビューを繰り返して自己研究報告書の記載に問題がないか疑念を晴らしていく。
筆者も調査団の一員として、学長などを対象に合計12のインタビューに加わり、うち2回は筆者のみのインタビューとなった。大学側の教員や職員は、多くはひとりでこれらに対応し、場合によってはスタッフの助けを借りて対応していたが、ほとんどは資料ひとつ用意せず自信をもって回答をしていたのは印象に残っている。もちろん返答に窮する場面や、大学側の弱点を素直に認めるなどのことがあったが、それはまさに大学をよくするにはどうすればよいかを巡って交わされる大学人同士の会話である。単に相手の弱点を突いたり、弱みにつけ込んだりする会話ではなかったことは確かである。
4日目、最終日の午前11時、大講義室に教員、職員、あるいは学生までおよそ100名が三々五々集まる。壇上には訪問調査団全員が座るテーブルが用意され、ここに団員が座って調査団と大学側との全体集会が開催された。パブリック・エクジット・セッションと呼ばれるこの集会は、学長の挨拶、訪問調査団長の挨拶、次いで壇上の調査団の各人が各評価項目についておよそ10分間ほど口頭発表する。その全体的な評価、大学の優れているところ、問題があると指摘できるところなどについて発表するのである。その際、大学側の教職員からは、一言の質問も許されていなかった。
つまり、ここでは調査団の団員も、誰より自分の大学のことを愛し、大学のことをよく知る教職員の前でその評価を発表するのであるから、団員の各項目評価の当否は自ずと厳しく問われるのである。しかも団員の報告内容は、訪問中の夕食後や朝食前、あるいは真夜中に執筆されたのであろうか、すでに推敲を経た文章になっていた。まことに団員にとってもハードな日程であったことが窺い知れる。こうして団員全員の発表が終われば、大学側は盛大な拍手で訪問調査団を送り出す。握手を交わしてお互いの労をねぎらう時間はなく、また三々五々、学内の仕事に戻っていく。
大学を去る安堵感が満ちたバスのなかで、調査団員たちは自分たちの団長を評価し、団長もまた団員を評価するということが話題になった。ここには厳しい評価社会の一面を感じざるを得ないが、そこには、そのようにしなければ政府や他の機関が自分たちの大学を不当に評価しはじめるのではないかとの危惧がある。大学の評価は大学人が、というプロの世界では当たり前のことが、ここでは見事に完遂されているのである。アクレディテーションとは部外者からはなかなか窺えない世界ではあるが、まさに自律した精神に支配された世界であると筆者には感じられた。自律した精神をもつことこそ日本の私学人に求められているようにも思えた。