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アルカディア学報

No.717

学校法人の“特殊性”を考える
真に実りあるガバナンス改革のために

客員研究員 合田隆史(尚絅学院大学学長)

 昨年12月に公表された学校法人ガバナンス改革会議報告書「学校法人ガバナンスの抜本的改革と強化の具体策」に対し、私学団体等からの問題点の指摘を受け、文部科学省では、学校法人制度改革特別委員会を設けて、改めて法改正の内容等について検討を進めていることは周知のとおりである。
 改革会議報告書の問題点については既に多くの論考があるので繰り返すことは避け、本稿では、主として大学を念頭において、学校法人については「なぜ他の公益法人と異なる制度設計が必要なのか」、言い換えれば、「学校法人の特殊性」という点に絞って考えてみたい。この点は教育関係者の間ではいわば自明のことではあるが、この点について明確な理解を得ておくことが、具体的な制度設計を進めるうえでの基本的な前提として極めて重要であると考えるからである。
 学校法人の特殊性は、何よりもまず学校法人が学校の設置運営、つまり学校教育の提供を目的としているというところに求めるべきであろう。いいかえれば、学校教育は、社会福祉法人や他の一般の公益法人の行う活動とどこが違うのか、ということである。教育の真価は本来目に見えない価値に関わるものであるが、本稿では、できるだけ抽象的、理念的な議論となることを避けるため、あえてその実際的効能に関する3つの研究成果を手掛かりにして考えてみたい。
 まず吉本2010は、日本労働研究機構が1992年と1998年に実施した調査、および1998年から99年にかけて日欧11か国で実施された調査から、
 ①年齢が高いほど、つまり就職後の年数が多いほど「大学の知識・技術の不必要な仕事」を経験した者が少なくなり、「大学の知識・技術と関連する仕事をした」者が多くなっていること(大学教育の遅効性)、 
 ②「遅効性」という点では共通していても、国によって、つまり社会的条件によってその現れ方に違いがあること
―を指摘している。
 次に、矢野2015は、5大学の工学系卒業生約3000人を対象とした調査結果から、次の点を明らかにした。
 ①卒業時の知識能力が所得に与える直接効果は統計的に有意ではないが、卒業時の知識能力は現在の知識能力に貢献しており、現在の知識能力は所得の向上をもたらしている。
 ②同様に、在学中の一般教育、専門教育等に対する熱心度も、卒業時の知識能力を高めることを通じて、間接的に所得の増加をもたらしている。
 ③しかし、大学時代に熱心に学び、卒業時の成績がよくても、その後学びを継続せず、現在の知識能力に結び付いていなければ、所得にも結び付かない。
 これらのことから、矢野は、大学時代に学習に熱心に取り組むことによって培われた「学び習慣」が現在の学習や能力を支え、その成果が所得の上昇となって表れる、とし、この仮説を「学び習慣仮説」と呼んでいる。
 第3に、本田他2018は、①25歳から34歳の社会人を対象に行った質問紙調査、②大学3年時点から卒業後2年目までの同一の対象に対するパネル調査、③パネル調査の対象者の一部を対象として行った聞き取り調査から、いわゆる「文系」大学教育の職業的レリバンス(卒業後の仕事の遂行に関する「スキル」形成への貢献度)について、
 ①大学教育が仕事の役に立っているかの認識は、性別や職業、教育の内容・方法、専攻分野等によって異なる。教育方法の双方向性と内容的な「レリバンス」(教育内容が学生の将来にとってどれほど関連のあるものとして設計されているか)が、学生の大学4年時及び卒業後のスキル形成に貢献している。
 ②大学4年時の専門スキルは、卒業後の仕事スキルとの間で、統計的には直接・間接の関連を有していないように見えるが、個別の聞き取り調査の結果からは、在学時には意識されていないが卒業後1、2年の段階で、大学時代に身につけた力が仕事に役立っていると認識されている。
 ③大学での学びは、専門的な知識やスキルのほか、「学習観の転換」(100人いれば100通りの考え方がある、など)や「習慣の変化」(情報が自分の網目に引っかかる、網目が細かくなった、など)、「生涯学習の必要性」(資格を取る、参考書がないので自分で調べる、など)にも寄与している。
 ―等の諸点を指摘している。この第3の点は、矢野の「学び習慣」仮説を補強するものともいえよう。
 これらの研究成果から明らかなことは、大学教育の成果は事後的に発揮され、評価されるものであり、現在の利用者である学生にとっての現在価値(在学中の成績や満足度)だけでは十分評価できないものであること、しかも、その評価は、評価の時点およびそこに至るまでの様々な内的・外的条件に依存するものであることである。
 このような大学教育という営みの性格、つまり、それが単に現在の生活やその質の維持改善という以上に、個々人や社会の未来のより良い在り方を直接の目標とするものであり、したがって不確実な、まだ見ぬ価値に関する自己責任を伴う選択の問題であるということは、教育においては、その現時点での外面的な形態以上に、その背後にある精神―その教育が将来において何を実現しようとしているのかという理念―が重要であることを意味している。
 さらに、将来の社会が多様な人々の多様な価値観を包摂し、尊重する「価値創造社会」であるとすれば、これを支える教育システムも、それぞれの理念・目標において多様な教育機会が提供され、多様な選択を可能にするものであることが必要である。それは、今後予想される不確実で急激な変化に対する社会のレジリエンスを強めるうえでも重要な条件である。学校法人にとって重要な「多様性」とは、単にその設置する学校の種類や規模、定員充足状況の多様性を意味するものではないのである。
 不祥事はあってはならないし、学校法人が公共性の高いものであることも言うまでもない。チェック・アンド・バランスの仕組みは重要である。しかし、それは、学校法人のガバナンスの仕組みが他の公益法人と同じ仕組みでなければならないということを意味しないことも当然であろう。
 これからますます経営環境が厳しさを増すことを考えれば、各学校がそれぞれの理念・目標を前面に出した、積極的な「攻めのガバナンス」が今まで以上に重要になると思われる。
 そのような中で、今後のガバナンス改革に関する議論が、教育という営みの特性に由来する学校法人の特殊性を踏まえ、私学の建学の精神と多様性の尊重を基軸にして展開されることを願うものである。
《参考文献》
本田由紀他2018、『文系大学教育は仕事の役に立つのか 職業的レリバンスの検討』ナカニシヤ出版
矢野眞和2015、『大学の条件―大衆化と市場化の経済分析』東京大学出版会
吉本圭一2010、『柔軟性と専門性―大学の人材養成課題の日欧比較』広島大学高等教育研究叢書109