アルカディア学報
私学は「標準」型、多様性こそ命
グランドデザイン答申の精神に立ち返ったガバナンス改革を
私学は大学制度の「標準」型である。
何を荒唐無稽な、と思う向きもあるだろうが、虚心に考えてみよう。
中世ヨーロッパのボローニャやパリ等の自生型大学は、学生や教員たちのギルド的集団が発祥だった。領邦国家や近代国民国家が国内的制度として大学を取り込んでいくのは時代的にかなり後の話だ。
また、英国は国立大学の国だと分類される。それはそれで良いのだが、オックスブリッジもロンドン大学も、19世紀後半以降の市民大学群も、イングランド政府が設立主体であったわけではない。また、英国で「私立」はバッキンガム大学だけと言われるが、それは国費に依存しない大学という意味だ。では、英国の大学への国庫補助はいつ始まったのか?実は1889年からに過ぎない。
米国は州立大学が(学生数で)6割を占めて優勢な国だ。しかし、大規模州立大学の整備が進んだのは、1862年のモリル法による土地供与がきっかけだった。
フランスやドイツは確かに国立・州立が中心の国と言える。だがその歴史も、フランスでは大革命後の1793年に国民公会が旧来の大学を全て廃止し、19世紀に入ってナポレオンが中央集権的な教育行政体制を敷いて以降の話だ。ドイツでは小国分立が続き統一国家の形成が遅れていたことは多言を要しない。
東洋では、日本や韓国等が私学優勢の高等教育システムを形成してきた。東アジア型と言って良い。しかし、今日では私立の隆盛はもはや東アジア特有の現象とは言えない。プライバタイゼーション(私立化)の潮流は世界各地で観察されるからだ。1970年代末の改革開放路線以降の中国ばかりでなく、1980~90年代以降に私立の機関が急速に拡大したラテンアメリカ諸国しかり、2000年代に入って農村部を含めて高等教育規模が急拡大しIT大国化へ向けて変貌を遂げつつあるインドもしかりだ。「私学高等教育は世界的に、高等教育システムの中心的役割を果たすようになってきている」(アルトバック)。
ごく大まかに言って、12世紀に発祥した大学は18世紀以降の近代国民国家よりも社会制度としてはるかに歴史が古いこと、20世紀末以降の知識基盤社会における高等教育需要の拡大が、現代福祉国家の財政負担能力を凌駕してなお継続していることを考え合わせただけでも、昨今のプライバタイゼーションの潮流は特に不思議なものではない。むしろ、19~20世紀が一時的な「ナショナライゼーション(国立化)」の時代とも言えるのであって、20世紀末にはその限界が明らかとなり始めた(言い換えれば、プライバタイゼーションという地金が再び表面化してきた)と表現した方が簡明ではないかとすら思えるほどだ。
日本に話を限っても大筋は変わらない。空海による綜芸種智院も、足利学校も、蘭学・洋学塾も言ってみれば民間のハイレベルな学問の場だった。しかし、明治政府はプロイセン流の帝国大学制度を採用した。後発国日本が富国強兵・殖産興業を国是として急速に欧米列強に追いつき、アヘン戦争後の清のような窮状に陥らないために、欠しい資源を国家直営大学に集中投入して西洋学問の移入と人材の簡易速成に努めるという戦略は見事に的中した。ただし、その功績も21世紀の今日なお国立大学中心史観を続ける理由にはならないだろう。
では、私学が大学制度の標準型だと考えることで何がどう変わるのか?
まず、大学の使命(ミッション)は私学を基準にすればわかりやすい。そもそも、2005年将来像答申に言う機能別7分類の中で、国立でなければできない部分を挙げることは難しい。私立をベースと見れば、私学全体で7分類全てをカバーするのは当然だ。
国公立は、国や自治体の人材政策・科学技術政策等を踏まえた「上乗せ」の使命・役割を担うので、その限りで「上乗せ」の規制に服し「上乗せ」の財政支援を得るのだ。地域配置的な機会均等や地味な学問分野(失礼!)の継承・発展も立派な「上乗せ」の役割だと言える。そうした個別の理由の不十分な財政投入格差はイコール・フッティングの原則に反することとなる。設置形態別の意義・役割に関する記述も、「国公私」ではなく「私国公」の順に読むとわかりやすい。あくまで論理的な順序として。
次に、特定研究大学(仮称)について。ごく一部の特定大学に思い切った国費投入をし、同時に運営体制その他の刷新を求め、海外トップ大学と真っ向勝負させるという国策はあって良いと思われる。ただし、その際、①一部の特定大学は、単に予算配分上優遇されるというのではなく、(国立であっても)単年度予算措置への依存という後発国型体質から脱却して長期的自主財源としての基金の造成に舵を切る(極端に言えば文科省や内閣府との関係を半ば「卒業」するくらいの)方向が示唆されればすばらしいと思う。また、②特定大学以外の大学が(私学を含めて)将来的にチャンスを見出せるよう、全体としての研究力アップの方策も同時に示していくことが適当だろう。
さらに、地方国立大学の定員増について。公私立も含めた地域における大学全体の振興方策は今後検討されるようだが、公立(自治体の人材政策)と私立(民間の発意)の地域別・分野別の配置状況を見定めた上で、国立はその足らざる部分を補って(言わばバランサーとして)全国的な機会均等に努めるというのが本来の役割ではないか。国立の定員を先に決めた残りのマーケットで公私立が競うというのであれば、話は逆だと思う。
最後に、大学ガバナンス改革について。私学については、その多様な形態を尊重して、画一的な法律上の規制によるのではなく、例えば複数のひな型を想定した記載をガバナンス・コードに加えることで「コンプライ・オア・エクスプレイン」方式による自律を求める等、個々の法人が主体的に選択して結果を社会に対して自ら情報発信する形が相応しい。国立大学法人には、より高いレベルでのガバナンス体制の強化が統一的に必要とされるので、法改正が先行したわけだ(特定研究大学には更に別次元の体制が求められる)。
そもそも、学長のリーダーシップや大学のマネジメント改革等が日本で特に必要となってきた時代的・社会的背景を振り返れば、1992年を境とする18歳人口のピークアウトと、それに伴う「大学淘汰」の時代の到来が関係者の間で喫緊の課題だと共通認識されたことが大きいのではなかったか。増設の時に国が認可を出したように、閉鎖すべき大学や学部等を国が「計画的に」決めるわけには行かない。
かと言って、完全な自由放任に任せたのでは、特色や伝統のある中小私学から、あるいは地方大学から破綻していくという最悪のシナリオも想像の範囲内だ。そこで「競争的環境の中で個性が輝く大学」(1998年大学像答申)であり「経営状況の悪化した高等教育機関への対応」(2005年将来像答申)だったというわけだ。その後の学校教育法や私立学校法の改正等により、国が取り得る段階的な措置や学校法人の連携・統合・再建等に向けた各種の仕組みが整備されてきた。
また、近年では、私学事業団の豊富なノウハウを活用したきめ細やかな経営診断・相談体制も整備された。その直後、「2018年問題」とも呼ばれた18歳人口の更なる長期低落傾向へ突入するその年にグランドデザイン答申がまとめられたのは偶然ではない。各大学が創意工夫をこらして、「生き残り」だけでなく将来の発展を期して勝負に出るフェーズがいよいよ本格化するタイミングだったからだ。そのグランドデザイン答申に関する議論の到達点、基本コンセプトは何だったか。「学修者本位の教育への転換」「多様な学生・教員・プログラム」「多様性を受け止める柔軟なガバナンス」等だ。なで切り型の一律なガバナンスでは決してない。
国は、今こそグランドデザイン答申の精神に立ち返り、多様性を旨としつつ、各大学の具体的な改革努力を支援すべきだ。国家と大学との適正な距離感(これが難問であることは明らかだ)を過たないためにも、国立ではなく私学を21世紀の大学の「標準」型と捉える思考方法は有効な早道ではないかと思われる。