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アルカディア学報

No.710

ミスコンダクトから発表倫理へ

山崎茂明(愛知淑徳大学名誉教授)

科学研究の光と影

 筆者は、2002年に、『科学者の不正行為』(丸善)を刊行し、科学研究の影の部分を明らかにした。この書の準備は、出版の5年前(1998年)から始めていた。科学研究の不正行為(ミスコンダクト)への日本国内での関心は、欧米から10年は遅れていた。この状況に気づいたのは、訪問調査から1998年に実施した米国研究公正局への訪問調査時であり、これは日本からの最初の訪問機会でもあった。得られた情報と知識は有益なものであり、欧米の研究動向、主要国の取り組み、データベースの対応、さらに不正行為の定義をめぐる米国科学アカデミーと国立衛生研究所との対立など、多岐にわたった。そして、研究を進め単行本として公刊するためには、ワシントンのジョージタウン大学ケネディ記念倫理研究所図書館の利用が欠かせないという助言も受けた。研究所図書館での文献調査において、特に「ETHXファイル」(生命倫理文献検索ファイル)は、書誌情報だけでなく原報を含むものであり、倫理関連テーマの文献収集に役に立った。この調査過程で、「research misconduct」のキーワードで分類された2に及ぶファイルをすべてチェックすることにした。すると、ナチスや731部隊についての文献も含まれており、「戦争こそ科学における最大のミスコンダクト」であると知らされた。この文献ファイル調査のなかで「publication ethics」という論題を持った記事が目に入った。確かに、発表倫理というアプローチも有効であると思った。

科学論文は知識基盤社会を支える

 科学研究は、会議や学術誌への発表をもって、プロジェクトが終了する。成果の信頼性は、専門を同じくする同僚により評価され(peer review)、社会へ公表されていく。エビデンスの明らかにされた論文が煉瓦積みされ、今日の知識基盤社会は支えられている。研究論文が社会の健全性を保証しているのである。科学研究は経済や産業、そして生活の質の発展を基礎づけるものであり、もしそこにミスコンダクト(misconduct)が混在すれば、社会基盤に揺らぎが生じる。研究不正や論文不正ばかりでなく、建築の耐震構造偽装、自動車や航空機などの製造業における検査データの改ざん、政府統計や報告書における不正、保険不正、教育不正、スポーツ不正など、学術社会から一般社会までミスコンダクトは広がっている。
 捏造、改ざん、盗用(FFP)といったミスコンダクトの排除だけでなく、共同研究における個々の研究者の貢献度をめぐる争い、不適切な実験動物の扱い、研究資金源の秘匿、寄与が無い人を著者リストに含めるギフト・オーサーシップなど、発表倫理の視点から公正さ(integrity)が検証されるべきである。この発表倫理に着目することで、研究プロセス全体の公正さをチェックし、人文社会科学や自然科学といった専門領域を超えて、共通する問題として広く論じることが可能になる。さらに、学術研究は発表なくして存在しないだけに、公正・誠実であることが、何よりも大切な信条でなければならない。
 発表倫理(publication ethics)は、研究コミュニティの内部で自然に醸成され、時間をかけて浸透していくと考えられてきたが、これで十分とはいえない。近年における研究不正の発生は、院生やポスドクなど若手研究者を対象にした公式な教育プログラムの確立を要請されるだけでなく、シニア研究者を含めた論文の書き方教育が、発表倫理の側面から強化されなければならない。なお、発表倫理は、当初は出版倫理と訳してきたが、出版者側の倫理として狭く捉えるのでなく、著者を中心に位置づけ考察されるべきである。発表倫理は、公正な社会の礎であり、ミスコンダクトに対する解法とみなすことができる。

オーサーシップを例に

 発表倫理を考える最も主要な視点は、オーサーシップをめぐる内容である。科学界でオーサーシップが問われるようになるのは、1960年代のビッグ・サイエンスの時代になってからである。単独著者により論稿が書かれるのが一般的である時代、オーサーシップは問われない。問われるのは、共同研究スタイルが普及し、個々の研究者の寄与内容や大きさを明瞭にさせる必要が発生した際である。また、「発表するか、それとも死か(publish or perish)」という言葉から分かるように、できるだけ多くの論文を発表することは、研究世界での成功のために欠かせない。論文数を増やすためには、実際の寄与が無いにもかかわらず、共著者にリストすることを徳行とするような空気が支配している。
 ミスコンダクトの事例を調査していくと、ほとんどのケースで、オーサーシップの誤用が常態化している。例えば、東邦大学麻酔科藤井准教授による172編の捏造論文事件において、113編で共著者にあげられたT博士は、いかなる関与もしていなかった。さらに、藤井は、彼の友人とお互いに業績を増やすために、論文に名前を入れあおうとする約束を院生時代にしていた。また、教授選考のために、業績リストを作成した研究者は、自分が知らない多数の論文や学会発表が記載されていることに気づいた。実際に関与していない論文が、同じ教室に所属しているだけで著者に加えられていた。将来を嘱望された候補者への、教室メンバーからのギフトであった。おそらくお返しのギフトもなされているに違いない。また、ギフトを喜んでばかりいると、ミスコンダクトにより撤回された不正論文の著者とされてしまう場合もある。「贈り物には毒」があることを忘れてはならない。
 これらから、社会からの信頼に応えていくためには、発表倫理、特にオーサーシップに焦点を置き、学術コミュニケーションの改善を図らなければならない。業績主義の悪しき側面が蔓延しているが、著者欄にあげられた人々は、知識基盤社会を支えている科学論文の内容に責任を持っている。著者の資格が適切に付与され、クレジットされているか疑問を禁じえない。研究者の発表倫理をいかに育成するか、研究者個人のみならず、研究機関、高等教育機関が一体となった取組みが望まれている。
 参考:山崎茂明著『発表倫理:公正な社会の礎として』東京:樹村房.2021