アルカディア学報
大学での学びはいかに生かされているか
―卒業生の声を聴く
1.東薬教育の実像を描く
東京薬科大学(以下、東薬)では、文部科学省の「大学教育再生加速プログラム」に採択され、その一環として、「卒業生調査」を2017年に実施した。東薬は、薬学部と生命科学部の2学部であり、薬学部は創設140周年になるが、生命科学部は25周年を迎えたばかりの新しい学部である。70歳以下の卒業生を対象にしたところ、郵送できた総数1万7758人のうち5081人からの回答をえた。回収率にして29%というのはかなりの好成績である。ご協力いただいた卒業生の皆さんに深く感謝したい。
調査には、「学生時代の学び」が「現在の仕事」にどのように関係しているかを明らかにするための数字(質問項目)と2千人を超える卒業生が自由に語ってくれた言葉(自由記述)が含まれている。アンケート調査は一般に、数字を統計的に処理した報告になるが、卒業生の声を聴き、東薬教育の実像を描くためには、数字だけでなく、貴重な言葉を最大限に活用する工夫が必要だと考えた。その工夫を紹介しながら、「大学での学びはいかに生かされているか」という普遍的テーマに絞って、その成果の一部を報告する
2.在学中の学びが生かされる5つのルート
アンケートは、1つの仮説に基づいて、言葉を数字に変換する質問形式になっているから、仮説の枠を超える情報を見失いがちである。こうした数字の弱点を補うために、次のような自由記述欄を設けた。「本学での学びから得た知識やスキル、経験は、卒業後、どのような形で生かされていますか。思いあたることがあれば自由にお書きください」。
2192人(回答者の43%)の方から多様な言葉が寄せられた。すべてに目を通すと、同じ内容がかなり多い一方で、千人に1人ぐらいしかない貴重な体験話も語られている。「どのような形で生かされているか」という問いを考えるためには、「生かされているか」という言葉が「意味」する範囲を広く理解することが最も大切である。したがって、同じ内容の繰り返しの頻度数よりも、希少な言葉の方が、「意味の範囲」を広げてくれる貴重な情報になる。
2000人の自由記述欄を読みながら、東薬教育の実像を描くためには、これらの言葉を組み立てるのが面白いと判断した。同じ内容もかなり多かったので、重複を避けるようにして一つひとつの言葉を1枚のカードに文章化した。最終的に薬学部225枚、生命科学部143枚のカードを作成し、それらの言葉を組み立てる方法(=KJ法)を採用した。
KJ法については、川喜田二郎先生の著書(『発想法』中公新書1976年)を読んでほしいが、先生は、KJ法と名付ける前に、この独創的な方法を「言葉の組み立て工学」と表現されていた。私は、この表現をとても気に入っている。50年前に先生から直接教わった川喜田語録による言葉の組み立て方を簡潔に説明しておく。
相手の声を聴くときには、先入観を捨て、己を空しく、相手の身になって考えることが何よりも大事だ。既成の概念に囚われず、似ていると感じる数枚のカードを1つにまとめて、この小グループの気持ちを表現するにふさわしい表札(文章)をつける。さらに、この表札と残っている元のカードを読み、似ている数枚を集めて、中グループの表札をつける。
この手順を数段重ねて、最終的に大グループの数が1桁になるまで組み立てる。このように下から積み上げる作業を怠って、最初から10枚以上のカードを一緒にして分類すると、KJ法をやる意味がなくなる。
さらに次のステップがある。大グループの言葉を模造紙に配置し、どのように配置すれば、全体を説明しやすくなるかを試行錯誤する。「大グループ」の「言葉と言葉」の「関係」や「接続詞」や「順番」を模索しながら、全体を説明するにふさわしい物語を発想し、模造紙にカードを張り付けて、図解化する。KJ法は、言葉と物語を発想し、思考力を鍛える最強の武器だと今でも思う。
さて、このような手順で組み立てたKJ図解に基づいて、「大学での学びがどのような形で生かされているか」を学部別に文章化すると次のようになる。
○薬学部:「確かなキャリア」の教育が生かされる5つの学びのルート
薬学部の卒業生の記述を大別すると、7つの特徴的な言説(7つの大グループ)が浮かび上がってくる。まずひときわ明白なのは、「薬剤師免許は、雇用のみならず、生活にも確かに役立つ」と実感されていることである。こうした「確かなキャリア」を支えているのは、大学での様々な知識・スキル・経験であり、その内容は、次の5つのグループにまとめられる。これらが、仕事に生かされている学びのルートになっている。
(1)専門知識が有益なルート
(2)基礎レベルで知識が繋がるルート
(3)仕事に移行する過程での支援が役立つルート(メンターとの出会い)
(4)研究室の世界が仕事の世界に通じる卒業論文研究ルート
(5)在学中に培われた人間関係が今に生かされるルート
しかし、恵まれたキャリアに直結する学びを卒業生たちが手放しで肯定しているわけではない。1つの大きなグループとしてまとめられるのは、「知識偏重の教育になっていないか」という反省である。「国家試験に合格すればいいわけではなく、大学よりも卒業後に学ぶことが多い」という現実を踏まえて、「知識偏重の教育にならないように、教育と研究の意義を考え直すべきではないか」という疑問が語られている。
○生命科学部:「挑戦するキャリア」の教育を支える5つの学びのルート
一方、生命科学部の卒業生の仕事ぶりは、確かなキャリアの薬学部とは違って、多様性に富んでいる。未知の世界を切り拓く「生命科学」らしく、新しい可能性に挑戦している卒業生のキャリアは多種多様である。この「挑戦するキャリア」を支えている教育の主な役立ちルートは次の5つにまとめられる。
(1)多様な専門知識ルート:専門知識が直接的に有益な仕事がある一方で、無関係な仕事に就いているケースもある
(2)科学的思考が生かされているルート:生命科学は、仕事に役立つ知識より、科学的思考や幅広い考え方および教養という価値がある
(3)英語とITの実務ルート:この2つはどのような職種に就いても役立つ
(4)研究力が仕事力のベースになっている卒業論文研究ルート
(5)友人関係が人生を豊かにするという人間関係ルート
5つの学びのルートが語られる一方で、「卒業後のキャリア不安」が拭いきれず、「教師と学生の信頼関係の必要性」が語られ、「キャンパス生活の信頼感や連帯感が、挑戦するキャリアの学びを支える条件」になっている。
3.言葉と数字を重ねて理解を深める
こうした言葉の物語を背景にして、1つの数字をみてみよう。「あなたが在学中に経験した次のようなことがらは、現在の仕事や暮らしに役に立っていますか」を質問した(10点満点の評価)。それぞれの平均点を薬学部と生命科学部に分けてグラフ化すると図1のようになる。
薬学部は、何よりも「薬剤師国家試験のための勉強」が最も役立ち度が高く、7.5点という高評価。次いで「専門講義(6.9)」と「実務実習(6.8)」が続く。それとは対照的に「人文社会系の一般教育」の役立ち度は3・8点にすぎなく、「外国語の授業(3.9)」「情報処理教育(4.5)」もあまり役に立っていない。国家試験の知識に深く関係する科目と関係の薄い科目の間で役立ち度が極端に違っている。この大きな高低差が薬学部の特徴である。
一方、生命科学部は、最も役に立っているのが「卒業論文研究(以下、卒論研究)」の6.5点で、「専門講義(6.1)」「専門の基礎実習」(6.0)」を上回っている。研究の最前線を切り拓く生命科学部らしい特徴になっている。しかし、卒業生は、研究部門だけでなく、多様な職種に就いている。新しい学部の卒業生として未知の世界を生き抜くためには、専門知識だけでなく、ビジネスに役立つスキルが必要になる。薬学部と違って、「外国語」と「情報処理教育」の役立ち度が5点を上回っているのは、生命科学部のいま一つの特徴である。
学部の違いが数字によく現れているが、「部活動」と「アルバイト」の役立ち度は両学部ともに6点を上回っている。部活などの人間関係から学ぶところが多かったという話は、どの学部でも登場する卒業生の言葉である。
数字の羅列よりも大事なのは、数字の解釈である。解釈は、数字を言葉に変換する作業であり、数字に語らせるには想像力が必要だ。「確かなキャリア」と「挑戦するキャリア」を支える5つの学びルートの物語は、解釈の想像力を刺激してくれる。役立ち評価に大きな高低差があるのは、薬学部の特徴だが、それは「確かなキャリア」が「知識偏重の教育をもたらしていないか」という反省を思い出させる。「英語」と「情報処理」が生命科学部にとって必要なビジネス・スキルになっているという解釈は、「挑戦するキャリア」の物語から刺激を受けた言葉でもある。さらに、薬学部よりも専門講義の役立ち度が低いという数字から、卒業後のキャリアに不安が生じるのではないかと想像させられたりもする。
言葉が数字の解釈を刺激してくれる一方で、数字が言葉を補強してくれる。卒論研究は、両学部に共通する学びルートになっていたが、数字にみる役立ち度は、薬学部よりも生命科学部の方が明らかに高い。言葉の重みの違いを数字が教えくれる例になっている。
役立ち度だけなく、就業形態、職種、年収などの数字をみれば、「確かなキャリア」として特徴づけられる薬学部と「挑戦するキャリア」というにふさわしい生命科学部の仕事事情がはっきり現れる。
4.卒論研究ルートの言葉と数字
こうした言葉と数字の補強関係は、5つの学びルートの一つひとつを詳しく記述すれば、さらにはっきりする。すべての大グループの一つひとつについて、その内容を元のカードまで遡って引用し、文章化した。ここでは、両学部に共通している卒論研究ルートについての一部を紹介しておこう。
「"研究室の世界"は"仕事の世界"に通じるところが多い」が、薬学部の大グループの表札だが、その内容は4つの中グループから構成されている。①卒論研究の全プロセスから問題解決のスキルが身につく。②指導・技術が業務に役立つ。③研究室の深い人間関係から学ぶ。④粘り強くやり抜く力が身につく。この順に、それぞれの詳細を記述した。
生命科学部の内容もよく似ているが、「研究力は仕事力のベースになっている」を大グループの表札にした。中グループの内容は次のようになる。①情報を収集し、それをまとめて、他人に説明する力が身につく。②卒論研究の全体が仕事の基礎力を培う。③困難にぶつかっても何とかなる自信になった。ところが、薬学部と違って、就いた仕事によって卒論研究の評価に違いが生じやすい。そこで、最後に、④研究職のための研究に偏重していないかという疑問もある、という節を設けた。
詳しく紹介できないが、およその内容は想像できると思う。卒論研究の経験は、具体的な「実験技術」だけでなく、どの仕事にも通じる「汎用能力」や研究室を通じた「人間関係の形成」、さらには、やり抜く力といった「非認知能力」も高め、多様な形で今に生かされている。今回の調査は、卒論研究の教育効果を測定することを1つの目的にしており、卒論研究に関連する質問項目をいくつか設けている。これらの数字を活用すれば、自由記述の言葉を数字で検証できるし、さらに詳しく、卒論研究の教育効果を測定できる。ここでは、卒論研究の効用を質問した数字の例を部分的に紹介しておく。 「卒論研究を振り返って、次のことがらはどれくらいあてはまりましたか」を質問し、「専門知識を深く理解できるようになった」から「チームワークで研究をすすめる重要性が実感できた」までの5項目を設け、「とてもあてはまる」から「まったくあてはまらない」までの四件法で評価してもらった。そのうち、「とても」と「やや」あてはまるに回答した割合をみると、「専門知識の理解力」(88%)と「困難なことを最後までやり遂げる力」(83%)については、生命科学部の8割以上が「あてはまる」と回答している。ついで、「文章を書く力」(70%)「主張を伝える力」(67%)「チームワーク」(53%)とつづき、過半数の卒業生が、こうした汎用能力が身についたと回答している。
薬学部の卒論研究には、「実験研究コース」と「調査研究コース」の2つがある。前者が本来の卒論研究であり、後者は、実験をせずに資料の収集と解読を主としたコースである。実験研究コースの効用は、50%を上回って高く評価されているが、いずれの項目でも、生命科学部よりは10%ほど低めになる。ただし、「チームワーク」(64%)は、薬学部の方が高い。研究室教育のチームワーク体制が薬学部でより深く浸透しているようである(研究室の人間関係から学んだという言葉は、薬学部に多かった)。一方、調査研究コースは、いずれの効用も50%未満であり、メリットはかなり小さくなる。2つのコースの「大きな差」に、実験型卒論研究の高い効用が顕著に現れている。
こうした効用の評価だけでなく、卒論研究に対する「積極的な取り組み」「自主的な情報収集」「研究計画の立案力」「発表の出来栄え」などが「どの程度達成されたか(達成レベル)」を調査し、さらには、「教員の指導が十分だったか」も質問した。これらの数字を分析すると、卒論研究の達成レベルや教員の指導による効用の違いが計測できる。こうした数字を活用すれば、卒論研究の教育効果についての厳密な議論が展開できる。定義された範囲内での厳密性が数字の強みである。
5.言葉から数字を発想する
「正直学んだ専門知識が活かせているとは思いません。活かせる職業に就ける人はほんのひと握りだと思うし、それが全てだとは思いません」という生命科学部卒業生の告白は、理学系、および文系に共有される言葉だと思う。そこで大事なのは、「専門知識を生かせる職業に就くこと以外のメリット」が大学にあるかどうかである。
このメリットに含まれる言葉が、「仕事に役立つ知識より、科学的思考や幅広い考え方および教養という価値がある」という大グループである。その内容は、①知識よりも科学的なものの見方が身についた、②正しい情報を選択できるという教養、③幅広い教養の価値、の3つに分けられる。その内容を紹介するゆとりはないが、「専門科目」の知識を教養として認識する言葉は、薬学部では見られず、興味深く印象づけられた。ところが困ったことに、このグループだけに限って、言葉に対応する数字が見つかりそうになかった。数字による言葉の検証をあきらめかけていたが、一連の言葉を記述しているうちに、1つの仮説に思い至った。
先にみたように、生命科学部の専門講義の役立ち度は、薬学部よりも低い。そこでもし、生命科学部の専門講義の満足度が薬学部よりも高かったらどうだろうか。役に立っていれば満足し、役に立たなければ不満、という単純な線形関係ではないところに教育の多様性が潜んでいる。役立ち度は低いけれども、満足度が高いという領域に、「専門知識を生かせる職業に就くこと以外のメリット」が存在するのではないかと発想できる。こんな仮説を想像しながら、「専門の講義」「専門の実習」「卒業研究」の役立ち度と満足度の数字をプロットにしてみた。その結果が図2である。図には、薬学部を始点、生命科学部を終点とする矢印を表示した。
生命科学部の講義は、役立ち度が低いけれども、満足度は薬学部よりも高く、右下がりの矢印になっている。役に立っている薬学部よりも満足度が高いのは、手段として学ぶのではなく、学ぶこと自体が楽しいという気持ちの反映であり、知的好奇心が満たされていると解釈できる。「実習」の役立ち度に差はないが、満足度は生命科学部の方が高い。また、卒論研究になると役立ち度も高く、満足度も高い方向に矢印が大きく伸びている。卒論研究の学びが、充実している(面白くて役に立つ)証であり、生命科学部らしい結果になっている。
役立ち度と満足度という2つの数字から、学習動機の多様性と学部による違いを特徴づけられるという発見は面白い。言葉から数字を発想するという言葉の強みに気づかされた一例である。
6.数字から言葉を紡ぐ―「在学中の学び」がキャリアを豊かにする
言葉と数字は、それぞれに強みがあり、互いに他を補強するという関係にある。ところが、言葉を扱うKJ法は、数字を扱う統計分析と相いれない対立関係にあると思い込まれている。そのように錯覚するのは、仮説を厳密に検証するのが統計分析だと決めつけるからだと思う。それも大切な研究作法だが、数字を収集し、数字が語っている現状を把握する武器として統計分析を活用することもできる。そのように考えれば、統計分析は、「数字の組み立て工学」であり、「言葉の組み立て工学」とよく似ている。言葉の断片だけではその意味がよく分からなくても、似ている言葉を集めると、言葉の意味が分かりやすくなる。同様に、数字の断片だけではその意味がよく分からなくても、その数字と似ている数字を集めれば数字の意味が分かりやすくなる。
例えば、「学生生活に満足した卒業生85%」といった数字が、卒業生調査の結果としてしばしば報告されている。しかし、この満足度が何を意味しているかはよく分からない。そういう場合には、満足度と近い関係の数字を探すのが1つの便利な方法だ。満足度との相関係数が最も大きい数字を探すと「よい友人に巡り合えた」という数字が見つかる。さらに、2番目に近い数字は、「よい教師に巡り合えた」、3番目に「部活動の熱心度」という数字が集まってくる。このように似ている数字を集めてグルーピングすると「満足度」は、「豊かな人間関係が形成されたかどうか」という意味空間に位置づけられる数字だと解釈できる。満足度という1つの数字だけをみているよりも、理解の幅が広がる。数字と数字の「相関関係」や「因果関係」を探索して、数字を組み立てるのが統計分析である。言葉と言葉の相関や因果や対立の関係から図解を作成するKJ法とよく似ている。
今回の調査設計にあたっては、①どのような学び方をすれば、学習成果が高まるか、②その学習成果は仕事に役立っているか、という2つの課題を設けた。この課題を解明するに必要な数字を収集し、様々な視点からの統計分析を重ねた。②の一例として、薬学部の「確かなキャリア」がリアルに現れる年収に着目した分析(男性)を紹介しておこう。
卒業生の年収を政府統計と比較すると、全国の大卒平均年収をかなり上回り、企業規模千人以上(大企業)の大卒平均年収に近いことが分かる。確かに恵まれたキャリアだが、重要なのは、同じ薬学部の卒業生でも年収に大きなバラツキがあり、そのバラツキに学習成果がどのような影響を与えているか、という問いである。
年収の個人差に強い影響を与えるのは、「年齢」と「業種」と「企業規模」だが、この3つ以外の主な要因は、「本人が身につけている現在の力量」である。その力量を知るために、調査では、「協働する力」や「コミュニケーション力」などのいくつかの能力を列挙し、それらを「現在、どれくらい身につけていると思いますか」を質問した。「かなり身についている」から「身についていない」までの5段階評価である。主観的な評価を訝るかもしれないが、主観的であるがゆえに有望な場合もある。「本人が身につけている」と「思う」気持ちの表出は「能力に対する自信の表明」であり、この自己効力感が「本人の現在の力量」を示すコアな指標になる。この調査項目の総合平均得点を「社会人力」と呼ぶことにした。この社会人力は、年収と強い関係にある(年齢と年収の関係と同じくらい)。そして、この社会人力が高い人は、在学中から勤勉に、あるいは積極的に学んでいた人が多い。世間では、大学の勉強は卒業後のキャリアや年収に関係ないという通念が支配的だが、事実は必ずしもそうではない。
具体的な調査の変数を使って説明すれば、「学業成績」に加えて、「卒論研究の達成レベル」と「学生生活の満足度」を学習成果の指標にすると、これらの学習成果が高い卒業生ほど「社会人力」の得点も高いという関係が統計的に成立する。したがって、【学業成績、卒論研究の達成レベル、学生生活の満足度】という在学中の学びは、現在の仕事を遂行する自己効力感である【社会人力】を高め、その社会人力が高い者ほど【年収】も高いという関係が成り立っている。在学中の学びは、深く静かに身体化し、漢方のように作用して、現在の力量を支えているということである。統計学の言葉を使えば、学びは年収に直接的に影響しないが、間接的に影響する。
こうした関係経路の解釈は、自由記述で語られている「学びが生かされるルート」と矛盾なく重なっている。数字の組み立て工学は、数字の解釈を豊かにし、数字の物語を構想するのが目標であり、数字を解釈するには、言葉を組み立て、物語を構想する力が必要である。
7.教育改善の提案―卒業生と大学との対話
東薬教育の実像を描くように努めたが、東薬教育のすべてが上手くいっているわけではない。そこで、「授業・カリキュラム・教員の指導など、本学が改善すべきであると思う点について、ご意見をお聞かせください」という質問を設けた。「学びの生かされ方」と同じ形式だが、自由記述欄の言葉を解読するスタンスはかなり違う。「学びの生かされ方」では、「意味の広がり」を把握することが重要なので、KJ法を採用し、同じ内容の頻度数は考慮しなかった。それに対して、今回の質問では、意味の広がりを把握する必要性はほとんどなく、「改善すべき事柄」は「何か」を知るのが目的である。同時に、改善策を導入するには、その改善を望む者が「どれほどいるか」という頻度が重要な条件になる。
したがって、この質問の分析にあたっては、使われている「単語」とその「頻度」からテキストの内容を分析する数量的アプローチを選択した。用いた統計ソフトは、KH coderである(樋口耕一著『社会調査のための計量テキスト分析(第2版)、ナカニシヤ出版2020』による)。
言葉の頻出語だけで教育改善の内容を理解するのは難しいが、単語と単語の組み合わせ(コロケーション)の頻度とそれに対応する言葉の検索機能が充実しており、改善点を理解する上でとても有益である。単語の頻出語をみると、薬学部では、「薬剤師」「国家試験」「合格率」といった複合語が上位を占め、国家資格取得に対する関心の強さがよく分かる。これらの言葉を別にすれば、「授業」と「研究室」が2つの学部に共通する最上位の頻度になっている。ここでは、この2つに着目した分析例だけを紹介しておく。コロケーションの頻度が高いペアの内容を検索すると、「授業」と「研究室」をめぐっていくつかの不協和音があることが分かった。
『授業』をめぐっては、「学生」と「教師」と「カリキュラム」の3者間に不整合がみられる。「学生」は、興味を引き出すような授業をしてほしいと要望しつつ、サボる者も少なくない。その一方で、「教師」の授業する力や熱意に温度差がある。学生と教師にみられるこうした意欲の違いは、「カリキュラム」に対する考え方の相違から生じている。薬学部のカリキュラム観には、「国家試験合格重視派」から「薬学理論重視派」まで、卒業生の間でかなりの広がりと藤がみられる。カリキュラムに対する期待が異なれば、学ぶ意欲も違ってくるし、教育改善の方向にも違いが生じる。生命科学部では、「知識のジャンルが広いためカリキュラムの体系が伝わりにくい」ようで、「実践に役立つ知識(英語・情報・統計など)」の期待がある一方で、「研究志向のプログラムを強化してほしい」という意見もある。
『研究室』をめぐっては、教育と研究のどちらを大切にするかについて、意見が対立している。薬学部では、教育と創薬研究の両立を求める「両立派」と研究よりも薬剤師教育の優先を求める「教育重視派」の間で、研究に対する関心の違いがみられる。生命科学部では、教育と研究の関心が一致する「一致派」と研究よりも実用的な教育を求める「不一致派」に分かれる。しかし、卒論研究のメリットが大きいという指摘は両学部に共通しており、「研究の教育的意義」が伝わる研究室教育が求められている。
「学生と教師とカリキュラム」の間の不整合、および「教育と研究のバランス」を回復するためには、教職員と学生の対話による相互理解とコース制や選択制などの制度的工夫が必要になる。対話と言えば平凡だが、この対話に卒業生も参加するワークショップが開催されれば、かなり大きな力になると思う。生命科学部は、2020年入学者から「アントレプレナー養成プログラム」(選択制)を設置し、「アイデアを起業に結びつける力」を養うビジネス科目を工夫し、社会で活躍するOB・OGによる講義も導入している。「挑戦するキャリア」の教育にふさわしいプログラムであり、本調査がOB・OGと在校生との対話の素材になれば、ご協力いただいた卒業生の思いが生かされることにもなると期待している。