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アルカディア学報

No.692

オンライン授業とアカウンタビリティ
~いま、大学は何ができるか~

客員研究員 土持ゲーリー法一(京都情報大学院大学教授)

はじめに

 新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって、大学や教育機関はこれまで経験したことがない危機に直面したが、うまく対応できたところとそうでないところが歴然とし始めている。
 授業料納付の猶予・延納・減免などの措置を迅速に講じた大学もある。この点に関しては、日本よりアメリカの方が厳しい。NHK・WEB特集「授業どうなる?アメリカの大学新年度」(2020年9月17日、以下同じ)によれば、全米70以上の大学を相手取って、学費の返還・減免を求める訴訟が起きている。「学生や親から、訴訟に関する問い合わせが毎日のように来ます。学費には大学の施設や設備を使う費用も含まれるので、大学は返還や減免に応じるべきです」との弁護士の声も紹介している。
 しかし、それだけで説明責任を果たせたとは言えない。オンライン授業を起点に「大学とは何か」、「なぜ、大学教育を受ける必要があるのか」といった本質論まで飛び交っている。これまで何も考えずに大学進学した若者も不安や動揺を隠しきれないようである。そこで本稿では、オンライン授業と「アカウンタビリティ(Accountability)」について考察する。

アカウンタビリティとは何か

 アカウンタビリティ(説明責任)は経済用語である。大学におけるアカウンタビリティとは何か。それは授業料に対して、どれだけ教育費として還元されているかを説明する義務のことである。
 日本の私立大学におけるアカウンタビリティの実態は、多くの大学が「レッドカード」状態にある。なぜなら、学生から納付された授業料に見合うだけの教育費を還元していないと言えるからである。大半の大学は、授業料の多くを教育のためではなく、教員の給与など別のことに費やしていないだろうか。国公立大学でも公的予算の配分があるとはいえ、教育費として十分に還元されているとは言い難い。ましてやオンライン授業には不透明さがあるからこそ、授業料がどのように教育費として還元されているか「説明責任」を果たす義務があるのである。
 なぜ、アメリカの大学ではアカウンタビリティがことさら重視されるのか。それは、高等教育へのアクセスが将来の「投資」だと考えているからである。したがって、高額な授業料負担も「銀行ローン」で乗り切れる。もちろん、良い職に就くことが大前提である。新型コロナの影響で対面授業もできずに危機に瀕した状況では、将来の就職もおぼつかない。卒業どころか、大学の存続さえも危ぶまれる。そのような危機的状況で、アカウンタビリティをどのように担保するか。財源が潤沢な私立大学ならともかく、リベラルアーツ・カレッジのような少人数カレッジは前途厳しいと言わざるを得ない。
 アメリカの学生が銀行ローンに依存するのは特別なことではない。これは家庭の経済状況だけが理由ではない。裕福な子弟でも自立心を養わせるために、あえて学費を「稼がせる」という風潮がある。アメリカでは卒業に高いハードルがあるので、日本のようにアルバイトに時間を充てることはできない。筆者のカリフォルニア州立大学(サクラメント校)時代の友人が、中古車を買ったと自慢げに話したことがある。どのように資金を工面したのかと尋ねると、「銀行より安いローンを父親から借りた」と躊躇なく語ったことを思い出す。
 アメリカの大学には日本のような「偏差値」による大学ランキング指標はない。その代わり、アカウンタビリティの公表が質保証のバロメータになっている。先述の通り、授業料と教育費の還元のバランスが重要になる。そして、どの大学も平均して授業料より多くを教育費として還元している。

その「カラクリ」は何か。

 前述の「NHK・WEB特集」によれば、「アメリカの大学は基金や寄付金などを活用し、学費収入への依存度が低い経営を目指しているが、日本の大学は収入の8割~9割を学費に頼っている大学もある」(慶應義塾大学中室牧子教授)と紹介している。アメリカの大学は、学費が減少しても、ある程度持ちこたえられるが、日本の大学は、学費収入への依存度が高いため、学生のニーズに応えられなければ収入が大幅に減り、直ちに経営が立ち行かなくなるおそれがある。
 大企業や卒業生からの献金や寄付金、資産運用などで授業料以外から資金を集め、それらを教員の給与や研究費に充てる。学生は授業料以上のものが教育費として還元されるので、アカウンタビリティの義務を果たしていることになる。それが、母校への寄付金を促す「好循環」に繋がる。このように「アカウンタビリティ」は、大学としての説明責任を果たすだけでなく、教育の質保証にも役立っている。

カナダの大学におけるアカウンタビリティ

 東北大学による、カナダの大学教授職に関する海外調査で、アカウンタビリティについて調査する機会があった。周知のように、カナダは広大な土地に比して、大学が著しく少なく、多くが州立大学である。したがって、大学の質が均等でハイレベルである。大学の教育予算は州から配分されるため、公金を使用する関係上、どのように大学のアカウンタビリティを果たしているかが厳しく問われる。カナダの教員評価で最も注目されるのが、「学生による授業評価」である。これは日本のように「学生による授業評価」が「ひとり歩き」するのではなく、教員自らが授業評価を省察・分析してポートフォリオに証拠としてまとめたものを対象にする。
 日本でもほとんどの大学が「学生による授業評価」を実施している。しかし、膨大な時間とエネルギーをかけて調査したにもかかわらず、十分に活かされていない。文部科学省への「アリバイ作り」と失笑も買っている。
 カナダの大学では「学生による授業評価」を全面的に廃止した。代替案としてアメリカ版「NSSE(National Survey for Student Engagement)、学生エンゲージメント全国調査」を実施、クイーンズ大学に本拠地が置かれている。驚くことに、この調査は州の教育費配分の基準となっている。
 なぜ、日本にはNSSE全国調査のようなものが存在しないのか。
 この調査の詳細については質問項目も含めて、拙著『ポートフォリオが日本の大学を変える~ティーチング/ラーニング/アカデミック・ポートフォリオの活用』(東信堂、2011年)を参照して頂きたい。これがアメリカ版の調査であるにもかかわらず、カナダ州政府が採用するのも注目すべきことで、より客観的なデータが得られると考えるのであろう。
 この調査は、学生の学習活動全体に焦点を合わせるので、教員や授業に限定されるだけでなく、教室内外学習活動の実態調査という特徴がある。単位制による教室外学習時間の確保にも役立っている。
 カナダの成功例や日本における「学生による授業評価」の形骸化、さらには、最近のアジアやオーストラリアへのNSSE全国調査の波及を考えれば、日本での本格的導入も検討するべきである。そのためには、文部科学省の協力が不可欠である。それが難しければ、独立した公的調査機関を設置してはどうか。NSSE全国調査の本拠地はインディアナ大学にあるが、これは独立機関である。
 しかし、この調査は、日本の大学関係者には歓迎されないかもしれない。それは調査方法に原因がある。希望する大学は、全学生データをNSSE全国調査に登録して、ランダムにアンケートを直接実施する。大学側は関与ができないので、どのような調査結果が出るか不安である。これが本来の調査のあり方であるが、私立大学の場合、調査結果が入学希望者に影響するのではと躊躇することも考えられる。
しかし、これは形骸化した「学生による授業評価」の回生にもつながる。調査に対する「拒絶反応」は、それが大学や教員に対する「評価」に直接つながると誤解していることも起因している。この調査は学生の学習行動調査の一環で、大学の「ランキング」や教員には直接に関係しない。また、高校版の調査もあり、志望する大学の学習環境を知る目安として、キャンパスツアーでは「ガイドブック」の役割をする。
 調査は、1年次と4年次に実施される。初年次教育を重視している証である。アメリカの大学では、「退学率」が知名度にも影響し、大学経営の致命傷になりかねない。退学率は、日本とはけた違いに高い。したがって、1年次に多くの退学者がでないように、最大限の努力を払う。たとえば、「碩学」と呼ばれる著名教授を初年次教育担当に配属したりする。これを裏づけるかのように、NSSE全国調査初代会長George D.Kuhは、初年次教育が重要であることを強調している。さらに、1年次の調査結果が4年次でも見られることから、初年次教育の重要性を浮き彫りにしている。

おわりに

 新型コロナの混沌とした状況で、大学は学生にどのような教育支援ができるだろうか。いま、それが切実に問われている。2020年度の新入生には、キャンパスに足を踏み入れ、対面授業や他の学生との交流がままならない者もいる。それでも、同じように授業料を納付する。いま、学生に対して「満足度調査」を実施したら、「想定外」の悪い結果となる恐れもある。いま、できることは何か。それは学生の立場に立った教育支援である。喫緊の課題は、困窮する学生の授業料負担をいかに減免するかであろう。
 4年制大学の在籍期間は「8年間」の猶予がある。その間に単位を取得すれば卒業できる。しかし、日本の大学の授業料は単位ごとではなく、年間で支払われるので、8年間在籍することは誰も望まない。
 アメリカの大学のように、授業料を単位ごとに支払う制度にして新型コロナ対策を講ずるべきであろう。単位数に係らず、同じ授業料を支払う結果、何を学ぶか目的も曖昧のまま、科目数を取り過ぎる傾向もある。「ジプシー(移動型民族)」と呼ばれる現象は、どの授業でも良いから「楽勝科目」で単位が取れるところを渡り歩く様を比喩したものである。単位は学習量で算定されるから、授業料もそうすべきであろう。現に、科目等履修生は科目ごとに授業料を納付している。
 新型コロナの影響下での経済状況や学生の困窮状態を鑑みて、「授業料の納付分割」を大学関係者は真剣に考えるべきである。そして、オンライン授業がニューノーマルとなる時代では、大学卒業を4年に限定する意味はない。最大限8年間の在籍期間を有効に使った学びの場にしてはどうであろうか。授業を履修しない学生には学生証明書の発行や図書館の利用のために「登録費」だけで済ませるような配慮もすべきでもあろう。新型コロナウイルスは、大学側がこれまで怠ってきた対応を「学生目線」から改善する稀有な機会なのである