アルカディア学報
パンデミックが炙り出す
日本の高等教育政策と大学の姿
一.災害は組織と社会の本態を炙りだす
コロナウィルスは世界的に拡大し、大学も直撃されている。対面授業は多くの大学で5月時点で中止され、通常の姿を失っている。学生の経済基盤も崩されている。学生団体「高等教育無償化プロジェクトFREE」の調査では、経済困窮から約2割の学生が退学を考えているという(『毎日新聞』5月2日)。大学の危機への対応は国によって異なり、危機は個人・組織・社会が持つ価値観を顕在化させ、その本態を炙りだす。コロナウィルスは、克服すべき実践的課題だけでなく、学問的観察の対象でもある。
二.諸外国と日本
政府の最も大きな役割は財政支援である。世界最大の感染者・死者を抱える米国では、大規模な学生への経済支援が始まった。CARES法(3月27日)は、総額2兆ドルを超える経済支援を行い、うち約125億ドルは高等教育対象であり、その半分は、学生への緊急財政援助とされているが、これで足りるものではない。全米教育審議会(ACE)と40を超える高等教育団体は、連名で学生への財政援助を課税対象外とすることを要求し、オンライン学習のための技術支援や学生への払い戻し、次年度の入学者減少予測から466億ドルの支援が必要であるという。借金をしている1370万人の学生、返済中の4400万人への救済も要請している。さらに、従業員1万人以下の企業を対象とする支援プログラムに大学を加えることを要望している。大学での学生雇用は長い伝統を持つが、それを従業員数に加えると1万人を超えてしまうからである。大学は収益減少と費用増加によって回転資金不足に直面し、全体で80億ドル近くが払い戻され、大学によっては3億4000万ドルの損失が想定されるという。
一方、日本の補正予算は、授業料減免のために高校生を含めて第1次で7億円、第2次で153億円が計上されているが私学は補助率3分の2で94億円である。学生生活調査では年収500万以下の家庭の私大学生は51万人強、支払う授業料は3か月分としても1542億円である。6%しかカバーできない。3月24日高等教育局長通知は遠隔教育を推奨し、各大学では急遽インターネット授業に取組んでいる。フェイスブックに「新型コロナ休講で、大学教員は何をすべきかについて知恵と情報を共有するグループ」が立ち上がり、参加メンバーは1万9千人を超えた(5月7日時点)。多くの教員が不慣れな授業を実施し、新たな機器やソフトの購入を私費負担し、財源に恵まれた一部の大学で学生にはPCを貸与し、経済支援も宣伝されているが、すべてではない。政府は、高等教育機関の遠隔授業に伴う予算を合計100億円計上しているが、機関でのシステム整備も含まれ、現に発生している個人負担への支援額は不明である。
三.大学教育としての質保証への取り組み
1か月が過ぎ、授業再開の見込みは不透明である。学事日程上、設置基準の諸規定との整合性や、遠隔では困難な実習・実技・実験、成績評価といった教育実践上の課題が深刻になっている。学修時間は、近年の高等教育課程行政が力を入れてきたところであるが、多様な学習能力や分野をひっくるめて時間管理することだけに執心するなら、大学教育の中核マインドを欠く。重要なのは実質であり、大学が自律的に学習の質を保証する取り組みと責任であり、コアとなる学習経験を疎かにしないことである。4月30日に米国教育省は、ガイドラインを更新し、緊急措置として通常の承認手続きによらず遠隔教育を行うことを認め、アクレディテーション団体が新しい方針と手順を開発すること、大学が他の高等教育機関と契約を結び、コースを修了したり単位を取得したりできることも可能とした。全米教育審議会は5つの大学団体と連名で4月16日に声明を発表し、大学が単位認定をする上で「すべてに合う一つのルールはなく、それが願望であってはならない」とし、学生の置かれた環境を踏まえて、形式的に平等な扱いは避けるよう述べている。学修時間の確保のみにこだわらず、大学の責任において、実質を作る上での共通原則が必要である。特に、オンラインによる成績評価の適切な方法は共有されていない。また、実験・実習を含む授業もオンラインで行われており、推奨されるべき方法もそうでない方法もあるはずだ。緊急事態宣言が5月25日に解除されて以降、感染拡大のリスクマネジメントを行いつつ、対面授業への復帰など正常化の段階を検討することが必要だ。1か月以上近隣県で感染者のいない地域もあるのだから一律には論じられない。大学団体、特に認証評価機関、13ある教育関係共同利用拠点は知恵の出しどころだ。取り組んで欲しい。指示待ちでは大学の名が廃る。教育実習は困難を抱えている実習校に負荷をかけるし、介護体験は年度内に可能であろうか。実習校への臨時的教員配置補助金など財政援助と代案を検討すべきである。
四.COVID―19と戦う大学の姿は見えるか
大学は、パンデミック解決を担う主体でもある。欧州委員会のもとに創設された大学連合CIVISは、ウィルスに立ち向かっている大学の研究グループを紹介している。フランスでは、生命科学・健康連合が、コンソーシアムを通じてCOVID―19疾患の研究を加速していることを発信している。イギリスの大学団体UKKは、大学がワクチンの開発、数千人の医療および看護学生ボランティアの提供、健康保険サービスをサポートするための数百万ポンド相当の専門機器及び施設の提供など、政府、医療サービス、地域社会と協力し、35大学から約5500人の3年生看護師が最前線のスタッフに加わっていることを報告している。
スタンフォード大学は、COVID―19がもたらす国際秩序への影響、民主主義とガバナンスへの影響問題、医療についてのセミナ―を開催した。ウィルス騒動を通じて激化した米中対立、WHOに対するトランプ大統領の姿勢など、パンデミック克服に必要な国際協調の衰退は、COVID―19が浮き彫りにした課題であり、危機的問題に対する大学のありかたやポストCOVID―19の社会について考察をしている。残念ながら、日本の研究大学にはこうした姿勢は弱い。
五.火事場泥棒のような「9月入学」論
行く先が不透明な中で、突然登場してきたのが「9月入学」である。卒業が3月なのか8月なのかも不明で、会計年度とのずれや、企業の採用時期との関係を解決する方策もあるわけではない。これに、9月入学が国際化を進めるという信念を持つ人々が賛成し、文部科学省が検討を始めた。そもそも、現在の大学生は、すでに新学期で遠隔授業を受けているのだから適用できず、現在の課題を解決するものではない。来年9月で実施でも、カリキュラム編成が1年足らずでできるはずはない。仮に実現するとしても再来年であろう。つまり、コロナ対策に何の関係もないのである。既に、学期の開始は大学で決定でき、すべての大学と学生を巻き込む必要はない。要するにこの話は、学生や大学の苦難に関心を持たず、悪乗りする「火事場泥棒」である。案の定、見送りになったが、議論すること自体無節操である。小中高では、学習指導要領を見直し、系統的学習があまり必要ない教科の時間削減、効果が不明で専門家の批判も多い小学校高学年の外国語削減で時間を生み出し、大学には時間管理を絶対化せず、休業期間を縮小し、特別授業の実施と講師手当の補助を行う等こまめな措置を積み上げて在学期間全体でショックを吸収していくことが大事である。
六.大学団体の姿
学生支援策には、大学団体の役割が大きい。私学団体は3月31日に、経済救済などの要請書を出した。国立大学協会も4月24日に要望書を出したが、必要な金額の推計もなく、補正予算案決定後の要望で意味があったのか疑問である。ガバナンスコードが流行だが、それは、組織が目指す価値実現を行動基準として示すものであり、学生に、教育研究を通して価値の高い経験を付与し、彼らの生活を守る行動を真摯に追求することが本旨のはずである。その規範は設置形態と関係がなく、すべての大学が担うものに外ならない。なぜ歩調を揃えるリーダーシップを発揮できないのか。
ようやく5月11日に国公私立大学団体の共同要望書が出たが、金額もない。決定金額とのずれが顕在化することを避けたのだろうが、必要金額も示さない要望とは何だろう。エビデンスに基づく政策が謳われながら不思議なことである。