アルカディア学報
MITの挑戦―高等教育の「中身と器」の公開(下)
カーネギー財団では、過去30年間に渡って、アメリカの大学を機能的な役割や特徴に従って分類する「カーネギー大学分類」を、調査と研究に基づいて作り上げてきた。現在では、全米のほとんどの大学が、自分たちの大学の特色を解りやすくアピールしたり、その将来的な発展の方向性を示す基準として、この「カーネギー大学分類」を用いている。
しかし、ここ数年のアメリカの高等教育界における、インターネットを利用したオンライン講義やヴァーチャル大学の急激な普及は、このような既存の大学分類の枠組みを揺るがしつつある。
スタンフォード、コロンビア、シカゴ、カーネギーメロンなどの一流私立大学が、教育ベンチャー企業と協力して立ち上げたオンライン・ビジネススクール「カーディーン大学」(大学院数校の講座をまたがって受講しビジネス修士号を取得できる)や、州内の100以上の公立・私立大学が連合し、既に3000以上ものオンラインコースが用意されている「カリフォルニア・バーチャル大学」などに見られる新しいタイプの高等教育システムの登場により、建物やキャンパスという物理的な制約に縛られてきた既存の「大学」という概念は、変化を迫られている。
教育を受ける学生の立場から見れば、オンライン高等教育の普及は、「教育機会の選択の幅を広げること」を意味する。学位などの認定基準に沿う限り、あちこちの大学から気にいったオンライン講座を自由に選んで受講できるようになれば、「自分専用にカスタマイズされた教育を受ける」ことすら可能だ。
一方、大学や教員の側から見れば、オンライン教育の普及は、良いこと尽くめ、とは言い難い。人気のない教員や講義は学生から見捨てられ「売れ残ってしまう」かもしれない反面、人気のあるオンライン講義には、一度に何百人、何千人という学生が殺到し、何十人もの教員がチームになって、学生の対応にあたらなければならなくなる、というような事態だって十分に考えられる。超人気講座を持っている教員は、FA(フリーエージェント)制を主張し、特定の大学に所属せずに、自分のオンライン講座を各大学相手に「競売」に出すかもしれない。
既にアメリカでは、教員と大学の間で、講義の内容や使われる教材の「知的所有権」を巡る訴訟すら、何件も起こっている。「大学のネットワーク・サーバー上に載せられたオンライン教材、講義を記録したデジタルビデオの知的所有権は、一体誰に属するのか」「教員が他の大学に移った場合、それまで使われていたオンライン講座を、大学や他の教員は使い続けることができるのか」など、これまでには考えられなかった問題が山積している。
そのような中、昨年の4月にマサチューセッツ工科大学(以下、MITと略)の学長チャールズ・ヴェストが、特別記者会見とインターネットによる同時中継を通じて立ち上げを宣言した「オープン・コースウェア・プロジェクト」(以下、OCWと略)は、アメリカの高等教育界を震撼させた。同プロジェクトの主旨は、「今後、MITは、同大学と大学院の2000以上の講義で用いられる教材をインターネット上で無料公開し、世界中の大学・教員・学生が自由に使えるようにする」という大胆なものだ。
「ビジネス指向」の強いアメリカの名門私立大学の中には、オンライン講義という「一度に大量の学生に教育サービスを提供できる『新しい教育インフラ』」を武器に、「大学ブランド」と「独占的で質の高い教育コンテンツ」による大幅な増収を期待しているところも少なくない。それだけに、世界でも有数の名門私立大学であるMITが、大学の知的な資産である「教育コンテンツ」の過度な商業化に対抗する姿勢を打ち出したことは、まさに衝撃的であった。
MITの挑戦は続く。OCWによって「教育コンテンツ」のパブリック・ドメイン化を推進する一方で、さらに同大学は、「オープン・ナレッジ・イニシアティブ」(以下、OKIと略)と呼ばれる「オンライン教育のプラットフォーム」のパブリック・ドメイン化を推進するプロジェクトを立ち上げたのだ。
現在アメリカの大学の多くは、オンライン講義に、「WebCT」や「BlackBoard」など、教育ソフトウェア企業によって開発・販売されているプラットフォームを利用している。大学の講義のオンライン化が進むにつれ、大学側がこれらの企業の「意のまま」に、ソフトウェアの購入やサポートに莫大な予算を計上しなければならなくなってきており、これが年々深刻な問題となりつつある。
このような現状を鑑み、MITは、「教育コンテンツ」を無料で世界に開放する決断をしたのだから、それを入れる「21世紀の教育の器」としての「オンライン教育のプラットフォーム」も、誰もが無料で自由に使えるものにしなければならない、という考えから、OKIをスタートさせた。
昨春ボストンで開催されたOKIのサミット会議には、MITが中心となって、主要パートナーとなる大学や関連機関の代表が集められた。私も招かれて参加する機会を得たが、同会議では、既存のシステムを越えた優れた次世代のオンライン教育用プラットフォームの開発計画を巡って、2日間に渡り活発な論議が繰り広げられた。未来の大学の姿を予見した新しいシステム仕様などについても、教育システム研究者、ソフトウェア・エンジニア、大学アドミニストレーターなどから、広範な意見が寄せられた。
「MITが、システムの中枢となるモジュールをある程度開発した時点で、仕様やプログラムコードを一般公開することにより、他の大学が自由に改良を加えたり、各々に必要なモジュールを追加し、さらにそれらを共有する」というのが、OKIの描く大学間の共同開発のシナリオだ。勿論、もう一方のOCWでは、これと同様の展開が、「教育コンテンツ」に関しても連鎖的に生じることが期待されている。
大学における「教育コンテンツ」や「教育の技術的インフラ」の開発と利用は、今後、個々の大学の「営利主導」で進められるのか、それとも高等教育界全体の「公的利益主導」で進められるのか。MITのOCWやOKIのような先駆的プロジェクトは、その試金石になろうとしている。
インターネットに代表されるテクノロジーの進歩と普及により、高等教育は、今までには考えられなかったスピードと規模で進化を始めた。その進化の行く先に見えてくるものは、「知識を囲い込んで売り物にするだけの教育ビジネス」なのか。それとも、「人類全体の知的資産としての『教えと学びの知識ベース』の構築」なのか。再編が進められつつある日本の大学にも、「世界の高等教育の未来を見越した一考」を促したい。
(本稿は、カーネギー教育振興財団の飯吉 透氏にご寄稿いただいたものです)