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アルカディア学報

No.661

日本学術会議の分野別参照基準
大学教育の質保証と教学マネジメント

北原和夫(東京工業大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授)

シンポジウムの概要

 2019年10月27日、日本学術会議講堂において、日本学術会議大学教育の分野別質保証委員会並びに同科学者委員会学術と教育分科会の主催、そして私が研究代表者を務める科学研究費基盤研究(B)「参照基準の利用状況を通した大学教育のカリキュラム改善に関する組織文脈的要因の考察」の共催、文部科学省後援によって、このシンポジウムが開催された。冒頭に日本学術会議を代表して三成美保副会長が挨拶し、「多くの大学で日本学術会議の参照基準が教育の質保証に役立てられることを期待する」と結んだ。そのあと第一部は基調講演、休憩をはさんで第二部ではパネル討論「今後の大学教育の質保証と参照基準」が行われ、最後に参照基準の策定作業に深く関わってきた聖心女子大学学長高祖敏明教授の閉会の挨拶を以って終了した。全体で約4時間のシンポジウムとなった。参加者は講演者等を含めて163名、国立大学22校、公立大学4校、私立大学50校、海外の大学1校、短期大学1校、高等専門学校2校、高校1校、行政機関1省、認証評価機関3機関、報道2社、その他企業等12社からの参加で幅広い関心をうかがわせるものであった。シンポジウム終了後、30分ほど会場のロビーで、主催者、来場者の情報交換会を開催し、多くの来場者が参加して活発な意見交換がなされた。

基調講演の概要

 はじめに私が「日本学術会議の教育課程編成上の参照基準について」と題して、参照基準の策定に到った過程を説明した。「参照基準」は2008年文科省から日本学術会議に対して大学教育の分野別質保証の在り方についての審議依頼があり、日本学術会議は二年間の審議を経て2010年に「回答:大学教育の分野別質保証について」を取りまとめて文科省に手交し公開した。そこで質保証の枠組みとして、「参照基準」の策定を提案し、自らその策定作業に取り掛かったのであった。本年まで9年を経過して32分野の「参照基準」が策定されたのである。各分野の教育課程を編成する際の参考となることを想定しての策定作業であったが、各分野の学びの意味を再確認する作業でもあり、また他者に各分野の学びの意味について紹介し、分野間の相互理解を促進するという意味も持つことがわかる。つまり「参照基準」では「世界の認識の仕方」と「世界への関与の仕方」という視点で各分野の定義、特性を記述することにしている。
 さらに初等中等教育の関係者にとって各分野の大学教育は何を目指すものかが見えてくる。そして大学を卒業したものたちが活動する社会からは、大学の教育が可視化されてくる。こうして、これまで大学(university)に限定されていた学問共同体(uiversitas)は、中等教育、社会も含む新たな学問共同体としての一歩を踏み出したのである。
 次に吉田文教授(早稲田大学)が「大学教育の質保証をめぐる海外の動向」と題して、英国におけるQAA(Quality Assurance Agency)の活動、欧州におけるInternational Tunning Academyの活動、米国の学習成果評価機関(NILOA)、カレッジ・大学連合(AAC&U)、米国歴史学会など諸学会の活動を紹介した。いずれも大学関係者に限定されずステーク・ホルダー(学生、卒業生、雇用者など)の意見を取り入れて「参照基準」の策定並びに改定作業を進めている。またこれらの活動を担う機関、団体が恒常的な活動をしているのであり、その点で日本においては、日本学術会議や諸学協会が継続的にかつ広い議論を取り込みながら活動を担っていくことが望ましい。
 次に深堀聰子教授・木村崇教授(九州大学)が「九州大学における教学マネジメント改革の取り組み」と題して、参照基準を参考として九州大学が進めている施策について紹介した。学位プログラムレベルの学習成果(competence)と授業科目レベルの学習成果(learning outcome)を区別して教育課程を構造化し可視化する。特に先進的に行なっている理学部物理学科、理学府物理学専攻の事例について詳細に報告を行った。「物理学・天文学分野の参照基準」に記述されている「獲得すべき知識と理解」に対応して学習成果を提示している。加えて、アドバイザー制度、教員による講義の参観などで、学習成果の達成に向けた努力をしていることなどが報告された。九州大学の現場に合わせて具体的な教育プログラムを構造化することで、教育成果をあげているのである。具体的事例として大いに参考となる。
 最後に松下佳代教授(京都大学)が「教育学分野の参照基準と参照基準の役割について」と題して、教育学分野の参照基準の策定の状況を紹介した。多くの大学の教育学部が教員養成をミッションとしていてすでに教職課程のコアカリキュラムが制度的に決まっている状況があり、一方で学術としての教育研究も存在する。そこで教育研究を中心にするものの、教員養成課程も含む「教育学分野の参照基準」を策定することにし、現実の教職課程コアカリキュラムを相対化し、今後改定されていく際の足がかりとなる「教育学」を目指すことにした。こうして、教育学の定義は、「ある社会・文化における人間の生成・発達と学習の過程に意図的に働きかける教育という営みを対象とする様々な学問領域の総称」とした。これより固有の特性として、「人間と社会の可変性への関心」「研究アプローチの多様性」「技術知と反省知の両面性」「教育学の再帰性」「他の諸学との協働」などが挙げられている。
 松下教授は、参照基準全般についても、単に教育課程編成上の枠組みに止まらず、各分野の学問的性格、一人一人の人間にとっての学びの意味を示すという点で、参照基準をもとにして、分野間の共通性と差異を俯瞰する日本版「知の理論」を創ることを提案。2016年の中教審答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領の改善及び必要な方策等について」で、参照基準について以下のように触れられていることを紹介し、他の教育機関との連携の可能性を示唆した。「各学問分野が、どのような世界の認識の仕方や世界への関与の仕方を身につけさせようとしているのかという特性を踏まえ、分野に固有の知的訓練を通じて獲得される汎用的な有用性を持つ力が(参照基準において)明確化されている」

パネル討論「今後の大学教育の質保証と参照基準」の概要

 シンポジウムの後半は、吉田文教授がモデレータを務め、パネリストとして、上記基調講演を行った4名に加えて、橋本伸也教授(日本学術会議科学者委員会学術と教育分科会委員長、関西大学)と日比谷潤子教授(国際基督教大学学長)が登壇。活発かつ多様な議論がなされたが、紙面の都合上割愛し一つだけ紹介するに留める。九州大学の事例について、教学マネジメントを実施する際に教員に大きな負担がかかるのではないかとの質問に対して、実際に参照基準を参考にカリキュラム・マップの作成などをやってみると、実は内容的には、これまでやってきたこととあまり変わらず、むしろ参照基準によって考え方の整理がついたということであった。
 実は、「物理学・天文学分野の参照基準」の策定の過程において、日本物理学会等ではオープンな討論がなされてきて、ある程度のコンセンサスはできていたのである。