加盟大学専用サイト

アルカディア学報

No.66

カーネギー財団の試み―知的テクノロジーと教授実践の改善(上)

カーネギー財団 上級研究員・同知識メディア研究所ディレクター 飯吉 透

 テクノロジーが、アメリカの高等教育を変えようとしている。今回は、私が勤めるカーネギー教育振興財団(以下、カーネギー財団と略す)の知識メディア研究所で行われている一連の研究と開発について取り上げたい。
 カーネギー財団は、教育の向上に関する学術調査や政策研究を行う独立系研究機関として1905年に設立され、その約100年に渡る歴史の中で、アメリカの教育機関と教員の質的向上を促進するための数々の研究・調査を行ってきた。アメリカの高等教育機関で用いられている「カーネギー大学分類」や授業カリキュラムに単位制を導入した最初の試みとなった「カーネギー・ユニット」などは、アメリカ内外の教育政策に多大な影響を与えてきた。また、今は全米最大の公的テスト機関となった「Educational Testing Service(ETS)」も、カーネギー財団のプロジェクトから派生し、独立したものだ。
 このカーネギー財団の最も新しいプロジェクトの一つである知識メディア研究所は、現カーネギー財団理事長(元アメリカ教育研究学会長・スタンフォード大学名誉教授)のリー・シュルマンの構想に基づき、「テクノロジーを利用した教育改善の可能性を追究する」ことを目的として設立された。現在、知識メディア研究所では、他のアメリカの高等教育・研究機関、IT(情報テクノロジー)企業などとの協力の下、「最新のマルチメディアやネットワークテクノロジーを利用した、教授実践の質的向上に関する研究と開発」が行われている。
 知識メディア研究所における研究・開発がユニークなのは、「テクノロジーを、単に教授や学習のためのツールとしてのみ扱っているのではない」という点だ。現在、アメリカの高等教育界には、「Scholarship of Teaching and Learning」という考え方が浸透しつつあるが、現在、知識メディア研究所で行われている研究は、この「Scholarship of Teaching and Learning」(以下、SoTLと略す)の考え方に深く根差している。SoTLは、オペレーショナルには「教授実践を記録・顕在化し、それを教師同士が分かち、互いに吟味し合い、互いの教授・学習に関する実践的知識を積み重ね合う試み」と定義されるが、知識メディア研究所では、「このそれぞれの過程において、テクノロジーがどのように教員を支援できるのか」というテーマに基づいた実証的な研究と開発が進められている。
 具体的な例を挙げてみよう。まず「教授実践を記録・顕在化する」ために、デジタルビデオやマルチメディアを使って授業を記録し、それをネットワーク上で他の教員や研究者に「公開」する。次に、教員同士がオンライン協調システムを使い「互いの教授法やその効果と問題点」などに関して、意見の交換や討議を行うことで、「互いの教授実践を吟味」し合う。さらに、その結果得られた知見をオンライン・データーベースに蓄積することで、「教授・学習に関する互いの実践的知識を積み重ね合う」ことを可能にする。知識メディア研究所は、このような試みを、「Carnegie Academy for the Scholarship of Teaching and Learning」と呼ばれるカーネギー財団のフェローシップ・プログラム(以下、「CASTLプログラム」と略す)と共同で行ってきた。
 「CASTLプログラム」では、毎年、アメリカ全土の大学(カッレジも含む)から自薦・他薦によって応募された様々な学問分野の大学教員の中から、約20?40名が選抜される。これらの教員は、フェローシップを受ける一年の間、「自らの教育実践の改善に積極的に取り組み、大学や学問分野の違いを越えて、その教育実践研究の目的・過程・成果を共有する」ことを奨励され、それを履行する。対象となる研究テーマは、「特定の教授法やテクノロジー利用の実践的検証」から「学生の概念的理解の新たな評価方法の開発」まで様々だ。これらの教員に対し、カーネギー財団は、研究助成を行うだけでなく、財団上級研究員や著名な教育学者によるセミナーやワークショップ(年間で4週間程度が充てられる)などの開催を通じ、彼らのSoTLに関する知識や研究手法の研鑽の支援を行う。また、このような個々人の教員を対象としたフェローシップ・プログラムとは別に、アメリカ高等教育学会と共同で、大学行政レベルでのSoTLへの取り組みを支援する「CASTLキャンパスプログラム」も実施しており、ボトムアップ、トップダウンの両アプローチによって、SoTLの普及・促進に努めている。
 これら「CASTLプログラム」に関わっている教員や教育研究者たちは、知識メディア研究所が開発したオンライン協同システム「Carnegie Workspace」上で、授業改善に関する研究データや資料(例えば「授業過程を分析するために収録されたデジタルビデオ」「自ら開発したオンライン教材や学生の提出レポートのサンプル」「研究中間レポート」など)やそれらに対する互いの所見を共有し、各自の実践的研究に役立てている。また、一部の教員は、知識メディア研究所と共同で、「教授実践に関する研究の過程と成果」をマルチメディア・ポートフォリオとしてまとめている。これらのマルチメディア・ポートフォリオは、オンライン・データベース化されており、学問分野や研究トピックなどによって検索することが可能だ。従来の文字と図表のみによる研究報告では不可能だった「様々な教授・学習の側面を『多次元的』に捉える」ための手法として、アメリカの高等教育界が、マルチメディア・ポートフォリオに寄せる関心は高い。教員養成(FD)や教授能力の開発・評価において、今後マルチメディア・ポートフォリオは、ますます重要な役割を担っていくと考えられている。
 このような試みが進められる中、最大の「知的難題」は、個々の教員が持っている教授実践に関する膨大な知識や経験を、どのようにして「解りやすい伝達可能な形」にし、さらに「教員たちがそれらの知識を共有し切磋琢磨する過程」で新たに産み出される「教授実践コミュニティーとしての知的資産」をどのように集積し、再利用できるように体系化するか、ということだ。「教授・学習のメカニズム」が、いかに高度で複雑であるかは、様々なデータやパラメータを駆使してその全体像を描こうとする時、あらためて痛感させられる。例えば、「ある教授法がうまく機能せず、学生の理解が不十分に終わった」という明らかな証拠がある場合、「一体、教え方のどこが悪かったのか、何を改善すれば良いのか」を、教授・学習過程の記録を分析することによって導き出し、他の教員や研究者が納得できるように説明するのは、膨大な知的・時間的労力を要する作業だ。この知的活動を支援し、「実践的かつ学問的な教授・学習に関する『知のヴァーチャル・コミュニティー』」を形成していくために、最新のメディアやテクノロジーをどのように利用するかは、今後の高等教育の進展を左右する大きな課題の一つである。
 カーネギー財団の「CASTLプログラム」や知識メディア研究所における取り組みは、フェローシップを授与された教員や関連諸学術機関を通じてモデル化され、既にアメリカの幾つかの大学では、同様の試みが始められつつある。「互いの最新の業績を開示し、吟味し合うことを通して、学問分野を築いていく」という、研究の世界では当然のこととして長年積み重ねられてきた努力は、近代の高等教育システムによる教育実践において、著しく軽んじられてきた。テクノロジーの利用は、その怠慢を是正し、高等教育界に「教授実践の改善に向けた学究的なアプローチ」を普及させるための「起爆剤」となる可能性を孕んでいる。
 (本稿は、カーネギー教育振興財団の飯吉 透氏にご執筆いただいたものです)