アルカディア学報
「SoTL学識研究」への誘い
~ファカルティ・ラーニング・コミュニティの形成~
大学教育は、このままでいいのか
昨年、京都大学を退職した溝上慎一元教授が、『大学生白書2018 いまの大学教育では学生は変えられない』(東信堂、2018年)というショッキングなタイトルの著書を刊行し、2018年9月25日に日本記者クラブで記者会見を行った。周知のように、2008年、大学設置基準改正でFDが義務化された。結果的にみれば、過去10年余り、FDは大学改革に貢献しなかったことになる。なぜなら、この改正には構造的欠陥があった。それは、FD義務化が担当教員に対してではなく、大学に対して行われたため、大学間で格差が生じ、FDの重要性が末端の教員まで周知できなかったからである。アメリカにおけるFDの歴史を顧みれば、日本が2008年にFD義務化に踏み切ったとき、アメリカはFDに代わる次世代型CTL(Center for Teaching and Learning,以下、CTLと略す)に舵取りをした。当時、アメリカではFDという言葉は「禁句」で死語と化した。
FDの後、CTLそして最近はScholarship of Teaching and Learning,SoTL(ソートルと呼ぶ。以下、SoTLと略す)という考えが広がった。このScholarshipの日本語訳は多岐にわたるが、本稿では、学問分野における「学識」と定義づける。
アメリカのFDの過去・現在・未来
2018年6月16日、帝京大学学修・研究支援センター開設記念シンポジウムでディ・フィンク博士がアメリカのFDの過去・現在・未来について講演した(詳細は、「FDとは継続的な改善~アメリカのFDの過去・現在・未来~」『教育学術新聞』第2741号を参照)。FD発祥国アメリカでは絶え間ない努力が払われた。とくに、1995年を起点とした「学習パラダイム」後は、SoTLという考えが普及した。
SoTLが高等教育で普及するようになった過去20年、大きな変化が見られた。まず、教員が学生の学習に関心を持ちはじめ、批判的に分析・研究するようになり、学生への積極的な「関与」が顕わになった。そこでは、証拠(エビデンス)にもとづく(Evidence-Based Teaching and Learning)調査研究が主流になり、研究成果を公開することが一義的となった。
SoTLは日本国内でも取り組みが行われるが、SoTLとは何か。これまでの教育学術研究とどこが違うのか、どのように関連しているのか。どうすれば、SoTL(教育・学習の学識研究、以下SoTL学識研究と略す)と言えるのかが不十分である。したがって、教育学術研究(Scholarly Teaching)とSoTL学識研究の関係も明瞭でない。
教育学術研究とSoTL学識研究の関係
筆者は、後述のLilly Conferenceに参加し、Milton D.Cox博士のワークショップに出席、彼への単独インタビューをもとに、SoTL学識研究について調べたので、その一端を以下に紹介する。
両者の関係については、この分野の専門家の間でも意見が異なる。たとえば、両者を峻別すべきでなく、互いに関連すると主張する研究者もいる(詳細は、イーロン大学の動画 https://www.youtube.com/watch?v=eedxoj1CPnkを参照)。これを以下の図表「教育学術研究とSoTL学識研究の継続的サイクル」を用いながら説明する。それは、高等教育におけるティーチングとラーニングの基礎知識に関する参照文献の収集から出発し、そこに戻る継続的サイクルである。具体的には、学習に関連した問題提起の文献調査からはじめ、プロジェクトをデザインし、問題解決の証拠(エビデンス)を収集する。そこでは、比較基準値にもとづいて参照文献との比較考察を行い、これまでの研究との違いをアセスメントした後、SoTL学識研究に値するかどうか判断する。その結果を踏まえて、発表や刊行のためのプロポーザルを提出し、ピアレビュー(同僚評価)で認められれば、SoTL学識研究の公式大会Lilly Conferencesでの発表が許可される。すなわち、SoTL学識研究として認められるには、「ピアレビュー」が重要条件になる。
SoTL学識研究に認証のようなものはない。なぜなら、研究者の学問分野における「学識」を証明するに過ぎないからである。SoTL学識研究者は、参照文献研究者(Referenced Scholar)となる。したがって、参照文献に掲載されることが認証となる。学界でも論文数でなく、引用数で評価するように、参照文献への掲載がSoTL学識研究者につながる。換言すれば、スカラーシップとは、参照文献に列挙された「学識経験者」ということができる。
後述のLilly Conferencesの発表に限らず、カナダのSTLHE学会などにおいてもティーチングやラーニングに関するプロポーザルが認められ、ピアレビューを経て刊行された研究であれば、SoTL学識研究と呼ぶことができる。すなわち、多様なチャネルを通して、SoTL学識研究者として貢献できる。数学や歴史などの学問分野におけるSoTL学識研究者が多いが、Cox博士は学際的分野のSoTL学識研究者の育成を目ざしている。
ファカルティ・ラーニング・コミュニティーとLilly Conference
SoTL学識研究への「橋渡し」として注目されるのが、ファカルティ・ラーニング・コミュニティ(教授学習実践共同体)と呼ばれるもので、オハイオ州マイアミ大学Cox博士の教育革新センター(Center for Teaching Excellence)にある。これは40数年の歴史を有し、SoTL学識研究の発表・刊行の機会を提供するLilly Conferencesと活動を共にしている。Lilly Conferencesの名称は、1979年初期のアイデアがイーライ・リリー(Eli Lilly)と彼の会社からの支援を受けたことに由来する。ファカルティ・ラーニング・コミュニティーとは、8~12人の学際的教授陣からなり、教授、大学院生および管理専門家のミックスである。そこでは1年間の共同研究を行い、3週ごとにプロジェクトにもとづき、グループ活動を行い、SoTL発表のための共同セミナーが開かれる。2018年11月のLilly Conferencesでは、SoTL関連の発表が66セッションあった。
SoTLとボイヤー
アーネスト・ボイヤーが1990年にSoTLを導入したとき、その定義づけに関して混乱があった。マイアミ大学教育革新センターは、SoTLをティーチングとラーニングに関するピアレビューされた発表あるいは刊行物と定義づけた。
したがって、クラスルームに関連した取り組みが、SoTL学識研究の主流と考えられてきたが、今ではそれに限定する必要はない。カリキュラムやサービスラーニングに関する研究も、学生の学習にどのような影響を及ぼすかを研究対象にするものであれば、SoTL学識研究とみなされる。すなわち、ティーチングやラーニングに関連するすべてがSoTL学識研究の対象になる。たとえば、初年次教育におけるティーチングとラーニングもSoTL学識研究となる。統計的・数量的データだけでなく、質的データに裏づけられた研究もSoTL学識研究の範疇に入る。
ファカルティ・ラーニング・コミュニティーを活用したSoTL学識研究
Cox博士は、ファカルティ・ラーニング・コミュニティーを活用したSoTL学識研究の促進に28年間携わっている。1981年に、最初のLilly Conferencesでファカルティ・ラーニング・コミュニティーを活用したSoTL学識研究に関する大会が、オハイオ州マイアミ大学で開催された。ファカルティ・ラーニング・コミュニティーを活用したSoTL学識研究の起点が、ティーチング・プロジェクトであったことから、「授業研究」と呼ばれたが、現在は多岐の領域に広がっている。
なぜ、ファカルティ・ラーニング・コミュニティーがSoTL学識研究において重要なのか、それは同僚からの批判的なフィードバックが継続して受けられるからである。
教員の多くは、SoTL学識研究者になるには数年を要するので、簡単にSoTL学識研究はできないとしり込みする者もいるが、「授業研究」は非専門家のために設計されたもので、専門用語を多く使用していないのでわかりやすい。また、プレゼンテーションの経過報告書やフォローアップ・プロジェクトも可能なので、1年間でSoTLプレゼンターになることできるとCox博士は筆者に語っている。発表や刊行は、グループでも単独でもできる。
日本におけるファカルティ・ラーニング・コミュニティー・ネットワークの形成
FDはより良い講義者となるための教員開発であり、SoTLはより良い教育者となり、学生の学びを豊かにする教育開発であると峻別できる。科学的調査によれば、ファカルティ・ラーニング・コミュニティーは、研究を持続可能にすることが明らかである。さらに、同メンバーは、プロジェクトデザインを互いに批判して、早くから議論できるプロセスを踏まえることができる。日本におけるFDのあり方が抜本的に見直される状況下で、ファカルティ・ラーニング・コミュニティー・ネットワークを形成し、ティーチングとラーニングに関する共同研究を促進し、SoTL学識研究へとつなげる取り組みは、FDのみならず、SDそして企業内研修にもつながる有効な方法で、時宜を得た提言である。
アジアでもLilly-Asia Conferenceというものが形成され、SoTLの発表が行われている。今年は、5月16日~18日に香港で開催される(詳細は、https://www.lillyconferences-asia.com/を参照)。
筆者は4月から、IT専門職大学院・京都情報大学院大学(副学長・教授)に就任した。これからはFD、そしてSoTL学識研究促進のためにITを駆使して、ファカルティ・ラーニング・コミュニティー・ネットワークづくりに尽力したい。