アルカディア学報
【私大ガバナンス・マネジメント改革 PT調査報告③】
行動によって理念を具現化する組織連携力の強い文化を継承
―愛知淑徳大学
大学の概況
愛知淑徳大学の設立母体である学校法人愛知淑徳学園は、1905(明治38)年、愛知県下で初めて認可された私学の高等女学校(旧制)である愛知淑徳女学校を前身とする。同学園は1961(昭和36)年に愛知淑徳短期大学を開学、1975(昭和50)年には現在の設置校である愛知淑徳大学を開学する。
当初、同校は女子大学であったが、1995年より男女共学化を果たし、現在では、2キャンパス(長久手キャンパス、星が丘キャンパス)に9学部(文学部、人間情報学部、心理学部、創造表現学部、健康医療科学部、福祉貢献学部、交流文化学部、ビジネス学部、グローバル・コミュニケーション学部)5研究科(文化創造研究科、心理医療科学研究科、教育学研究科、グローバルカルチャー・コミュニケーション研究科、ビジネス研究科)を擁する総合大学として発展し、学生数9155名、教員数247名、職員145名(嘱託職員、準契約職員含む)(2016年5月1日現在)を抱えるまでとなった。
UI(ユニバーシティ・アイデンティティ)の再確認と具体化
同校は、男女共学化や規模の拡大等、近年、急速に改革を成し遂げた私学の1校である。こうした改革の原動力となったのが、創立者の掲げた教育目標を起源とするUI(ユニバーシティ・アイデンティティ)の再確認である。
そもそも同学園の教育目標は、創設者である小林清作氏が、当時の男尊女卑の封建的な女子教育に対して、「自覚したる女子は1個の人間であらねばならぬ」と異を唱え、「10年先、20年先に役立つ人材の育成」を掲げたことに始まる。以来、同学園は、これを受け継いできたが、1993年、教育目標の具体的な達成に向けて、理念の策定に着手した。
審議は、「UI委員会」および「理念検討委員会」(若手教員を中心とするUI委員会の下部組織)を中心に行われた。そこでは、単に社会の動向を踏まえるだけではなく、「愛知淑徳大学らしさ」とも言える創設者の建学の思いに立ち返ることも重視された。そうして、1年余りにも及ぶ議論の末、現在の大学の理念である「違いを共に生きる」が誕生するに至った。
続いて同校では、この理念に基づき、学部の再編、外国人や社会人の受け入れおよび社会福祉など、次々と教育目標を具現化するための施策を打ち出した。男女の違いを正しく認識し、共に生きるという視点から、1995年の大学創立20周年を機に男女共学化を進めるとともに、学際系の学部として、新たに現代社会学部を設置して2学部体制となった。2000年には、募集停止した短期大学の学科を基礎に文化創造学部を設置するとともに、文学部の再編により、新たにコミュニケーション学部を設置した。さらに2004年には、「違いを共に生きる」の理念のもと、国籍の違いを踏まえた留学生の受け入れをコンセプトとするビジネス学部を、健常者と障害者が共に生きることをコンセプトとする医療福祉学部を設置し、6学部体制となる。そして、2010年には、学部の特徴を明確に打ち出すため、6学部を8学部体制に大胆に再編し、収容定員を増加させる大事業を成し遂げている。
2016年度には、同校9番目の学部としてグローバル・コミュニケーション学部が設置された。同学部は、国籍の違いを超えたグローバルな視点を持つ「違いを共に生きる」人材を育成することを旨とする学部である。
リーダーシップを支える組織文化
こうした一大改革のキーパーソンは誰なのだろうか。それは、経営トップである理事長と学長である。同校において、両者が発揮するリーダーシップは非常に強い。学部再編プランは、理事長、学長、副学長で素案を練り上げ、各学部の意見を聞きながら、迅速な意思決定の下で実現させたものである。
経営トップ層が強力なリーダーシップを発揮できているのは、学長については副学長、学長補佐による支援体制が整備されていることが大きい。加えて、次節の制度設計にも見られるように、開校当時の小規模組織ゆえのフットワークの軽さと風通しの良さが、現在に至るまで、組織文化として定着していることも非常に有効に働いている。
さらに、切迫した状況ではないにも関わらず、同校の大胆な改革が教職員の理解を得られたのは、ひとえに理念が教職員に深く浸透していたがゆえである。「学生のためになるのかどうか。その1点を意識している。皆、理念を理解しており、理念に沿った取り組みに対しては誰も否定的な意見は言わない」と同校の伊藤事務局長が話すように、教職員が理念の下、学長・理事長に共感し、施策を受け入れる態勢が整っていたことが、スピーディーな改革を実現させたのである。
意思決定の迅速化と経営と教学の連携
同校では、教学の意思決定プロセスにも工夫が見られる。以前より意思決定機関として、学長、副学長、研究科長、学部長および各学部選出の委員等で構成する「大学協議会」を設置していたが、全学的方針に基づく議論の活発化を目的として、新たにその上部に、前記メンバーに法人本部長、事務局長および学生部長を加え、全学的方針の策定を主要な議題とする「大学運営委員会」を設置した。また、企画段階の新たな案件を学部から吸い上げるため、教授会から上がってくる教学施策のアイディアを、学部間で議論する場として「総合企画委員会」が設置された。同委員会は、学長、副学長、学部長、研究科長および事務局長で構成されており、大学協議会の1週間前に開催され、大学協議会に諮る議題の調整弁の役割を担っている。
このように同校では、議題により審議の場を階層化することで、教授会から上がってくる案件も含め、トップダウンとボトムアップをうまく融合させた議論ができる仕組みが作られている。
これとともに経営と教学の連携の強固さも同校の強みの1つである。現在の小林学園長・理事長は、教学に係る事項を島田学長に一任する一方で、経営と教学の間の密な連携体制を確立している。月に1度の「常任理事会」以外にも、日常的に理事長、学長、法人本部長および事務局長の4者で話し合いを行っている。
また、経営と教学に跨る案件、例えば予算執行方針や教学に係る戦略的な取り組みについては、経営と教学のトップが参画する「経営企画委員会」において議論しており、学外の動向等の情報も、適宜この場で共有されている。
考察
組織の理念を構成員に浸透させることは容易ではない。同校がこれを実現できたのは、ひとつには、開校当時の小回りの利く連携の強さ、風通しの良さを組織文化として大事に育ててきたことが大きい。
しかし、その神髄は、経営トップが軸をぶらすことなく、常に「違いを共に生きる」という理念の下に起こしてきた行動の蓄積の中にこそある。男女共学化、医療福祉学部・グローバル・コミュニケーション学部の設置など、すべての施策が理念を具現化するために展開されてきたものである。
同校の事例から分かることは、経営トップは、理念を自らの口で発信するだけではなく、理念に基づく行動を繰り返し見せることで、初めて、その理念の持つ意味やその組織の「らしさ」が構成員に理解され、行動の変容に結びつくということである。
(つづく)