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アルカディア学報

No.567

入試改革から学制改革へ
「接続」の意味について

主幹  瀧澤 博三(帝京科学大学顧問)

入試改革から高大接続へ
 大学入試とは、高校教育から大学教育へと、生徒の能力、志望に即して適切に受け渡しをする制度として、高・大の中間に位置し、高校での基礎的な学習の達成度を評価し判定をする。この入試が受験生の大学教育への適性を判定するよう公正・適切に行われるならば、入試は個々の生徒の円滑な受け渡しのためだけでなく、日本の高校卒業生はどういう知識・能力を持っているのかを内外に説明し、高校教育の質を保証する資料とすることもできたはずであった。
 ところが、最近の大学入試市場の激変の結果、入試改革といえば受験生の多様化に対応しうるよう入試科目の簡易化、選抜方法の多様化が専らで、教育の質保障からは遠ざかる一方であった。このような状況に対し、教育の質保障を個々の学校の努力に委ねるばかりではなく、システムとしての高校と大学との接続の在り方を見直してゆこうという新しい方向を示唆し、「高大接続テスト」の検討を求めたのが2008年の中教審答申(学士課程教育の構築)であった。
 更にこれを受けて、2012年の答申(大学教育の質的改善)では、高大接続を優先課題として取り上げ、「高校教育の質保障、大学入学者選抜、大学教育の質的転換とを、高校と大学がそれぞれ責任を持ちつつ連携しながら同時に進めることが必要である」とした。入試という繋ぎを中に挟みつつ、その前後に高校教育と大学教育の質の改善充実を課題とするなら、それは高校から大学までの学校制度の在り方そのものをトータルに改革の対象とすることに他ならない。
高大接続から学制改革へ
 日本には欧米各国のようにバカロレア、アビトゥーアなど大学への入学資格に繋がる試験制度や民間ベースで開発された共通試験・標準試験等の歴史がなく、個別大学の選抜試験のみに基礎学力の把握や生徒の学習時間の確保などの多面的な質保障機能への期待が寄せられていた。ところが、近年の大学進学市場の激変により、入試の競争圧力が低下するとともに、これらの入試の質保証機能も失われたと見られるようになった。
 入試改革は議論を進めるほどに大学制度の深部に入り込んでいくように思われる。ここ何年かの中教審の議論を追ってみてそのことを痛感する。それだけ入試の問題は大学制度の諸問題に深く広く関わっているのであり、いずれは既に戦後70年の歴史を経た6・3制の改革問題にぶつかることは必然だったのだろうと思われる。
 政府の教育再生実行会議では、高大接続システムの改善を急務とし、その第4次提言で、中教審の高大接続部会の答申を踏まえ、新たな統一テストとして「達成度テスト―基礎レベル・発展レベル」の実施を含む第4次提言を昨年10月に発表したが、引き続いて今年7月には、第5次提言として「今後の学制等の在り方について」を発表し、義務教育・無償教育の期間、学校段階間の連携、一貫教育や区切りの在り方、職業教育制度など学制の在り方全般に亘った提言を行った。入試改革の議論は高大接続へと展開したが、そこでとどまることはできず、6・3制改革へと拡大して行くのが必然の道程だったといえよう。
学校制度における「接続」の意味
 ここで学校制度の議論としての「接続」の意味を再確認してみたい。日本語としていささか分かりにくい「接続」とはarticurationの訳語だとされているが、この単語は本来「節:ふし」を意味するようだ。6・3・3・4の学制を16年間の1本のプログラムとして見たのでは中身が複雑、多様過ぎて教育目標もカリキュラムの構造も明確にできない。年齢段階・発達段階等によって複数の部分に分け、それぞれの部分の性格を明らかにすることによって全体の理解が可能になる。そこでarticurationとは、長いものを複数の部分に区切り、それぞれの部分の性格を吟味することによって全体を分かり易くすることだと理解できる。
 次に引用するのは、元文部科学事務次官の銭谷真美氏による大学入試サミット(大学入試せンター主宰:平成26・3月)における講演からの引用である。
 「実は今、我が国の教育の大きな課題の1つは、高校教育をどう考えるかということだと思っています。教育基本法の改正、学校教育法の改正を平成18年、19年と行ってきました。議論の中心は義務教育で、それまで小学校、中学校別であった教育目標を義務教育として統一するということをやり、大方の共感は得られたと思います。ただ、問題は高等学校です。今回の教育基本法の中にも「高等学校」という言葉はでてこないのです。義務教育は出てきます。大学、高等教育もでてきます。やはり我々として検討が不十分であったと思っています。……いま戦後の高校3原則による総合的な高校というのは少なくなり、いろいろなタイプの高等学校があって、性格によって大学準備教育を行うもの、専門教育を主とするもの、地域で総合的な教育を行うものなどに分かれてきています。ですから、15歳から18歳までの義務教育後の後期中等教育機関としての高等学校、これをどう位置づけて、そのカリキュラムをどうしていくのかは、教育界でぜひ真剣に考えて頂きたい課題だと思います。このことなくして大学入試の問題は語れないのではないか」 これは「節:ふし」の問題の検討が不十分であったとの率直な表明であった。
 もう1つ、教育上の接続と「節:ふし」との関係では注意すべき問題がある。入試制度がうまく機能するためには、学校制度全体として学校制度間の生徒の移動が円滑にゆくよう、教育の質保証をはじめ制度間の連携システムが整えられ、移動に伴うカリキュラム上、教育指導上の断絶を少なくすることが求められるが、半面で、アドバンスト・プレースメントなどが盛んになったことが、高校教育と大学教育の違いは何かという問題意識を生んでいるという面もあるようだ。
 生徒の志望、能力の多様化に応じ、教育接続の柔軟な工夫が求められているが、「接続」は単に繋げればよいということではなく、良い接続のためには、その前提として良い切断、よい分節化が必要である。そのような意味を持った「接続」にarticurationという言葉を当てたことは大変意味のあることだったと思う。