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アルカディア学報

No.554

普遍化するMOOCは

客員研究員  飯吉 透(京都大学高等教育研究開発推進センター長・教授)

学びへの報奨が繋ぐバーチャルとリアル
 京都大学では、この4月10日から日本の大学としては初めて、世界のトップ大学30数校が加盟するedXを通じてのMOOC(大規模オープンオンラインコース)の提供を開始している。edXにおける京都大学の「屋号」とも言える「KyotoUx」の記念すべきコースナンバー「KyotoUx 001」を付与されたのは、物質―細胞統合システム拠点・化学研究所の上杉志成教授による英語講義「生命の化学(Chemistry of Life)」だ。本講義は、「化学と生物学の統合的なアプローチと応用を主題とし、これまでの先駆的な研究や開発を概観と分析を通じて学びながら、学生の創造力や構想力を育てること」を重要な教育目標としており、現時点で、世界中から約1万8000人が受講登録している。平均年齢は約20歳で、男性の数が女性をやや上回っている。また学歴レベルをみると、学士レベルが最も多く約32%、次いで高校卒業レベルが約28%、修士レベルが約24%、博士レベルが約7%と続く。これは大雑把にみれば、高校・大学・大学院のそれぞれの教育レベルの受講者が、それぞれ全体の3分の1を占めており、大学の学部レベルの授業ではあるものの、その上位・下位レベルの学歴層の学び手たちにも幅広く受け入れられているのが印象的だ。さらに、数10人程度とは言え、小学校卒業レベルの受講者や現役の小学生までいるのには驚かされる。
 一般的なMOOCでは、最後までコースをやり通し、所定の評価を通じて一定以上の成績を修めた受講者には修了証が発行されるが、KyotoUx 001では、さらに実験的な試みとして、次の3つの報奨的特典が用意されている。
 ・KyotoUx 001の国外受講者から成績上位者を、意欲等も考慮して1名選抜し、京都大学大学院への国費留学生として推薦する(年齢不問)。推薦された者には「総長賞」を授与し、選考には総長本人も参加する。
 ・講義期間中に、国内外の受講生から成績優秀者を5名程度選抜し、京都大学に約1週間招待し、実際の講義を対面で受講したり、在学生や教員との交流を持つ機会を提供する。
 ・受講生の中で、優秀なバーチャルTA(MOOC上でのティーチング・アシスタント)を「ベストTA」として表彰する。
 これらは全て、上杉教授自身によって提案されたものだが、特に最初の2点については、「バーチャルな学びの場からリアルな学びの場」を報奨を通じて繋ぐ試みである。これ自体が、入学制度改革に直接的に繋がる、と主張するつもりはないが、逆にこのような実験的試行や工夫なしで、海外からの留学生の受け入れ増加や入学制度改革が一足飛びに進むとは思えない。
ピア・アセスメントは1日にして成らず
 これまで京都大学で全学共通教育の正規科目として教えられてきた本講義は、前述の通り「学生の創造力や構想力を育てる」ことを重視している。そのため、そのMOOC版の開発や提供に際しても、学習評価方法については、MOOCで一般的に多用される多肢選択問題やいわゆる「穴埋め・間違い探し」タイプの問題によって、授業を通じて学んだ知識や技能の習得度のみをチェックすればよい、ということでは不十分であった。実際に教室で行われている講義では、受講している学生数10人に、化学・生物学を応用したアイデアや発明などを、図を中心とした1枚のレポートにまとめさせたものを各自提出させ、上杉教授が自らの専門的知識や教育・研究の経験に基づいて課題評価を単独で行ってきた。とは言え、もちろんこのような担当教員1人によって通常行われる評価方法を、全く同様に数千人・数万人の受講生に対して行うことは、現実的に不可能である。
 そのため、本MOOCの設計と開発にあたっては、「教育的な目標や理念を変えることなく、どのような『代替的』学習評価方法が考えられるか」という検討が時間を費やして綿密に行われ、その結果、今回はルーブリック(採点基準表)を用いたピア・アセスメントによる「学生同士による課題評価方法」を採用することになった。MOOCにおけるピア・アセスメントの利用に関する実践的先行研究から、1人の学習者が提出した課題に対し、適切なルーブリックを用いて他の3名の学習者が行えば十分な信頼性が得られるという知見が得られたが、より入念に、1人の学習者の課題に対し他の4名の学習者をシステムが受講生の中からランダムに抽出し、割り振るようにした。また、評価得点には加えないが、学習者自身が同じルーブリックを使った「自己評価」も行わせ、今後の評価方法改善のためのデータとして収集した。
 まだ開講されたばかりで現在進行中のMOOCの事例であるため、早期の中途報告にはなってしまうが、興味深かったのは、自分の提出した課題に対するピア・アセスメントの評価結果に対して不満を持った受講生たちが、このMOOCの受講生に提供されているディスカッションフォーラムを使って、既に提出した課題(通常は、ピア・アセスメントの評価者となる他の四名の受講生以外は簡単に見ることができない)を自主的に他の大勢の受講生に公開し、意見や評価を求め始めたという現象だ。通常の授業で教員自身が直接評価しても、試験や課題への評点に不満を述べる学生はいるだろうが、特にMOOCのような多種多数でしかも教育レベルも異なる可能性のある受講者間でのピア・アセスメントを行った場合、さらにはKyotoUx 001のように、それが直接成績に結び付く場合には、学生自身が「自らの提出課題を敢えて公開し、世に質を問う」という行動を取るようになることは、十数年来オープンエデュケーションを推進してきた自分にとっては、とても興味深く感慨深かった。そのような学生の行動を喚起させたものこそが、MOOCやオープンコースウェアのように、「講義や教材をオープンにすることを通して、教育の質とアクセスを向上させる」、つまり「自分で質が高いと思うものを不特定多数に無料で公開し、役立ててもらい、そのフィードバックをさらなる改善に役立てる」という一連の流れの源泉に繋がるからだ。

学習評価方法の進化と共に成長する学生と教員
 このKyotoUxは、複数年度に渡って繰り返し提供される予定だが、その間に継続的な改善も行われることになっている。例えば次年度は、ピア・アセスメントと自動課題評価システムの連携による新たな評価方法の開発も検討されているが、「通常の対面講義をMOOC化し進化させる過程を、漸次的な教育改善と教育イノベーションに直結させていくこと」は重要である。また、これまで上杉教授だけが「特権的」に行っていた課題評価方法に工夫を加え、受講生たち自身が互いに課題評価を行えるようにすることで、従来の講義では学生たちが身に付けられなかった新たな「学びと教え」に関する能力の成長を促せる、という教育的効果も期待できるようになる。
 勿論、MOOCによって進化し成長し続けるのは、評価方法や学生だけではない。MOOC用の講義収録を行う際には、制作スタッフやTA、他の教員等を交え、効果的な説明の仕方や教え方の検討が頻繁になされる。時には、収録されたばかりの授業ビデオを講義担当教員と共に全員で見て「振り返り」を行い、次の授業のための改善案について話し合うこともある。その意味で、講義をMOOC化する過程には、まさに授業改善のための教員による主体的なFDを促進させる副次的な効用があることは疑う余地がない。
 KyotoUx 001のディスカッションフォーラムには、現時点で受講者からの書き込みが数百に上っているが、その中で「皆でここに建設的なピア・レビューのためのスペースを作ろう」と題されたスレッドには、既に群を抜いた300近い書き込みが見られる。効果的なピア・アセスメントに必要とされるのは、減点主義でも相手を蹴落とそうとする姿勢でもなく、まさに「建設的な教えと学びのコミュニティーと文化」なのであろう。既に世界に広がるMOOCの数は1000を優に越えるが、それらがそのようなコミュニティーと文化の育成を助長しているのかどうか、と言われれば、残念ながら答えは「ノー」であろう。その意味で、MOOCは、まだ幼少期の最中にあるに過ぎず、その進化と成長は、まだ始まったばかりである。