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アルカディア学報

No.54

大学評価を考える―「納得性」の高い評価とは

東京工業大学名誉教授  市川 惇信

☆暗黙的評価と明示的評価
 評価のない意思決定は存在しない。日本の大学にも評価はあった。学生が大学を選ぶとき、教員が勤務大学を選ぶとき、設置者が大学に予算を配分するとき、その背後には必ず評価が存在していた。この評価は評価システムが部外者に見えない暗黙知による「暗黙的評価」であったため、評価がないとされていた。
 これに対して今日いう大学評価は、評価システムが部外者に見える形式知による「明示的評価」である。とすれば、暗黙的評価と明示的評価を比較し、それぞれの特徴を把握し制度設計をする必要がある。
 暗黙的評価の最大の長所は、評価者に人を得る限り、多元的で精度の高い評価であることにある。暗黙知の高い能力は、計算機が読み切れない複雑な碁の局面をヒトが読み切る能力をもつことでわかる。筆者が現役でいたころ、筆者の専門分野で世界の五傑、日本の五傑を挙げよ、といわれれば、たちどころに挙げられた。そして、その結果は、多くの研究者の間でブレが殆どなく精度の高いものであった。ブレるのは本人を入れるかどうか位である。これは、論文数とか被引用数では測り切れない研究成果の起源性の高さと影響力、議論してわかる「凄い、できる」など多くの要素に基づいている。
 教員選考で論文数や被引用数を参照しても、その結果に違和感をもつ選考委員が少なくない。
 黙的評価の短所の第1は、名人の碁のように、名人同士では自明であっても、へぼ碁を打つ人には自明でないことである。ここに人による評価の違いが生まれる余地がある。第2は、評価主体以外が利用できないことである。とくに評価対象にとって努力目標が定まらない。
 これに対して、明示的評価システムでは、評価目的、評価主体、評価対象、それらに対して最適の評価方法から構成されるすべてが文章として書き出されるので紛れがない。これが明示的評価の最大の長所である。そして、最大の短所は、暗黙的評価のような高い次元の評価システムを作ろうとすれば、碁の複雑な局面をすべて書き出すような煩雑さに陥り、それでも暗黙知に遠く及ばないことである。

☆評価の客観性
 評価は「厳正で客観的」でなければならないといわれる。「新しい『国立大学法人』像について(中間報告)」でもこれが強調されている。これは響きのよい言葉であるが、無いものねだりである。価値は対象の属性ではない。価値は外在する。ダイアモンドは私にとって何の価値もない。交換売買市場が成立していれば、市場価格を客観的価値に読み替えることができるが、市場が成立していない世界では価値は主観の下にある。対象の属性を測るような客観性は存在しない。
 にもかかわらず客観性を謳うのは、それが関与者の多くを納得させると期待するからである。即ち、ここでいう客観性とは「納得性」である。そして人々の納得は、人々がもつ暗黙的評価との一致と、人々にもたらす利益により決まる。
 客観性を納得性と理解すれば、暗黙的評価においても納得性を高める途はある。評価者として多くの人が納得する人々を広く世界から選び、その評価結果を集積すればよい。集積は評価者によるブレを吸収する。
 明示的評価において、納得性を確保する方法の第一は、評価対象すべてに共通する評価尺度を用いることである。しかし、尺度の共通性は評価対象の多様性と背反する。その折り合いをつけるために、多様な評価項目を取り込むこととなる。これは、形式知を暗黙知に近づける効果を持つと信じられ、よく用いられる。大学評価・学位授与機構(以下「機構」)が公表している評価方法もこの型のものである。しかし、これによっても名人の暗黙的評価には及ばない。
 第2は、暗黙的評価と組み合わせることである。組み合わせ方は幾つかある。明示的評価の結果と専門家による暗黙的評価の集積の両方を勘案して意思決定することはその一つである。米国で教員や大学の評価で用いられている。専門家として誰もが納得する人を広く世界に求めれば、それだけ納得性は高くなる。他には、明示的評価における評価項目の評点に暗黙的評価を加味する方法がある。評点の中に、評価項目が明示的に意味するものを超えた暗黙知が入ることを期待している。
 第3は、明示的評価システムの結果と暗黙的評価の結果を比較し、整合するように明示的評価システムを改善していくことである。明示的評価は、文章で表現できるという制約の下での近似である。近似の精度を上げる努力の一つとして暗黙的評価との一致をとる。このときに重要なことは、評価項目の数を増やして近似の精度を上げるのではなく、自然法則の世界と同様に、適切な変数を見い出すことである。筆者らのグループは、電気電子情報システム系の学科専攻の人材養成能力を九評価項目の下で六九大学について評価した。得られた九次元空間での分布を主成分分析すると、第一主成分により88.7%、第二主成分までで92.9%まで記述できた。すなわち、事実上評価尺度は二つでよい。(電子情報通信学会誌78巻6号552頁・1995年)
 この事実は、日本社会が数値を尊び、専門家の暗黙知を主観的として排除する傾向への対応策となる。開発段階で暗黙的評価との一致がよい数値的指標をもつ明示的評価システムを開発し、それを常用すればよい。

☆目標管理
 評価対象の多様性の下で納得性を高める方法として、人事管理で援用されている目標管理がある。本人に達成目標を決めさせ、それへの到達度を自己申告させて評価する。多様性は目標設定で吸収し、納得性は目標設定と達成度の自己申告で確保する。西欧と日本社会で評判がよい。
 これを大学評価に持ち込んだのが、機構による大学評価である。個々の大学による目標設定、達成度の自己申告、機構による確認修正として、人事における目標管理の生き写しである。加えて、目標と到達点の距離を図る共通尺度、多数の評価項目、専門家による評点付けと総合評価、更に前述した明示的評価における納得性確保の手だてを多く取り込んでいる。この意味で、機構の評価方法はよく考えられたものといえよう。

 ☆マネジメント・サイクル
 留意すべきことは、目標管理は計画/実行/評価というマネジメント・サイクルの一部であり、内部的な改善活動の一環であることである。この意味で、機構のいう評価の目的の第一項によく適合している。
 問題は、他の評価対象の達成と比較できず、人事管理でいえば処遇や給与の決定、国立大学法人(仮称)でいえば運営費交付金の決定と直接にはリンクできないことである。
 人事管理の場合には、設定した目標が組織目標にどれだけ貢献するかを、機能分化の枝に沿って評価する方法がある。この評価値と達成度の評価値から処遇が決定される。
 大学評価の場合にこれがどうなるかが大きな問題である。文部科学省に新たに「国立大学評価委員会(仮称)」をおく理由がこれであろう。しかし、大学が設定した目標を国家目標への貢献の大きさで評価することが、高い納得性と国家を離れた学術の普遍性を確保しつつできるかどうか。現在考えられている大学評価の死命を制する事柄である。

☆一元的管理から進化過程に移す
 この問題を克服する最善の方法は、目標管理における設定目標の評価を一元的に行わず、専門領域ごとに分散させることである。具体的には、一元的に配分する予算は、大学教育に必要な標準的な額にとどめ、それ以上に必要な教育経費、および研究に要する経費は、個々の大学や教員が、それぞれに国公私の資金供給機関から獲得することに任せることである。
 これにより、すぐれた教育者研究者を擁し、よく組織化された大学は、レベルの高い教育研究を行うことができ、国を超えた人類に普遍的な学術の世界に貢献することができる。また、一元的管理がもつ危険を分散により避けられる。
 大学は、生態系に見られるような進化システムのプレーヤとなり、分野ごとの高順位の大学も淘汰の中で自然に決まる。
 このとき、機構による評価は、計画/実施/評価のサイクルという大学の管理運営を支援する役割に徹することとなる。

 (本稿は、東京工業大学名誉教授・科学技術振興事業団特別参与の市川惇信氏に、ご執筆いただいたものです)