アルカディア学報
社会的文脈の重要性―評価システムの構築にあたって
大学評価・学位授与機構(NIAD)による国立大学への第三者評価がスタートして一年半が経過した。NIADが現行のシステムを始めるにあたっては、イギリスの他、アメリカ、フランス、オランダ、ドイツ、韓国、中国といった様々な国々での評価システムを参照し、日本「独自」のシステムを構築する過程が存在した。今回は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの評価システムとその社会的背景を概観することで、社会的文脈に適した評価システムを構築することの重要性を問いたい。
アメリカでは、高等教育の評価は、基本的には各大学による自己評価と、各地域別あるいは職業団体別のアクレディテーション(基準認定)団体による評価との組み合わせが大学評価の基本部分を作ってきた。これは、大学や職業団体が自主的に結成したという意味では大学や専門家の集団的自治であり、同時に大学を外から評価するという意味では外部評価者の役割を兼ねる。ただし、州立大学に対してはこれとは別に業績指標に基づく財政配分システムを導入している州があり、1990年代に入ってその数は増加傾向にある。
他方ヨーロッパでは、1980年代半ばにイギリス、フランス、オランダにおいて国家レベルの大学評価機関が成立し、その後各国に評価機関の設立が普及していく。ここで興味深いのは、ヨーロッパはもともと高等教育の歴史や構造、社会的文脈が国ごとに大きく異なることから、その評価システムのありかたもそれぞれ異なる形で成立・発展していることである。
イギリス(England)では現在、高等教育機関に対する国庫補助を配分する財政機関であるHEFCE (Higher Education Funding Council for England)が大学の研究活動を直接評価し、その結果に基づく財政配分を行っている。この背景には、1992年に旧ポリテクニック(高等専門学校)が一斉に大学に昇格したことを含め、イギリスでは大学間の研究遂行能力にもともと大きな格差が存在していたことが指摘されている。これに対し教育評価はQAA(Quality Assurance Agency)という専門機関が行っており、一定の教育水準に達していれば財政配分に関係することはない仕組みになっている。教育評価が重視されるようになった背景には、もともとエリート的色彩が強く教育環境が恵まれていたイギリスの大学教育において、1980年代以降の急速な大衆化と財政緊縮の中で質の低下が起こり、何らかの政策的対応が迫られたものと考えるべきであろう。ところが現在イギリスの教育評価は、特にエリート校の強い不満を背景に抜本的見直しが図られつつある。
これに対し、フランスでは大学評価委員会CNE(Comite national d'evaluation des etablissements publics a caractere scientifique, culturel et professionnel)が独立性をもった国の評価機関としておかれている。この評価機関はもともとは、各高等教育機関の現状や管理運営に焦点をあてた評価を主眼としていた。これは、フランスの大学が元来国家機関としての性格が強く、大学経営の自主性を保護育成しなければならないという政策課題を抱えているからである。現在は、この機関評価は第二ラウンドに入り、より大学の自己評価を重視する軽量化されたものになっているのと同時に、専門分野別やテーマ別の評価も行われている。
最後に、オランダは、もともとはドイツに近い大学システムの性格を活かしながら、自らの高等教育のおかれた社会的文脈にあった評価システムを作った好例といえよう。オランダでは、私立大学や放送大学を含む14の大学の連合体としてのオランダ大学協会VSNU(Vereniging van Universiteiten)が、大学の第三者評価を行っている。これに対し、政府は視学官を配備し、大学協会が自主的に行う評価プロセス全体を評価するという「メタ評価」と呼ばれる間接的な管理システムをとっている。オランダ大学協会は、オランダの全大学が加盟する自発的な協会組織であり、この協会の目的は、大学の利益を代表して政府や産業界との交渉を行うことにあるが、同時に同協会が行う評価サービス事業は、同協会の活動の重要な部分を占めている。
現在のオランダの高等教育の姿を形作ったのは、1980年代後半における高等教育改革である。このとき、政府は大学の自律性の拡大を意図した規制緩和を行い、政府の役割を自主的に後退させた。この中で、1988年にVSNUが成立し、各大学のコンセンサスのもとで、VSNUによる第三者評価が導入されたのである。
オランダにおいては、教育・研究の評価は各大学の義務として法制化されている。この下で、評価を自発的に実施しているのがVSNUである。この他に、オランダにはHBOと呼ばれる高等専門教育機関があり、この評価は同様に連合体HBO-Councilが担う。すなわち、大学評価は必ずしもこれらの「協会」機関による評価という形をとらなければいけないという法的規定はなく、これはあくまでも大学による自発的な「集団的自己評価」ということになる。
オランダにおける大学評価は、財政配分のしくみとは分離した形で制度化され、標準化された評価項目に基づく内部評価と、それに基づく外部評価の組み合わせによる。この意味では、システム的な構造はアメリカのあり方に近く、大学評価が大学の集団的自治の手段としての位置づけがあたえられている。
以上のアメリカ、イギリス、フランス、オランダのシステムは、それぞれ制度的に近い国の高等教育システムに影響を与えている。まず、アメリカのアクレディテーション・システムは、日本の大学基準協会の他、韓国や台湾、中国などの東アジア諸国に強い影響が見られる。一方、イギリス、フランスの仕組みは、それぞれが旧宗主国であった国々に、一定程度影響を与えている。オランダのシステムは、ヨーロッパ大陸の北部および中央部、すなわち、ドイツ的な大学の設置形態に近い国々に対し広がりを見せている。ただし、この地理的な整理はおおざっぱなものであり、実際の相互影響のありかたは、もっと複雑である。例えばニュージーランドのQuality Auditと呼ばれる仕組みは、現在形を変えてオーストラリアに大きな影響力を与えつつある。
世紀をまたぐ数年間は、80年代以前に評価システムを確立したこれらの国々の間での制度的な見直しの時期にあたった。この中で、若干形を変えつつもほぼ従来の形を保ちながら生き残ったのは、イギリスの研究評価とオランダの大学評価である。イギリスの研究評価は、研究業績と資源配分を直接結びつける「わかりやすい」仕組みから、教員を研究志向へと向かわせることになったが、これは大学での権力者、すなわち学問エリートに好かれることはあっても本音で嫌われることはない。それに対し、オランダの大学評価は、もちろんその重いコストと見えにくい効果に対する批判はないわけではないのだが、ほぼ初めのコンセプト通り、教育・研究の質を向上させる装置として、大学人に定着した観がある。これが成功した背景には、筆者はオランダの評価が「大学連合の自己評価」として、大学が勝ち取ったものとみなされているという心理的要素が大きいのではないかと考える。大学評価は、大学が自分たちにメリットがあるものとして積極的に関与することで、はじめて効果的に機能するし、教育・研究の質の向上に寄与する。おかれた社会的文脈に適した形で、大学人を積極的に評価に関わらせるシステム設計を行うことが、まさに、公共政策の腕の見せ所である。