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アルカディア学報

No.48

大学再編と統合の時代―第7回公開研究会の議論から

麗澤大学助教授  浦田 広朗

 高等教育関係者が注視する国立大学法人(独立行政法人)制度設計の方向は、徐々に伝えられつつあるとはいえ、未だ明確な姿を現すまでには至っていない。この状況下で文部科学省は、トップ30大学の育成などを柱とする「大学の構造改革の方針(通称遠山プラン)」を経済財政諮問会議に提出した。さらに、最近の特殊法人改革では、日本私立学校振興・共済事業団や日本育英会の組織見直しが迫られるなど、大学の環境は急激に変化している。いずれも、小泉内閣が掲げる聖域なき構造改革の一環でもあるが、大学の法人化や種別化、私学助成や奨学金制度の見直しなど、すでに過去において何らかの形で提案されたものが殆どである。問題は、こうした「改革」が、十分な議論や調査研究が重ねられないまま、財政・経済・福祉等の改革と同一の俎上にのせられ、急速に進行している点にある。この点に、大学関係者の戸惑いと不安がある。
 当研究所の第7回公開研究会「大学再編・統合の時代の私学を考える」は、このような動向を踏まえ、今後さらに進むであろう再編・統合の意味を、日本の枠内だけでなく、国際的動向をも展望して議論する目的で開催された。問題提起者は、喜多村和之氏(私学高等教育研究所主幹)と合田隆史氏(文部科学省高等教育局大学課長)。「戸惑いと不安」に加え、大学行政担当者からの情報が直接得られるという期待もあって、全国からの参加者で会場は満席となった。
 喜多村氏の問題提起は「世界の高等教育における再編統合の動向と日本の大学」と題してなされた。喜多村氏は、国立大学の法人化や民間的経営手法の導入にしても、評価・競争による資源配分にしても、再編統合や重点大学への集中投資にしても、世界的にみれば既にいくつもの国で起こっているものであり、これまで日本で起こらなかったことがむしろ不思議なくらいであるとした上で、「遠山プラン」に対する疑問を投げかけた。世界最高水準の大学とは何をモデルにしているのか、なぜトップ30大学なのか、どのようにして選別するのか、トップ30大学以外の大学についてはどう考えるのか、といった疑問である。
 これに対して合田氏は、「大学構造改革と私学」と題し、日本の高等教育システムが私学に大きく依存している以上、私学が強くならなければ日本の高等教育は強くならないことをまず強調した。私学を強くするといっても、それは政府の指示によって実現するものではない。政府の保護も期待できない。文部科学省が改革の絵を描くような計画経済的発想もない。構造改革が既得権の見直しである以上、外からの力もある程度は必要である。しかし、大学自身の経営能力、すなわち、財源の多様化や他大学との戦略的連携などを必要に応じて立案・実行し得るマネジメント力が求められていると合田氏は指摘した。
 喜多村氏の疑問に対しては、トップ30大学の育成は競争的環境づくりのための一つの手法であって、30という数については省内では殆ど議論がなかったことを率直に認めた。ただし合田氏は、たとえば科学研究費補助金の大学別交付額をみると、上位30程度の大学が明確に存在する一方で、30位を過ぎたあたりから同程度の大学がなだらかに続くという現状を紹介した上で、30という数は納得できるし、かなり多くの大学が目指し得る数ではないかと述べた。もちろん全ての大学がトップ30を目指さなければならないわけではなく、圧倒的多数を占める中堅以下の大学については別の育て方を考えなければならない。これが、喜多村氏のもう一つの疑問に対する回答であった。
 フロアからは、従来の実績や現状の研究能力のみにもとづいて大学を評価するのは私立大学に対して著しく不公平である、私立大学の財政基盤安定のために民間資金の大学への流入を容易にするような税制を検討すべきである、この際、私立大学(学校法人)と国立大学法人とが共通の土俵で競争できるように学校法人会計基準等のしくみも変えるべきである、といった指摘がなされた。合田氏はこれらにほぼ同意したが、それでもなお、私立大学自身が可能な努力を重ねることの重要性を指摘した。
 研究会の最後に喜多村氏が「非常に安心した」と総括したように、合田氏の見解(かなりの程度、個人的見解も述べたとのことであったが)は、日本の高等教育の全体構造を視野に入れ、その特徴や他国の経験を踏まえた妥当なものであった。ハーバード大学やスタンフォード大学の発展や資産形成の例を引きながら、日本にも大学の伝統を根づかせようとする願いに支えられたものであった。重点的資金配分の前提となる研究評価、さらには教育評価の難しさについても合田氏は率直に認め、過去の実績だけでなく将来構想も含めて評価する方法を、困難ではあっても工夫し実施したいと述べた。トップ30「大学」を決めて重点投資をするのではなく、重点的な資金配分をする専攻(原則として大学院博士課程レベル)を分野ごとに選び、結果としてトップ30大学を育成するという方式が採られることも確認された。大学間の統合にしても、文部科学省が指示するのではなく、財源制約の中で多様な役割を果たさなければならない大学が、その基盤強化のための一つの戦略として主体的に進めるべきであることが強調された。
 しかし筆者が疑問に感じるのは、このような大学の自主性を尊重する見解に反して、たとえば今年の国立大学の概算要求ヒアリングでは、「遠山プラン」への対応を厳しく求め、再編・統合を強要するかのような行政指導が行われたと複数の新聞・週刊誌で報道されていることである。これらの報道が全て正しいという保証があるわけではない。しかし、私立大学が学部・学科の新増設などを申請した場合も、高圧的な窓口指導がなされることは知られている通りである。文部科学省の課長職以上の広い視野に立った柔軟な考え方が、窓口担当者には浸透していないのではないかと筆者は推測している。
 同時に、政府・文部科学省の首脳にも伝わっていないのではないか。「再編・統合」「民営化」「競争原理」といった言葉のみが一人歩きし、大学を充実するための手段であるはずのものが目的化している。これらの言葉や手段に疑問を抱く者は、他部門の構造改革に反対する者と同列の「抵抗勢力」とみなされ、排除される。こうした方針をとる政府首脳、あるいは広く国民に対して、そもそも大学とは何か、大学と大学以外の学校を分けるものは何かという問いから出発し、研究重視大学だけでなく教育重視大学も育てるような方策を考える、そのために必要な資源配分システムを考える、さらに、公的資金によって守るべきものを見極める、といったことの重要性を十分に理解してもらう必要がある。合田氏には、政府内外に大学独自の問題を発信する役割をぜひ担っていただきたい。
 もちろん我々私立大学関係者にも、これまで以上の努力が求められる。1990年代は、文部省・大学審議会が主導する大学改革に追われた十年間であった。しかしもはや、文部科学省からの指示は期待できないし、期待すべきでもない。当然のことながら、それぞれの大学の進路はそれぞれの大学自身が決めなければならない。他大学との連携・統合か、独自路線で進むのか、その中で情報技術をどこまで取り込み活用するのか、各大学の建学の理念と現実の環境と将来とを見据えた自主的な大学づくりが必要である。再編・統合の時代に私学助成の充実を望むのであれば、私立大学の公共性について広く納得してもらうための説明力も不可欠だ。