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アルカディア学報

No.47

学生援助と特殊法人改革―ユニバーサル時代での在り方

私学高等教育研究所主幹  喜多村和之

 日本の高等教育のなかで、諸外国に比して最も見劣りのする制度のひとつは、学生に対する財政援助の問題ではなかろうか。
 日本の高等教育は、青年中心のマス段階から万人のためのユニバーサル段階に移行途上にある。学生数の比率も私学部門が圧倒的に多く、したがって学生や保護者の学費負担も相対的に高い。しかし、日本最大の公的奨学団体である日本育英会の学生援助はほとんどが給費でなく貸与である。平成13年度で総額4700億円に達する事業費総額の財源は、政府からの一般会計借入金、財政融資資金、元奨学生からの返還金、その他寄付等から成り立っている。元奨学生からの返還金が少なければ貸与できる学生数にも影響するわけだから、給付でなく貸与が当然ということになる。
 給費制はごく一部の若手研究者の養成(例:日本学術振興会の特別研究員制度など)に限られ、あるいは一部の研究者志望の大学院生への返還免除制度があるだけである。大学院まで進学し、研究者としての身分を獲得できなかった学生は、卒業後莫大な借金返済義務を背負うことになる。世界第2の経済大国でありながら、このように貸与という制度だけしか国としてもたない貧弱な学生援助制度の先進国がほかにあるだろうか。
 小泉政権下の行政改革推進事務局は、8月10日、「特殊法人等の個別事業見直しの考え方」を発表し、そのなかで日本育英会の奨学金貸与業務を対象として、無利子奨学金の対象者の絞り込み、有利子資金の債権の管理・回収の業務の全面的民間委託や国民生活金融公庫の教育貸付との結合、無利子資金の大学院生返還免除制度の廃止、高校生対象資金の地方移管等を打ち出した。現行制度をさらに弱体化する方向である。
 これに対して所管省庁(文部科学省)は、無利子奨学金は適正に執行しており、むしろ奨学金の充実こそが小泉内閣の政策提言である、債権の管理回収業務の民間委託はコスト増から適当でない、国民生活金融公庫との結合は機能が異なる、大学院の返還免除はむしろ給費制の導入等を含めて見直すべきである等々の「意見」を述べて反論している。
 政府は「聖域なき構造改革」の観点から、次代の青少年の育成にかかわる分野にまで大鉈をふるおうとしており、小泉首相の方針としては、特殊法人は原則として廃止ないし民営化し、どうしても国が行わなければならないことは、国が直接実施することにするという。
 ここで指摘しておきたいことは、日本の高等教育制度は、伝統的に学生や保護者の便宜よりは、機関ないし教職員の都合本位に運営されてきたのではないか、ということである。たとえば国公立大学の予算は教官積算校費を中心に編成されており、私立大学も教職員の維持を中心に学生定員が定められ、学生納付金から教職員の給与のみならず教員の研究費や施設費が賄われてきた。学生および保護者は、自分の教育費のみならず教員の研究費まで負担してきたのである。そして学生や保護者の学費負担を緩和させる手段としては、直接的には奨学金であり、間接的には国庫助成という機関補助であった。その奨学金は貸与であるから、学生は後にその債務を返還しなければならないのである。
 機関補助が学費の高騰を抑止し、修学上の負担の軽減に寄与したことはたしかであろう。しかしそれはあくまでも間接的な効果であって、直接学生の経済援助になっているかどうかは必ずしも自明のことではない。このことを確認するためには、どうしても機関補助が学生援助に貢献していることを、実証して明らかにする必要が出てくる。さもないと公費助成は機関補助よりは学生に直接援助すべきだという個人補助の考えが強まってくる可能性がある。事実、行政改革推進事務局案は日本私立学校振興・共済事業団に対して、「個人支援を重視する方向で公的支援全体を見直すなかで、機関補助である私学助成のあり方を見直す」と指摘しているのである。今後、私立大学は機関補助か個人補助かをめぐっての政治的論争に直面することになり、この問題にどう対処すべきかが問われることになるだろう。
 21世紀の日本の高等教育も、選ばれた少数者のみが高等教育の機会に与ったエリート段階から、多数の若者が進学するマス段階へ、さらには万人が何らかの形で高等教育の機会を得るユニバーサル型の高等教育システムへの移行段階にあるとされる。日本の状況に当てはめてみれば、それは18歳人口の過半数が学校教育としての高等教育にストレートに進学していく時代から、年齢、職種、立場、時間的・空間的制約をこえて、万人がさまざまな形で、生涯学習としての高等教育の機会に参加できる時代への移行である。それぞれの段階から次の段階への移行にともなって、学生や学習者の属性、入学方法・入試方式、カリキュラム、時間割り等々が変わらざるを得ないように、奨学制度や学生援助のあり方や方式も当然変わらなければならなくなる。たとえばエリート時代の少数の英才を対象にした育英制度だけでは、ユニバーサル時代の多彩にして年齢も異なる学生の必要性に応えることはできないだろう。
 21世紀は従来のあらゆる基幹的な制度が、さまざまな面から見直しを避けて通れない時代である。20世紀に定着してきた機関補助中心の私学助成も、何らかの形で個人補助の要素を導入せざるを得なくなるかも知れない。そして個人補助の中心は、学生援助の内容と方法の開発となるだろう。なぜなら、これからの大学や高等教育機関の盛衰を決する最重要な要因のひとつは、ひとえに学生や学習者が教育・研究の機会としてどの大学を選ぶかという、利用者としての消費的ないし投資的選択に依存しているからである。