アルカディア学報
教育機会の提供と質保証 大学授業料を巡る米英日の動き
1. アメリカとイギリス
2011年に入って数カ月、アメリカ政府が債務不履行を避けるため、債務限度を引き上げるか否かの問題によって、世界経済が混乱をきたしている。アメリカの場合、公的債務に対する政治家、経済学者、金融業者、マスコミ、納税者の見る目は厳しい。州政府の中にはバランスバジェットしか認めず、財政赤字が発生した場合、歳出カットや増税がすぐさま実行されるところもある。
州政府の歳出削減が行われる場合、授業料、受託研究費、事業収入、寄付金、基本財産収入という自己収入のある州立大学がターゲットにされやすい。08年秋の金融危機後、州政府からの交付金が減少し、それを補完するため授業料を値上げした州立大学はいくつもある。
例えば、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)では、06~7年に州内学部学生授業料は6522ドルであったが、10~11年には倍近くの1万2686ドルに上昇した。州外学部学生は同時期に、2万5206ドルから3万5564ドルに値上げされた。奨学金を獲得できなければ、中間所得層では、子どもをUCLAに進学させることは事実上できない。また4年間に90%以上のペースでの値上げは、デフレ下の日本では考えられない。
イギリスでは、政府の高等教育予算が縮小されてきた。それに対して、10年夏ブラウン委員会が、大学の授業料値上を政府に勧告した。値上げに対する学生デモも起こったようで、チャールズ皇太子もそのとばっちりを受けた。これは日本でも大きく報道されてきたので、ご記憶の方も多いであろう。
ブラウン委員会の答申を受けて、政府議会は、大学授業料を、これまでの最高額3290ポンドから、一挙に9000ポンドまで課することを承認した。政府は当初、大学は優秀な学生を失うことを恐れて、それほど授業料を値上げしないと踏んでいたようである。しかし政府の予測とは裏腹に、4分の3の大学が最高額9000ポンドを授業料として設定した。
2. 教育の質保証
アメリカの大学の授業料上昇は、誰も満足する結果ではないと、ジェーン・ウエルマン氏は、全米大学管理者協会誌で指摘している(11年7―8月号)。学生や親は、授業料の上昇によって、家計負担が増し、場合によっては大学進学の妨げになると考え始めている。政治家は、州立大学にはすでに過剰な州予算が配分されており、コスト削減によって生産性を向上させることが必要としている。州立大学の学長は、高等教育の機会、大学の支出、質の保証という三要素のバランスをとることはもはや困難であり、公財政支出の増加しか道はないとする。私立大学の学長は、必要以上のキャンパス整備や、奨学金の用意など優秀な学生募集のための過剰な競争を、早く終息させたいと考えているようである。
このように授業料上昇に対する見方は、それぞれ異なる。アメリカやイギリスの大学は、教育、研究、威信、優秀な管理者、教員や学生確保において厳しい国際競争、国内競争にさらされている。そこで授業料を巡る大学の動きからは、質の保証ができなければ、競争に勝てない、提供する教育の一定の質を、何とか守らなければならないという危機意識と姿勢を見ることができる。教育の質保証は、授業料値上げにも勝る価値なのである。
大学教育の質とは、学生の学習に助けとなる教員の確保、教育研究能力の高い教員の確保、教員一人当たり学生数の少なさ、図書館、IT教室、実験室など教育施設設備の充実、などで測定可能である。それらをまとめたおおよその指標として、学生一人当たりかかる経費で計ることができる。OECDの統計による、アメリカの大学は、学生一人当たり年間2万5000ドル、イギリスは1万5000ドル、日本は1万3000ドルである(06年)。
アメリカは日本の二倍近い経費が、かかっていることになる。イギリスのブラウン委員会報告書の提案する政策は、なによりもまず高等教育への投資水準を引き上げることである。そうしなければ大学の国際競争力が、低下してしまうという危機感である。その念頭には、イギリスより約1万ドルほど多い、アメリカの高等教育経費があることは間違いない。
3. 日本の国立大学授業料
04年の法人化を契機に、国立大学の授業料は、文科省が標準額を定め、各国立大学が当初10%まで、現在は20%までの範囲で、独自に設定できるようになった。しかしほとんどの大学が標準額に設定している。
08年に国立大学財務・経営センターが行った、国立大学の財務担当理事を対象にしたアンケート調査では、今後自大学の授業料を値上げ、または値下げするという回答は皆無であった。そして現行の文科省が標準額を定める制度については、賛成が9割を超える。標準額の水準について、これを適正とする回答は、7割弱である。私立大学と比較して現在の水準は適正とする回答も、7割弱であった。そして現在の授業料水準は、提供している教育サービスを考慮すると、適正との回答は、7割を超える。このように現行の授業料水準、決定方式に対して、肯定する財務担当理事の割合は多い。
財務担当理事によれば、自大学の授業料を設定する際に、機会均等の実現など国立大学の使命を重視するとの回答は、9割以上である。また優秀な学生、留学生確保など競争力強化には、7割以上が重視すると答えている。しかし授業料を決める際に、運営費交付金削減への対応を重視するとの回答は、46.3%となる。これらのアンケート調査の結果からは、自大学の授業料が現行水準で設定するのが適正で、値上げは行わないと考えている国立大学の理事が多いことが分かる。
民主党政権下10年、国立大学の運営費交付金が、1割近く削減されるという話があった。幸い11年度予算は、ほぼ前年度並みに確保され事なきを得た。当時国立大学財務・経営センターでは、金子元久研究部長を中心に、運営費交付金削減の教育研究に対する影響を検討したことがある。その一環として、筆者も運営費交付金が、8%削減された場合、仮に授業料によってそれを補うとすれば、どの程度の額になるかを試算したことがある。
それによれば、文系単科大学の中には、学生一人当たり授業料4万3000円程度値上げすれば、削減額を補完できる大学があることが分かった。しかし大学院大学や医科大学では額は大きく、中には80万円を超えてしまう大学もある。交付金削減を授業料値上げで補える大学と、そうでない大学が出てくるということである。
国立大学の学長の中には、先に紹介した財務担当理事のアンケート調査への回答と同様、授業料はなるべく低く設定し、安価な高等教育機会の提供が、国立大学の使命であると考えている方も少なからずいる。これはこれで尊敬すべき所懐である。しかし問題は運営費交付金がさらに削減された場合、教育の質を保証する手立てがあるか、少なくとも現在の学生の教育にかかっている経費をどのように確保するかである。教育機会の提供と、教育の質保証との価値選択をしなければならない時期が、いずれ来ると思われる。