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アルカディア学報

No.45

猶予ない私学の対応―特殊法人改革と私学助成

私学高等教育研究所主幹  喜多村和之

 小泉政権が掲げる「聖域なき構造改革」が、日本私立学校振興・共済事業団の私学振興事業にも向けられている。内閣の「特殊法人等改革推進本部」(本部長=小泉純一郎首相)から「中間とりまとめ」が発表され、そのなかで同事業団の事業も見直しの対象になることが明らかとなった(本紙2001年7月11日付参照)。同事業団は、私学経常費補助金交付事業、貸付事業、共済事業等を担当しているわけだから、私学全体にとってその行方には計り知れない影響をもたらすことはいうまでもなかろう。
 行政改革推進事務局から同事業団に指摘されていた点は、①私立大学等経常費補助金交付事業関係、②貸付事業関係、③共済事業関係等にわたるが、ここでは①だけにしぼって検討してみると、補助金予算の増額抑制・減額の方針が打ち出されている。その理由として、①18歳人口と学生数の減少、②国債発行額30兆円以内という小泉内閣の抑制政策、③対特殊法人財政支出の2割カットの方針が挙げられている。
 これに対して事業団は、①私学振興は、教育条件の維持・向上、修学上の経済的負担の軽減、経営の健全性の向上のために必要不可欠なものである、②国会決議による私大への国の補助の「2分の1」の目標が実現されていないこと、③文部科学省から受け入れた資金の全額を学校法人に交付しているので、当補助金は2割カットの特殊法人財政支出には該当しない、などの理由を挙げて反論している。
 以上の理由は私学の立場からすればそれぞれ当然の正論ではあるが、これで「聖域なき構造改革」という政治的激流に対抗し得る力を持ち得るか否かは不安が残る。たとえば私大経常費助成の重要性を主張するためには、これまでの助成が私学振興助成法の掲げる3つの目的をどの程度達成したかという政策評価を求められるであろうし、その際には私学の側からその評価に耐えうるような証明やデータを示す必要があるだろう。それは財政当局のみならず国民にひろく説得できるようなものでなければなるまい。われわれはそのために私学への国庫助成を国民に理解してもらえるような努力をさらに強めていく必要があろう。
 この時点で明らかになったことは、公費助成を中心とした国の補助金行政は、今後増加される見通しは明るくなく、むしろ減額や削減をいかにくい止めるかという危機的段階になっているのではないか、ということである。このまま放置すれば、せいぜい現状維持に留められればよしとすべきというような状況となりかねまい。そうなれば私学経営としては公費への依存を少なくして、いかにして自律的な自力経営の方向を強化していくか、という従来からの政府の財政政策に沿わされる方向にならざるを得ないことになろう。
 ところでその後、さらに重大な路線変更が行われる恐れも出てきている。行政改革推進事務局が8月1日に各省庁に提示した特殊法人の事業見直し案によると(読売新聞8月2日付け)、私学の助成事業については、「国が直接交付し、そのあり方を見直す」という、従来とは根本的に異なる方向が打ち出されている。むろんこれが実行されるかどうかわからないし、仮に実施に移されるとしても幾多の紆余曲折があると予想される。
 しかし万一この事務局案がそのまま通るとすれば、これまで私学のイニシアチブで事業団というバッファーを介して配分されていた私学助成方式は、根本的とでもいうべき変革を被ることになる。
 私学助成が政府から直接配分されるようになれば、政府の私学に対する管理はいっそう直接的に及ぶ恐れが強い。その資源配分にあたっては評価の結果が反映され、その評価の内容・方法・水準は、国の評価機関(現行の大学評価・学位授与機構)等を通じて行われる可能性が強い。国は国立大学のみならず私立大学に対しても、入学者選抜(大学入試センター)から評価、資源配分にいたるまで、あらゆる側面で直接的な介入を行えることになりえるのである。
 こうした動きに対して私学界はどのように臨むのか。もはや猶予は許されない。全私学連合は早急に意見をまとめ、発言すべきではないだろうか。
 いまの日本は、国公立大学の独立行政法人化問題に対しても国民の関心を十分に引きつけられなかったことからもわかるように、私学振興に対する国民の理解も必ずしも高いとはいえないのではないか。問題が起こるときにいざとなって助けとなるのは、広い意味での国民的理解を背景にした有力な支持者の出現である。いまわれわれは、未曾有の財政難にもかかわらず、私学振興に血税を注ぎ、あくまでも私学の自由を守るべきだと主張する強力な支持者を獲得していかなければならない。