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アルカディア学報

No.444

米国の初年次教育の動向構造化した能動的な学習

研究員 濱名 篤(関西国際大学 理事長・学長)


日本における初年次教育
 日本における初年次教育の歴史は決して長いとはいえない。筆者と川嶋太津夫氏編著の『初年次教育』(丸善)を刊行したのが平成18年11月、初年次教育学会が設立されたのが平成20年3月、中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」の中で初年次教育を学士課程教育の中に位置づけることが提唱されたのは平成20年12月と、急速に日本の高等教育に定着してきた。
 文部科学省大学改革推進室が平成19年度について調べた「大学における教育内容等の改革について」(平成21年3月)では、初年次教育を導入している大学は国公私立大学のうち570大学、約79%であった。それが国立教育政策研究所「大学における初年次教育に関する調査」報告書(平成21年)では、平成19年12月に国公私立大学全学部を対象に行った調査(回答学部数は1419)結果によると、初年次教育の実施率は96.9%に達している。内容的には、文章作法、口頭発表の仕方、学問や専門分野への動機づけのプログラムが多い(文科省調査)とされている。
 このように日本の初年次教育は、学習技術や学習への動機づけのためのプログラムとしては、一通りの導入は進み、導入段階をすでに達成したといってよい。しかし、初年次教育の内容や方法について新しい情報を着実に集め、検討していくことが必要である。筆者が常任理事を務める初年次教育学会(山田礼子会長)では、学会設立5周年にあたる来年に、初年次教育のこれからの在り方と新しい可能性を世に問うべく、初年次教育学会編『初年次教育の現状と未来(仮題)』(世界思想社)を記念出版する準備を始めた。
アメリカの初年次教育の課題
 上記準備の一環として、初年次教育の世界の動向を確認するために、筆者は今年、初年次教育の母国アメリカの第30回全米初年次教育会議(30th Annual Conference on The First -Year Experience、2月4―8日 ジョージア州アトランタ)に出席した。
 本稿は、記念講演をしたパトリック・T・テレンジーニ博士(Patrick T.Terenzini、ペンシルベニア州立大)の話を中心に、最近のアメリカの初年次教育の動向を紹介する。日本の初年次教育の不断の改善の一助となれば幸いである。
 テレンジーニ氏は高等教育や初年次教育を過去(30年前)と比較しながら、近年の初年次教育の現状についてまとめてくれた。アメリカと日本では、初年次教育が必要とされる背景にある程度違いがあることは間違いない。基本的には、アメリカの初年次教育は、リテンション(学業継続率=中退しないで学業を継続する学生の比率)と学生満足度を指標に使って、その効果が論じられ発展してきた。その傾向は今も続いているが、加えて、高等教育におけるアウトカムが重視されるようになり、アカウンタビリティ(説明責任)に加え、改善(Improvement)が強調されるようになってきたという。その背景には、経済と教育のグローバル化が進み、高等教育での定義や教育内容を一致させることが求められようになったことや、コミュニケーション技術の進歩に牽引される形で教育内容と教育方法が変化してきたことがあるという。高等教育の制度と目的、構造、進学者は拡大し、その結果として、分化(多様化)と複雑化が進んだ。その帰結として評価(Assessment)の必要性が増大したという。評価にあたっては、定量的な尺度だけでなく、定性的な尺度も活用され、多元的な評価が普通になってきている。
 こうした変化の中で初年次教育は、①正規の教育課程と教室内での学習が、(1)アカデミックで認知的なアウトカムという成果を生むという図式と、②教室外の経験が、(2)心理社会的な(Psychosocial)成長、態度に加え価値変容、倫理的推論につながるという図式で、正課内と正課外を分けてとらえるのではなく、①が(1)と(2)の両方に成果をもたらし、②も(1)と(2)の両方に成果をもたらすという複合的な影響を視野に入れた見方が台頭し、大学での経験の特徴がどうアウトカムに影響するのかを問うようになってきている。言い換えると“教育中心”から“学習中心”と紹介されている、このような教育・学習観の転換は、大学という組織が学生の学習や成長に対して直接働きかけること以上に、学生を支援し効果的な学習経験を可能にする「環境」を設けることを重視する教育への転換とさえいえる。
 しかし、こうした教育への転換は、大学が学生を放任することとはまったく異なる。同氏は実践のためには、(ア)「学生に」“できること「実践」”と“知っていること「知識」”の連携をさせる、(イ)各プログラムを精密かつ厳密に評価する、(ウ)教員が協力と関与を行う、(エ)システマティックかつ協同的に考える、(オ)政治的に管理する、ことが必要であると述べている。
 具体的には、初年次セミナーのような一年生向けの授業以外に、学生たちが協働しながら複数の科目を履修する(担当教員も連携しながら教える)ラーニング・コミュニティ、サービスラーニング、調査研究、インターンシップなどの能動的な学習方法を初年次教育に組み込んだり、2年生以上の科目まで範囲を拡大したりして、システマティックな教育を展開する動きが強まっている。
ハイ・インパクト・プラクティス
 AAC&Uが主唱するハイ・インパクト・プラクティス(HIP=High Impact Practices)や、南部アクレディテーション団体が義務化したQEP(Quality Enhance Plan)といったプログラム群がその典型である。前者は、初年次セミナーを筆頭に、前述のような能動的な学習法、それ以外にも、集団での学習課題を行う方法、多様性/グローバル学習、日本の卒業研究に近いキャップ・ストーンなどがあげられており、初年次セミナーから始まる構造化した能動的な学習が高いインパクトを与えることを実証している。今回の報告の中には、HIPをいくつ学んだかでリテンション、卒業率、GPA等に有意差が出ているという報告もあった。
 学生の学びの能動化が重視される一方で、初年次セミナーから重層的、組織的に学習経験が積み重なって、つながりを持つ構造化が進んでいるというのがアメリカの初年次教育と、それに続く学士課程教育の流れであるといってよい。
 一方、日本ではこれまで、リテンションや中退率に対する関心は高かったとはいえない。しかし、本年四月から義務づけられた教育情報の公開によって、この情報は容易に知ることができるようになる。124単位の卒業要件が定められていても、科目間の連携や科目履修の相乗効果が組織的にマネジメントされてこなかった日本の大学教育にとって、アウトカムや汎用的能力の重視が進むにつれて、初年次教育から始まるハイ・インパクト・プラクティスが重視され、学びの能動化と組織的取り組みが一層重視されるようになる可能性は大きい。初年次教育は単独の教育プログラムである以上に、学士課程教育を改革・改善するための重要なマイルストーン(里程標)である。