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アルカディア学報

No.41

研究費配分審査の課題―官民格差に審査員の多様性欠如

早稲田大学助教授  竹内  淳

 2月21日付のアルカディア学報において「大学研究費の官民格差」について述べさせていただいた(「科学」(岩波書店)の6月号に詳論を掲載)。拙論では、私立大出身者の学界での貢献度が、他の分野(産業界、マスコミ等)に比べて小さいという事実を明らかにし、その原因が国の科学研究費の配分が私立大軽視であるためという結論を述べた。4年制大学の在学者数の3分の1弱を占めるにすぎない国立大に、私立大の約5倍の公的研究費が配分されている。また、過去16年間の世界の主要な論文誌に掲載された大学別の論文数を、科学研究費補助金(科研費)の額で割ると、私立大は旧帝大に比べて科研費あたり2.4倍の論文数(地方国立大の1.4倍)を発表していて、論文数の割には科研費の額が小さいという数値結果が得られた。これらの観点から、科研費の配分審査の公平性には疑義があるように思える。米国の主要な研究大学は私立大によって占められているが、その研究費の約七割は公的資金である。国民に還元されるべき科学研究の主体が国立大でなければならない合理的な理由はない。本小論では、米国の公的研究費の主たる支給団体であるNational Science Foundation (NSF)やNational Institutes of Health (NIH)の審査体制との比較において、科研費の審査制度が持つ問題を取り上げるとともに、現在実質上何も行われていない事後評価についても議論したい。特に審査においては、官民格差を生み出す主因として審査員の構成が多様性を欠いたモノカルチャー的構造であることを問題点として提起したい。
 まず審査員の選別方法から見てみたい。NSFとNIHの審査では明確な審査員の選別基準がある。たとえば、NSFでは申請者と同じ研究機関(大学)に所属する研究者は審査員になれない。また、過去四年間に申請者と連名で論文発表を行った者、また、申請者が博士号を取得する際の助言者であった者も審査員になれない。研究費の審査は客観的な立場にある第三者が行うのが原則なので、これらの規定は公平性の観点から当然のものである。NSFでは審査員の情報がデータベース化されており、選考過程で不適格者を除外できるようになっている。また、審査員の構成が多様でバランスのとれたものになるよう勧告されている点も大きな特徴である。新人や、マイノリティ、女性、身体の不自由な方、小さな大学の研究者や産業界出身の審査員の参加が求められている。NIHの規定も、性別や民族性、それに審査員の地理的な分布の多様性が配慮されるよう要求している。公表されているNIHの審査員の肩書きを見ると、教授のほかに準教授や助教授も含まれており、年齢構成の幅が明らかに日本よりも広い。公的研究費は国民の税金を使うので、社会の広い研究者層の意見を吸い上げ、還元する体制になっている方が、国内の科学レベルの総合的な向上を図るためには望ましい。
 これに対して、日本の現在の科研費の審査体制は、審査員の構成が多様性を欠いており、公平性や客観性を期するに十分とは言えない。公平性という観点からは、例えば申請者の共同研究者を審査員から省くなどのNSFにあった規定はなく、審査員に関するその種の情報を一元管理するデータベースも存在しない。また、現在の科研費の第一段審査の各項目の審査員数は3~6名と少数である。NIHの各項目の審査員数が20名ほどであるのに比べると著しく少ない。この審査員の数が少ないことが、十分な公平性と客観性を図れない一つの大きな要因をなしており、多様性を欠く原因の一つにもなっている。現在、審査員は各学会の推薦を受けて選ばれているが、この学会ごとの選抜では、公平性や多様性に関して全学会を横断する統一的な選抜規定はない。このため通常は学会でアクティビティの高い研究者が審査員に選ばれるため、研究費が豊富で研究業績を上げやすい国立大の教官が8割を占める(約5割が旧帝大の教授)結果になっている。審査員の平均年齢を公表されている肩書きから推測すると、ほぼ全員が教授であることから50歳前後かそれ以上である可能性が高い。したがって、審査員の構成は出身大学の分布や年齢においてモノカルチャー的である。
 審査員の構成がモノカルチャーであることは、科学の方向性の見極めの際に必要な多様性や、新しい科学の動きへの対応という点で能力不足に陥る可能性がある。特に新しい科学の芽が若手研究者の中から生まれた例は科学史に多数表れており、これらの芽を正しく評価するには若手研究者が審査員として参加することが望まれる。科研費の第二段審査の審査員の構成では9割を国立大の教授が占め、出身大学や年齢構成、性別などの点で更にモノカルチャー的であり、科学の発展にとって極めて重要な概念である「多様性」の視点が明らかに欠落している。
 この「多様性の視点の欠落」は更に上位の審議会の構成にも表れている。例えば、科学技術・学術審議会の学術分科会(2001年3月現在)の構成員は24名いるが、このうち私立大出身者は4名にすぎない。産業界やマスコミの代表と考えられる委員4名を除くと20名が大学関係者であり、そのうち私立大出身者はわずか2名である。国立大出身の18名のほとんどは旧帝大の教授か教授経験者であり、年齢構成も著しく偏っている。したがって、そこで行われる議論の主題から、例えば私立大や地方国立大の視点が抜け落ちたとしても不思議ではない。
 科研費の審査に見られる問題は他省庁の競争的研究費も同様に含んでいる。各省庁の審査方法は科研費と類似の構造で行われる場合が多く、加えて科研費より小規模であるため審査体制が不十分であり、その公平性に関して不明朗な場合が少なくない。各省庁の出す競争的研究費にはそれぞれの政策目的があるが、研究費の配分審査は、政策の成否を握る最も重要な部分なので、研究の事後評価も含めたより一層の審査・評価体制の充実が望まれる。
 最後に競争的研究費によって行われた研究成果の事後評価について議論したい。現在、研究者は論文発表を行う際に研究費名を論文中に明記する必要があり、また、研究成果の報告書を文部科学省に提出する必要があるが、研究成果の客観的な評価は実質上行われていない。効率的な研究費の配分が行われているかどうかを判断するには、研究費を受給した研究者がどの程度の研究成果をあげているかを集計したデータベースが必要であり、そのデータを次年度以降の配分に反映させるのが望ましい。特に現在の状況では、複数の省庁から重複して研究費を受給している研究者が存在するが、それらが十分な成果をあげているかどうか把握できない。国内で科学研究費があり余っているわけではないので、過度な研究費の集中による無駄が起こらないよう配慮する必要がある。また、時代によって科学技術分野の動向にも栄枯盛衰がある。論文数が伸びつつある分野には研究費の増額を図る必要があるし、逆の分野では減額すべきである。現在のところ研究分野別の配分額や各大学ごとの科研費の配分額は年度ごとにほとんど変化していない。これは、研究の事後評価とそのフィードバックが行われていない証拠である。政府の危機的な財政状況の中で増え続ける科学技術予算を真に活用するには、研究費配分の審査において多様性とバランスを考慮した審査制度が必要であるし、研究の事後評価を行い、科学の各分野の変動や全体のバランスに配慮して科学研究費を配分するシステムが必要である。
 (本稿は、早稲田大学助教授の竹内 淳氏にご執筆いただいたものです)