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アルカディア学報

No.399

「高等教育2.0」を考える 21世紀の生涯学習システムの模索(下)

飯吉 透(マサチューセッツ工科大学教育イノベーション・テクノロジー局シニア・ストラテジスト)

 ネットワークが拓く高等教育の未来
 前回は、個々人のニーズや状況に応じ、生涯のどの時点においても、必要な知識や技能を学ぶことができるような「Demand-Pull」型の教育システムとしての「高等教育」を提唱し、その新たな教育システムの構築に向けた試みの一例として、米国のWestern Governers Universityを取り上げた。
 「高等教育」における最重要キーワードは、「ネットワーク」だと私は考える。ここでの「ネットワーク」は、インターネットに代表されるネットワーク・テクノロジーだけを指すのではない。確かに、このようなネットワーク・テクノロジーは、オンライン教育だけで単位や学位の取得が可能な新たな大学の形を可能にしてきた。しかし、「高等教育の未来」にとってより大切なのは、このような革新的な技術の登場により、様々な可能性と共に急速に成長しつつある「人・組織・情報・知識のネットワーク」を、どのように今後の高等教育の進展に活かしていけるのかを展望し、そのビジョンを目指して皆が着実に歩を進めていくことである。
 メタ・ユニバーシティーの出現
 06年、全米工学アカデミー会長のチャールズ・ベスト氏は、EDUCAUSE Reviews誌に寄稿した論考の中で、「メタ・ユニバーシティー」という概念を提唱した。同氏は、MIT学長在任中の01年に、MITの全講義の講義教材をウェブ上で無償公開する「オープンコースウェア」プロジェクトの立ち上げを主導したことでも知られているが、「メタ・ユニバーシティー」は、そのような「教育のオープン化」の試みの延長線上にあるものだ。同氏は、「メタ・ユニバーシティー」とは、インターネットの普及によって可能となった「グローバルな教育的資産や教育的基盤の共有」によって築かれる高等教育の新たな「枠組み」であり、それを利用することによって、世界中の大学は、「大学間の協同によるコスト効率の良い優れた教材の開発と共同利用」「質の高い教育や学術情報の伝播と促進」などを図ることができる、と述べている。さらに「メタ・ユニバーシティー」は、大学などの既存の高等教育機関内だけではなく、現行の教育制度・システム外にいる人々も含めた「全ての教える者や学ぶ者」に教育的な恩恵をもたらすものでなければならない、と主張する。
 このような構想は、現在大学などが提供している「社会人教育」「生涯教育」よりも遙かに広い「枠組み」がベースとなっているが、具体的な取り組みとしては、どのような動きが見られるのだろうか。
 大学が支援するグローバルな学びのコミュニティーづくり
 70年台初頭に設立された英国のオープン・ユニバーシティーは、当初は放送による遠隔教育が中心だったが、現在では、インターネットによるオンライン教育が中心になりつつある。同校は、18万人もの学生を擁する国内最大の高等教育機関で、教育の質が高いことでも知られ、学生による満足度調査では、常に国内のトップランキングを占めている。
 オープン・ユニバーシティーは、MITによって立ち上げられたオープンコースウェア同様、オンライン上で講義教材を無料で公開しているが、これと並行し「OpenLearn」と呼ばれるプロジェクトを通して、世界中の誰もが自由に参加できる学習コミュニティースペース「LearningSpace」を提供している。この「LearningSpace」では、現在「芸術と歴史」「ビジネスと経営」「教育」「健康とライフスタイル」「ITとコンピュータ利用」「法律」「数学と統計」「現代言語」「科学と自然」「社会」「学習方法」「テクノロジー」という一二の学習コミュニティーフォーラムが設けられている。これらは、オープン・ユニバーシティーの各講義に設けられているディスカッションフォーラムとは別に用意され、各分野に関する学びや教えについて幅広い自由な質疑応答やディスカッションが繰り広げられる場となっている。
 特筆すべきは、これらの学習コミュニティーには、同校の正規の学生や卒業生、教職員だけではなく、学外からも多くの人々が加わっている、という点だ。「大学の壁」によって遮られ囲い込まれていた高等教育の「学びと教えのコミュニティー」が、このような形で広く開放されていくのは、実に素晴らしいことである。オープン・ユニバーシティーでは、オンライン教育を通して、開発途上国も含め世界100ヶ国以上から学生が就学しているが、この「グローバル・オープン・キャンパス」は、現行の教育制度・システムの内外にいる「全ての教える者や学ぶ者」を繋ぐためのネットワークを果敢に構築しようとしているのだ。
 「高等教育2.0」を生み出す知恵と力
 さらに、「高等教育」を目指した冒険的な試みとして、既存の高等教育制度・システムの外側で始められたものもある。まだ試行段階であり、正式な大学としての認証も受けていない「Peer-to-Peer University」や「University of The People」は、世界中の有志によってボランティア的に運営されるオンライン高等教育機関で、無料で講義やグループ学習に参加したり、試験やレポートなどによる学習評価を受けることができる。
 「そんな海のものとも山のものともつかない高等教育機関に、人々が行きたがる道理はない」という声があちこちから聞こえてきそうだ。76年に設立され、後にオンライン大学として生まれ変わったアメリカの営利大学「University of Phoenix」も、大学としての認証は受けていたものの、当初は同じようなことが言われており、「そんな無名のオンライン大学で取った学位など、何の役にも立たない」というのが、一般的な風評だった。しかし、同校で学位を取った学生が社会に出て活躍するようになると、数年のうちに同校に対する評価は上がり定着した。現在同校は、学部生と大学院生合わせて50万人近くを擁する、全米最大の大学になっている。
 「University of The People」は、成功を収めた実業家によって設立され、副学長を務めているのは、名門コロンビア大学の前理事であり、同じく名門であるエール大学の法学大学院と研究パートナーシップを結んでいる。またリーダーシップチームの中には、ニューヨーク大学のビジネススクールやペンシルベニア大学、カリフォルニア大学バークレー校など、名うての大学で教授職を勤めていた人たちもいる。彼らは、地域格差や経済格差によって、既存の「大学」を通じて高等教育を受ける機会を得られない人々のために、より開かれた新たな21世紀の高等教育システムを構築しよう、と努力している。
 「ある大学のある学部で、学位を取ったり、単位を取ったりすること」が、特に現在の日本の社会では、「シグナリング」としてしか認識されていない、という批判はよく耳にする。そしてそのような状況に、日本の大学も、教員も、学生も甘んじているように、私は思えてならない。世界には、既存の形骸的な権威や制度に拘らず、「真剣に学び、新たな知識や技能を身につけて、生き甲斐を持って社会に参加し続けたい」と強く望んでいる大勢の人々がいて、彼ら全員の期待に応えてあげたいと、考え行動している多くの組織や人々がいる。彼らは、ネットワークによって繋がり始め、集合的に知恵や力や教育資産を増幅しつつあるし、教育制度・システムについても、「必要があれば、変えていかなければならないし、変えていけるはずだ」と信じている。
 「高等教育」は、そんなグローバル・ネットワークの中から、着実に立ち上がりつつある。日本の高等教育は、何を目指して、何処へ行くのだろうか。