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アルカディア学報

No.384

OECD報告書を翻訳して 調査団が見た日本の高等教育

研究員 森 利枝((独)大学評価・学位授与機構 准教授)

 【客観された日本の高等教育を聴く】
 自分の声を録音したものを聴くというのは奇妙な感覚を伴う経験である。録音された声は、自分に聞こえる自分の声とはずいぶん違う。自分の声が他人にどのように聞こえているかを知ることは驚きであり、同時に興味深くもある。OECDが2009年3月に公表した日本の高等教育政策に関する調査報告書である『OECD Reviews of Tertiary Education:Japan』を翻訳しながら筆者が感じたのは、この「奇妙な感じ」に近い感覚であった。
 この報告書の内容についてはすでに今年6月17日・24日号の本欄で、熊本大学の大森不二雄教授による的確な点描を通して紹介されているとおり、OECDが2004年に開始した加盟諸国の高等教育政策に関する調査を行うプロジェクトの一環として、2006年5月に、イギリス、アメリカ(2名)、スウェーデン、ノルウェーから5人の高等教育の専門家が訪問調査を行った結果をまとめたものである。日本人ではない5人の専門家が訪問調査チームとして、日本の高等教育政策に関する短期集中型の文献・面談調査を行い、得られた情報を解釈してOECDに報告している内容は、日本人にとっては録音された自分の声を聴くような、ある種の違和感と、またある種の好奇心を刺戟されるものである。
 先述したとおり、この報告書の内容は大森教授によってその概要が本欄で紹介されている。そこでここでは重複を避けつつ、本報告書を翻訳し『日本の大学改革』として上梓した立場から、特に学生調査と認証評価の問題に焦点を当てて、この報告書で扱われている日本の高等教育改革について概観してみたい。
 【学生調査の問題】
 今回の報告書では、日本の高等教育の学生が、大学その他の高等教育機関でどのような経験をしているか、あるいは学生生活にどの程度満足しているかについて客観的なデータを示すべきであるという提言の文脈の中で、学生調査の必要を説いている。ここで提言されている学生調査は、学生の進路選択や雇用主による卒業生の採用に必要な情報を提供するために有用であるとされているもので、同時に文部科学省にこの種の学生調査を実現することも提言されている。ただし、訪問調査の時点ですでに我が国ではJCIRP(Japanese Cooperative Institutional Research Program)のプロジェクトとしての大学生調査が行われていた。当時JCIRPはまだ試行の段階で、参加校も8校に過ぎなかったが、訪問調査チームはこの試みを把握していて、「今後参加校を増やしながら発展してゆくことを期待する」と将来の機能の拡大に期待を寄せている。実際に同プロジェクトが翌2007年に行った大学生調査には16大学が参加しており、また2008年の新入生調査は163校の参加を得た。報告書は文部科学省に対して学生の実態に関する情報を獲得できる環境を整備することを提言しているが、それはあくまで環境の整備であって、かならずしも文部科学省が自ら調査を行うことや、あるいは調査事業を委託して遂行することを意味するのではないだろう。事実、JCIRPのプロジェクトは科学研究費補助金を得てはいるが、同志社大学の高等教育・学生研究センターが拠点となって先述のような発展を見ている。
 なお、報告書では日本の学生と教員の授業への関与の希薄さについて、JCIRPの大学生調査から、「教員から教育課程や授業に関する助言や指導を受けた」という経験がない学生が47%であるという結果を援用しつつ、日本の労働市場は高等教育機関の入学難易度で卒業生の雇用の可能性が決定され、教育への取り組みは軽視されがちであるというストーリーを立てている。
 ここで注意すべきは、この報告書が刊行されたのは2009年3月であるが収録されているほぼすべての章が2007年頃までに脱稿されているということである。つまり、この報告書はリーマン・ショックを経験していない。報告書では、高等教育修了者の就職について、偏差値の高い機関の卒業生ほど労働市場での訴求力が高いという従来の構造から脱しきれないであろうと指摘されている。突きつめて考えればこれは、どのような経済状況においても正鵠を射るクールな指摘であるといえるのだろう。しかし同じく報告書で紹介されているような、大学の職業指向の教育への大幅な転換を、大学はどの程度まで推進すべきか、そしてどの程度以上は推進すべきではないかという均衡の問題は、引きつづく氷河期の中にあって、大学の側も政策の側にも熟考が求められるところであろう。
 【認証評価の問題】
 認証評価制度の将来に関する報告書の指摘は冒頭に紹介した大森教授の記事で紹介されている。ここでは現在の問題について言及しておきたい。報告書では、認証評価制度について、「『改善をめざした質保証』という考え方を持ち込む上で重要な基盤となる」としてその意義を認めつつ、「高等教育機関はいったん認証評価を受けてしまうと(略)、その後も継続的に改善を続けようという気運は生まれてこない」と指摘している。これはかならずしも日本だけの現実ではない。100年以上の歴史を持つアメリカの適格認定制度においても、自己点検報告書は10年間倉庫で埃をかぶっていて改善に役立てられない、という種類の批判を耳にすることはままある。
 興味深いことに報告書は日本においてもこの状況が生まれていることを指摘しつつ、学内からの改善の動きが出ることにはかなり明確な懐疑を示している(同時に、将来学内に自己評価の環境が整えば質保証の主体は外部機関から高等教育機関そのものに転換すべきであるとも提言されているが)。評価のフォローアップの要も説かれているが、それは認証評価機関が自らの評価についてメタ評価の機能を持つべきであるという主張であって、個別機関が認証評価結果をどう活かすかということに関する言及はない。評価結果の活用はもちろん個別機関が独自に考慮すべきことだが、しかしそれにしても多くの社会的コストをかけて創出した認証評価制度の成果を活かす仕組みがないのは惜しい。そのうえ日本の認証評価制度は高等教育機関と評価機関が5年ないし7年に一度しか接触しないように設計されていて、評価該当年以外の期間には認証評価のことは忘れられがちである。報告書の言う「質保証の文化」を醸成できる可能性はさらに低くなってしまう。報告書が評価結果の活用について特に何も触れていないのは、中期目標・計画という制度が恒常的な自己評価を支えていると判断されたためかも知れないが、しかしそれでは日本高等教育の大半を占める私立高等教育機関をカバーできない。そもそもこの報告書は中期目標・計画が国公立大学に、ただ政府の意向に沿って見せる「順応の文化」を醸成することを危惧している。
 認証評価を意味あるものにするための具体的な提言を報告書が明示しなかった理由は分からないが、ここではひとつの可能性として、個別高等教育機関と認証評価機関の、対等で緊密な関係づくりを提案したい。それは、まず私立高等教育機関において可能なことかも知れない。
 なお、この報告書の大半は文部科学省が準備した『OECD高等教育政策レビュー:我が国の報告書』という包括的な報告書に基づいている。この『我が国の報告書』自体が日本の高等教育に関する一級の資料となっていることを付言しておきたい。