アルカディア学報
自律的な戦略経営で活力を OECDの高等教育政策レビュー(上)
【はじめに】
2009年3月、OECD(経済協力開発機構)によって、日本の高等教育政策のレビュー報告書が公表された。このレビューは、参加国の高等教育政策を分析し、勧告を行うことにより、政策の立案・実施を支援するプロジェクトであり、任意参加で日本を含む24カ国が参加した。このプロジェクトは、2004年に開始され、2006年3月にカントリー・バックグラウンド・レポートと呼ばれる報告書が日本からOECD事務局に提出された後、同年5月に訪日調査が行われた。この実地調査で日本を訪れた5名の専門家から成るレビュー・チーム(報告責任者はハワード・ニュービー英国リバプール大学長)が、実地調査及びカントリー・バックグラウンド・レポートのほか、様々な文献等も参考にしつつ、日本に関する報告書を取りまとめた。
この拙稿は、カントリー・ノートと呼ばれる報告書(本文100頁程。OECDのウェブに掲載)の内容のポイントを紹介しながら、その含意について論じるものである。
【構造改革路線を軌道修正中の日本に対し、改革の強化を提言】
報告書の構成は、日本の高等教育システムの特徴、近年の政策動向、行政制度、高等教育機関の管理運営、財源・予算、機会均等、労働市場との関連、研究・開発、国際化、質保証等をカバーし、国公私立の大学、短期大学、高等専門学校及び専門学校(専修学校専門課程)のすべてを対象とするレビューの体裁を取ってはいるが、2004年に実施された国立大学の法人化に特別な焦点が当てられている。
同報告書の主要なメッセージを一つだけ挙げるならば、国立大学法人化において謳われた大学の自律性の増大に一定の評価を与えつつ、更なる拡大・強化を求めている点である。大学の意思決定の裁量を拡大する法人化の方向性を評価しつつ、依然として強力かつ事細かな文部科学省のコントロールが維持されている内実に対して批判的な分析を行い、一層の改革を求めていることが特徴的である。
折しも、我が国では、小泉元首相に代表された構造改革路線は、地方の疲弊や雇用の破壊など格差社会を招いた一因とみなされるなど、旗色が良くない。「国民の生活が第一」を掲げる民主党その他の野党はもとより、「安心社会」を唱え出した政府・与党においても構造改革路線の軌道修正が公然と図られる状況となっている。文部科学省の高等教育政策の動向を見ても、大学間の競争よりも協働が強調されるようになり、教育の質保証の観点から、かつて規制緩和一辺倒だった高等教育機関の設置基準や設置認可については規制強化の方向が見えている。株式会社立大学に対する大学設置・学校法人審議会の厳しい審査結果は、構造改革路線への逆風を象徴する事例である。
【日本の高等教育関係者にとって注目すべき内容】
こうした背景もあってかどうかは分からないが、ウェブサイト等から判断する限り、文部科学省は、今回のOECD高等教育政策レビュー報告書について、積極的な広報は行っていないようである。OECDのレビューといえば、1970年に調査団が訪日し、翌71年に報告書「日本の教育政策」が公表された、教育政策レビュー(初等中等教育と高等教育の両方をカバー)が日本国内でも高い関心を集めたこととは隔世の感がある。
今回の報告書の内容は、日本の高等教育システムが進むべき道について熟考を迫るものであり、限られた高等教育研究者等に知られるのみの現状よりもはるかに大きな注目に値する。上述した同報告書の主要な提言に賛同できない者も含め、日本の大学改革が国際的にどのような立ち位置にあるのか、知っておく必要がある。
【市場主義的言説とは裏腹の伝統的管理の根強さを指摘】
日本の大学改革とりわけ国立大学の法人化の背景となった規制緩和、競争原理、自律性の拡大等の市場主義的な政策言説にもかかわらず、2004年の改革(法人化)後の国立大学について、同報告書は、「変化のレトリックに保守主義の現実が付き添ってきている」(20頁)と診断している。米国、英国、オランダ、北欧等の大学に比べ、日本の国立大学は、戦略的な経営が不十分で、その理由は二つあるとする。
一つは、依然として強固な法的制約すなわち文科省の監督権限が存在することであり、その例として、学部・学科等の設置・改組、学生定員の変更、授業料等が大学の裁量に委ねられていないことを挙げている。「ほとんど自律性がない状態から、限定された自律性への転換」というある学長の言に、報告書は同意している(34項)。
他の一つの理由は、大学が法的な裁量を有していても、めったに行使しようとしないことであり、その例として、公務員時代からあまり代わり映えしない教職員の雇用・給与等に関する保守性を挙げている。
戦略経営の不足の結果は、カリキュラム開発、教育方法のイノベーション、国際化等の重要領域における変化の欠如につながっている旨、手厳しく指摘している。
【大学の自律性を高める改革の実質化を勧告】
同報告書は、「我々は、2004年の改革のモメンタム(はずみ)が失われるべきでない、と勧告する」とし、「改革は、ダイナミックな政策プロセスの始まりとみなされるべきである」(23頁)とする。改革の継続・深化を求めているのである。それは、レトリックにとどまらない変化、すなわち、戦略的な大学経営を実現するため、政府(文科省)と大学の双方に対し、改革の実質化を提言するものである。
報告書の示す処方箋は、国立大学だけにとどまらない。例えば、すべての国公私立大学を対象とする認証評価制度を含む質保証システムについても、現在は大学外の力によって推進されているが、将来的には、大学自身が内部で評価(質保証)を行い、評価機関はそのチェック(メタ評価)を担う方向に転換すべきと勧告している。
(つづく)