アルカディア学報
教育費負担問題を考える 私立大学教育の経済的効果
大学進学率が上昇を続けている。文部科学省・学校基本調査(平成20年度)によれば、過年度卒業者等を含む大学・短期大学進学率は55.3%に達している。これらの大学進学率(もしくは志願率)の変動要因に関して、多くの研究者による分析が進められてきた。筆者もこのテーマに関心を持ち、大学進学に伴う経済的効果(大学教育投資収益率)と大学進学機会の大きさ(大学収容率:大学収容者数/3年前の中学卒業者数)がこれらの変動に影響を与えていることを明らかにしてきた。
1992年からの18歳人口の減少が、結果として大学進学機会の拡大につながっていることは周知の事実である。一方で個人による大学進学に伴う経済的効果はどのような状況にあるのか。また、それらは大学卒業者全体でみた場合にどのような規模となるのか、今回はこれらの点について、主として私立大学に注目しつつ報告する。
個人による大学進学の経済的効果に関してであるが、まず大学進学することのベネフィットとして、大卒者と高卒者の生涯所得の差分があげられる。すなわち、大卒者は大学進学することにより高卒者と比較してどの程度生涯所得が高くなるのかということである。一方で、大学進学にあたってはコストも当然発生する。具体的には、学生(もしくは親)が直接負担する授業料等が挙げられる。しかし、あまり意識されないかもしれないが、コストには間接的に負担されているものがある。それが放棄所得である。すなわち、大学進学は、その4年間に高卒で就職していたとしたら獲得できていた所得を放棄するということであり、このような形でコストが発生している。大学進学の経済的効果は、このコスト―ベネフィットの比較によって考えられなければならないというのが教育経済学の基本的な考え方である。
具体的には、これらのコスト―ベネフィットはどのような額となっているのであろうか(以下平成19年度の男子を事例にみていく)。ここでは直接コストとしては授業料のみを取り上げる。私立大学生の場合、平均的に4年間で334万円かかっていることになる。間接コストについては、平均的な高卒者が19―22歳の間に獲得する所得1112万円となっている。一方で、ベネフィットについては平均的な大卒者と高卒者の23―60歳にわたる年間所得の合計値の差分をもとめると6753万円となっている(参考:大卒者の生涯所得2億5734万円・高卒者の生涯所得2億93万円)。要すれば、1445万円のコストをかけて、6753万円のベネフィットを得ているということになる。この結果、私立大学教育の投資収益率は6.9%となり、かなり高い水準になっていることがわかる。
しかしながら、以上に紹介したベネフィットはデータの制約上、国立大学・公立大学卒業者も含めた大卒平均所得に基づくものであり、必ずしも私立大学に限ったものではない。そこで、年度は異なるが偏差値45―50の特定私立大学(正確には特定学部)の実際の産業別就職者数を用いてベネフィットに調整を加えた収益率を算出してみた。結果として、収益率は6.2%ととなり(平成15年度データによる)、若干減少するものの投資収益率としてはなお高い水準にあることが確認される。またこれに加えて、大学投資収益率は1990年代半ば以降上昇してきていることも筆者の分析から明らかになっている。
これまでは個人についての大学教育投資の経済的効果についてみてきたが、以下では私立大学卒業者全体としての(またこれに関して政府に帰属する)大学教育投資の経済的効果についてみていく。先にみたように、大学生一人当たりのベネフィットは6753万円であることから、仮に平成19年度私立大学卒業者全員(43万2341名)が同様のベネフィットを得られるものとごく単純に仮定すれば、23―60歳(20年度―57年度)の間に29兆1937億円のベネフィットを得ることになる。またこれに関連して、政府に帰属する所得税の増額分は2兆7253億円となる。一方で、私立大学生に関わるコストについては、卒業者全体としては、6兆2492億円となり、政府負担分についていえば、3380億円にすぎないのである。
以上から明らかに私立大学教育投資の経済的効果がかなり高い水準にあること(そしてそれが上昇してきている)ことがわかった。ここから単純に導き出される回答は、大学教育投資を促進すべきということになろう。しかし、上記に述べたことは平均的な私立大学卒業者に基づくものであり、現状の大学進学者数を追加的にもう一人増やしたときに、その学生の大学教育投資収益率はどうなっているのかという話とは異なる。すなわち、そのような学生の就職先の所得は必ずしも平均的な大卒者のそれほど高くない(例えば、就職先企業規模が小さい)ことが予想される。政策的には、これらの追加的な教育投資にあたっては前述の点への配慮が必要となる。
以上に加えて、東京大学・金子元久教授のプロジェクト(「高等教育グランドデザイン策定のための基礎的調査分析」)のデータを筆者が分析した結果によれば、高校3年11月時点で、就職が決定している840名(調査対象者4000名)のうち、実に370名(調査対象者の9.3%)が大卒の年収が高卒より1~2割以上高いことを認識しつつ、就職を決めた理由として「進学の費用が高い」ことを挙げている。
以上のことを踏まえて、ここで指摘されなければならないことは、平均的に少なからず経済的効果が期待される状況の中で(そしてそれを認識しつつも)、経済的に大学進学が困難となっている学生が少なからず存在していることである。これに対する政策的対応としては、奨学金の拡充などがありうるが、近年の日本学生支援機構における第二種奨学金の多様化・総額の拡大といった対応にも限界があるとはいえないだろうか。奨学金は基本的には直接費用への援助であり、また高卒後の所得を放棄できない人々への対応が可能な貸与水準とはなっていない(第二種の限度額(月10万円)の貸与を受けた場合でもその7割は授業料に消える。またその場合単純に言えば卒業時に480万円+利子分の借金を背負うことになる)。
直接費用分とともに放棄所得分の軽減に努め、かつ将来の学生の経済的負担を抑えるような手段が第一種奨学金額の増額や授業料免除の拡大以外にどのような形で有りうるのかについて、筆者に具体的な良案があるわけではない。しかしながら、進学率が50%を超えたユニバーサル段階において、直接費用とそれをこえた学生援助の課題が厳然と存在していることについてここで触れておきたい。同時に、またこのことは、昭和女子大学・矢野眞和教授を中心に執筆された『次世代が育つ教育システムの構築』で指摘されているように、知識基盤社会・格差社会・少子化社会などの多様な社会の課題・問題と関係しているのである。