アルカディア学報
教育支援のための人材育成-その課題と緊急性- -1-
【有用な人材は、一日にして育たず】
ここ数年、FDや大学におけるICT(情報コミュニケーション技術)活用の促進について、日本の大学やカンファレンスに招かれて話をする機会が増えている。私がいつも繰り返して強調するのは、これら教育支援を実践する専門スタッフの人材育成が、日本の高等教育界にとって急務であるということだ。
先月、京都大学高等教育研究開発推進センターの主催で行われた国際シンポジウム「日本のFDの未来―Building the Core of Faculty Development―」においても、私はこれを「日本の高等教育政策の最重要課題」として取り組んで欲しい、という趣旨の提言をした。シンポジウムの冒頭で、真摯で力強い祝辞を述べた文科省大学振興課長の義本博司氏との意見交換の機会もあり、文科省としてもこの問題を重視しているという実感を得られたのは幸いだった。
日本の各大学が教育支援体制の整備を進めようとする際、飛び越えなければならないハードルは少なくない。教育支援のための予算をどのように確保するかという問題、教育改善を奨励するための大学の制度的・文化的改革など、課題は山積している。その中でも特に時間を要するのが「教育支援活動をリードする人材を育てること」、さらには「そのような人材を育てるためのシステムを作り上げること」だ。早い話、もし十分な予算が確保され、制度的・文化的な準備が整っても、教育支援を適切に行える能力を備えた専門スタッフがいなければ、何事も始まらないのだ。
例えば、インストラクショナル・デザイン(ID)という学問分野からは、大学や企業で教育支援に携わる専門家が多く輩出され、アメリカでは年間に少なくとも数百人規模で、修士・博士レベルの専門家が養成されている。これに対し、日本では同分野の大学院課程を有しているのは、熊本大学だけであり、今後急速に高まるであろうIDの専門スタッフの需要に対応していけるとは思えない。明治初期に、政府が欧米から新しい技術や知識を学ぶために雇った「お抱え外国人」のように、欧米からIDの専門スタッフを大量に「輸入」できればいいのかもしれないが、言葉の障壁などの問題もあり、現実的には口で言うほど簡単なものではない。
【今、日本の大学が為すべきこと】
もし、このような人材育成が遅々として進まず、このまま日本の大学が十分な教育支援体制を整備できないでいると、一体何が起こるのか。まず最も深刻なのは、教員への「教育支援業務」に関わる負荷の増大であろう。「大学全入化」や「ゆとり教育の弊害」によって、大学生の学力低下が大きな問題となる最中、各大学は、これまで以上に「学生に効果的に学んでもらう」ための努力が必要となってきている。しかし、このような努力を各学部や教員個々人に一方的に押しつけるのは、学生に効果的な勉強のやり方についての助言や手助けを行うことなく、「どうしていつまでも成績が上がらないのか」とただ叱咤し、やみくもに自助努力を促し続けるのに等しい。
その結果、教員は疲弊し、教育や研究活動に必要な知力、体力そして鋭気を維持することが難しくなり、ひいては日本の高等教育界全体の質と生産性の低下を招くことは避けられなくなる。今後、経営難に陥る大学が増えてくると、事務職員のポストの削減や統合がさらに進むことは確実であり、これもまた教員の日常的な負担を増すことになる。いずれにしても、教員と一般事務職員に加え、大学院レベルの教育を受けた教育支援を行う専門職員の養成が、各大学を教育機関として活性化し、今後日本の高等教育を持続的に進展させていくために不可欠なのだ。
では、各大学は何をすればいいのか。まず、大学のアドミニストレーターは、自分の大学の教育現場で教員や学生が教え学ぶ中で、「何に困っていて、どんな助けを求めているのか」ということを調査し、十全な教育支援を行うためには、どのような部署や専門職員が必要なのかを見極めなければならない。
このプロセスにおいては、教職員や学生の積極的な関与や協力が必要であり、そのような「情報提供」を促すための報償や奨励の工夫が求められる。キャンパスにおいて、教職員が互いに意見やアイデアを交換する場や機会をつくることも大事であろうし、大学同士が実践的なノウハウや人的・経済的・物理的資源の共有を行うためのネットワークづくりも肝要だ。さらに、このような大学間のネットワークを通じ、「ボトムアップ」の形で、高等教育行政への要請や付託を行うことで「現場のニーズに対応した教育支援のための専門職員養成に関する教育政策づくり」に貢献することができる。
【教育支援体制の持続に不可欠なエコ・システム】
最後に、このような教育支援のための専門職員を養成するのと同時に、専門スタッフが誇りを持って仕事に継続的に専念でき、専門技能・知識の向上をはかり、プロフェッショナルとして十分な報償や表彰を受けられるような「エコ・システム」を構築する重要性を指摘しておきたい。例えば、アメリカには、EDUCAUSE(www.educause.edu)という、「テクノロジーによる教育支援を行う専門職員やアドミニストレーターのための組織」があり、大学のCIO(日本の大学における「学術情報担当理事」に相当)やIT担当副学長、テクノロジーを利用した教育支援の専門スタッフ(修士号や博士号を有している人も多い)などが所属している。年次総会には、アメリカ国内からだけでも毎年八〇〇〇人前後の参加があり、様々なレベルで実践に関する知識や経験の共有や情報交換が行われる。さらに、専門技能や知識の向上のための研修セミナーや、模範的な実践に対する表彰、求人・就職などに関する情報交換も行われている。また、ECAR(EDUCAUSE Center for Applied Research)という研究機関も附置されており、アメリカの高等教育におけるテクノロジーの教育利用の実態や課題などについて質の高い調査・研究を行い、レポートや白書などの形で、加盟大学にその成果を還元している。
このような「エコ・システム」が、多くの大学の自主的な参加と貢献によって作られて初めて、教育支援の専門スタッフのキャリア・パスの存立や大学間の人材の活発な移動が可能になり、この職業分野の持続性が確立される。大学教育支援のための有用な人材が育ち、また存えることのできる環境づくりに向けた、国を挙げた包括的な取り組みを待望したい。