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アルカディア学報

No.350

 英国高等教育の将来像 大学長協会が示す3つのシナリオ

村田 直樹(日本学術振興会理事)

 英国大学長協会(UUK)は、2026年度までの人口構成の変化と高等教育政策が高等教育制度に及ぼす影響について調査研究を行い、本年10月までに一連の報告書を取りまとめた。今回の調査研究のねらいは、06年度に年額3000ポンドを上限とする上乗せ授業料制度が導入されて初めての卒業生が出る09年以降、更なる授業料制度の検討が本格化することに備えて、今後の高等教育需要を予測し、政策提言を行うことにある。
 今回は、本年7月に公表された「英国高等教育セクターの将来規模と構造:恐れと機会」と題した報告書を紹介したい。

 【英国の大学生の属性】
 英国の大学においては、学部学生の大半は英国籍であり、フルタイム学生は18―20歳の年齢層が七割を占めるのに対し、パートタイム学生の多くは25―50歳の年齢層で構成される。これに対して、大学院の場合には、フルタイム学生総数に占める外国人学生の比率が5割程度(EU籍を除くと約3割強から4割)であり、パートタイム学生の場合は英国籍学生が大半を占め年齢構成は学部と同様である。
 なお、英国の大学に対する公財政支出は英国及びEU籍のフルタイム学部学生を中核に据えて行われているのに対して、EU籍以外の外国人学生については公的支援はなく、学部、大学院を通じて英国籍学生の数倍の授業料を徴収しており、多くの大学で貴重な外部資金源となっている。

 【20年後の人口推計と推計値をめぐる問題】
 現在、英国の公式人口推計は06年のものが最新であるが、これによると09年度から19年度まで英国の18―20歳人口は減少し、その後、26年度まで微増することが見込まれている。この推計値をもとに全英のフルタイム学部学生を推計すると05年度の実数が約120万人に対し、19年度には113万人で、5.9%の減少となり、その後、26年度には、121万人に回復する。ただし、この推計については、移民の流入規模の推計が変動しやすいこと、高等教育進学率に差異がある家計の所得別の構成が反映されていないこと等の問題があるとされる。
 特に前者については、04年の公式人口推計では流入移民の規模が小さく見積もられており、06年推計と比べて26年度のフルタイム学部学生総数が約8万人(6.5%)も減少する。日本の現状では考えられない移民の影響である。なお、若者人口の減少があっても進学率が上昇すれば、大学生数は増加し得るが、例えばイングランドの主たる大学入学資格となっているAレベル試験で二科目以上合格している高校生の比率は過去7年間33%台で推移しており、現行制度下ではこの点はあまり期待できない。

 【高等教育の将来像:三つのシナリオ】
 報告書は人口推計等を踏まえた英国の高等教育の将来像について三つのシナリオを提示している。なお、シナリオ作成に際しては、いくつかの前提が設定されているが、ここでは紙面の都合上割愛する。
 第一のシナリオは、「変化への緩やかな対応」である。このシナリオの特徴は次のとおりである。学生需要は人口動態に即して変動し、政府の支援も学生数に応じて減少する一方で政府の教育の質及び授業料に係る規制は現状維持される。各大学は学生確保のための競争を激化させるが、一部の市場においては大学間の連携が促進される。情報通信技術を活用したプログラムの提供(eラーニング)はあまり進展しない。機関の統廃合によって高等教育セクターの再編が起きる。このシナリオのもとでは、各大学は新たなプログラムの開発を通じた市場の開拓、パートタイムや大学院レベルの教育需要の増加、マーケティング面での機関連携による留学生の増加といったチャンスを生かすことができる。他方で、経営不振に陥る、学生数確保のために入学資格要件を低くして質の低下を招く、英国の高等教育制度の名声が低下する、公的支援にもかかわらず需要の少ない重要学部を閉鎖する等の課題に直面するかもしれない。
 第二のシナリオは、「市場主導の競争的」な内容である。非伝統的な高等教育機関が市場に参入し、安価なプログラムの提供により一部でシェアを拡大する。このような新規参入機関を含めて英国人、外国人双方の学生市場をめぐる競争が増大する。特に大規模機関が民間セクターと共同して、情報通信基盤への投資を拡大し、より柔軟な形態での学習支援を求める学生に対応する。競争の激化を通じて、少数の多機能大規模大学と特定専門分野やニッチに特化した多数の小規模機関に高等教育機関の再編が進む。このシナリオのもとでは、ニッチ市場における強固な基盤が形成される、良質の教育プログラムをより安価に提供する方法が見いだされる、産官の雇用主が財政支援する大学院プログラムの需要が増大する等のメリットを享受できるかもしれない。他方で、民営高等教育機関の参入により英国高等教育制度の名声が傷つく、公的支援を受ける高等教育機関について不安定な経営状態が継続したり、学生や企業等の需要に適切に対応できず定員割れをおこす、ごく少数の大学が民営化を志向する等の結果を生じるかもしれない。
 第三のシナリオは、「雇用主主導の柔軟な教育」を特徴とする。このシナリオは、高等教育への公財政支出の縮小と公財政支出に係る規制の増大を基調とし、公私双方の投資によるeラーニングの発展や雇用主主導の学位以外の短期高等教育資格プログラムの拡大に特徴づけられる。単位化された教育プログラムをネット上で学習するパートタイムの勤労学生が増大し、財政支援は国と雇用主の組合せによるものが主流となり、フルタイムとパートタイムという履修形態による財政面での差別は解消される。公的支援の減少にかかわらず、フルタイムの学部教育は高等教育制度の重要な特徴として存続する。高等教育機関の階層化が拡大する。このシナリオのもとでは、雇用主と高等教育機関との連携が進展する、継続教育機関等との連携により自らを地域の高等教育機関と位置づける大学や営利企業との連携によりeラーニング分野の中核となる大学が現れる、単位互換累積制度の活用と情報通信技術の発達により高等教育を享受する階層が高齢者を含めて拡大する等の状況が出現する可能性がある。他方で、民営高等教育機関が新手の職業プログラムを提供する、財政破綻した高等教育機関を営利企業が買収する、高等教育セクターの階層化が過度に進展して若者の高等教育機会が減少する等の問題に直面するかもしれない。
 報告書は、人口構成の変化によって、現在各大学にとって重要な収入源となっているフルタイム学部学生と外国人学生の確保が将来の課題となること、仮にパートタイム学生の需要が拡大しても現在の財政制度からはフルタイム学生ほどには安定的な収入が見込めないこと等を指摘している。その上で、協会を構成する大学が、個々にあるいは集団として、機関と学生双方に対する支援の在り方の検討、新規参入高等教育機関がもたらす影響評価、新しい市場の開拓、留学生市場の開拓、情報通信技術活用戦略の検討、リスク回避のための機関間の戦略的連携等の課題に取り組むよう促している。