アルカディア学報
転換する学士課程教育の質 学生のニーズや学習行動の把握を
高等教育にとって20世紀後半が量的な拡大の時代であったとすれば、21世紀前半は質、とくに学士課程の質の転換の時代になると私は考える。しかも国内だけでなく、国際的にも熾烈な質をめぐる競争が始まろうとしている。大学はそれにどう対応するべきか。
●質の時代へ
大学にとって教育の質が重要なのは当たり前だと言われるかもしれない。しかし、今起こっているのは、大学教育の質がこれまでと異なる形で、より根源的に問われ始めているという点である。
第一はどう教えるかだけでなく、それが結果として学生にどのような効果を与えているかが問題だということだ。熱心な、親切な教育であれば良いのではない。現在の学生は学力だけでなく、学習意欲、将来への展望など様々な点で、多様化している。そうした学生に、大学教育は実質的にどのような意味でインパクトを与えることができているのか。それが正面から問われ始めているのである。
第二に大学教育が、学生の将来に対してどのような意味を持つかが問われる。大学で教えられる学術的な知識を直接に使う学生はむしろ少数にすぎない。そうした学生に関しては大学教育は、社会や自然に対する考え方や、広い知識を与えることに意味があるとされていた。
しかし実際にそうした効果を意図的にデザインしていたわけではない。そうした意味で大学教育のレリバンス(適切性)が問われるのである。
第三に、質がどのようにコントロールされているかが問題になる。これまで教育の質については、カリキュラム、施設、組織などについて大学が管理し、さらにそれを適格認定制度(アクレディテーション)で保証する、という形式をとっていた。それは基本的にはインプットの管理にすぎない。大学教育が学生にどのようなインパクトを与えているかを把握するとともに、それを大学教育にフィードバックしていくことが不可欠となる。
それは高等教育システム全体についてもいえるし、個々の大学の課題でもある。そうした意味での評価と統制のメカニズムが必要となる。
こうした事情は日本だけのものではなく、国際的にも共通のものだ。それは国内における質を巡る競争を作ってきた。しかしそれだけではない。グローバル化を背景として、高い質を誇る大学が国際的なマーケットで学生を獲得しようとする動きも顕著になっている。そうした意味で、これまで高い選抜性に安住してきた大学にとっても、質の向上はきわめて切実な問題になろうとしている。
●トータルな質
これまでも大学教育の改善に日本の大学は様々な努力をしてきたことは言うまでもない。とくに大学教育を改善するための、さまざまな「小道具」が実際に用い始められていることが重要である。
たとえば授業評価では権威的な日本の大学の授業のあり方に一つのショックを与え、また一人ひとりの教員に対して、授業のあり方を反省するうえで重要な根拠となったことも事実である。また初年次教育が、高校から大学生活への転換を容易にするという意味で大きな効果があることはいうまでもない。あるいはGPAによる成績の厳格化は、あまり勉強しないと言われてきた日本の学生に対して、学習のインセンティブを与える。
こうした小道具は、大学教育に学生の視点を与え、権威的な教育をより親切なものにし、学習の管理を強化する、といった点で大学教育を変化させていることは事実である。しかし前述の観点からみれば、一定のスキルを獲得することが要求されるような場合には効果があるだろうが、こうした小道具は、それだけでは大きな限界をもっていることも明らかになってきているのではないだろうか。
たとえば授業評価は、それだけでは個別の授業をよりよくする具体的な方法に結びつくものでは必ずしもない。また授業評価からは、どのような学生がどのような反応をしているかを知ることができない。何よりもそれは、教育課程全体として、どのような効果をあげているかを知る手段ではない。また初年次教育は大学生活に慣れることに意味があるかもしれないが、問題は四年間を通じた学習であることは言うまでもない。
また成績管理が、学生が自律的に学習する、という現代の大学教育の質を規定するきわめて重要な面で効果があるかといえば疑問がある。実際、われわれが行った大学生の学習行動についての調査(2007年全国大学生調査。サンプル数約5万人。詳細は大学経営センター http://daikei.p.u-tokyo.ac.jp)の結果をみると、管理的な教育方法は、学生の自主的な学習時間をむしろ短くさせる傾向をもっている。
個々の小道具による局所的な対策ではなく、4年間を通じた、個々の授業の総体としての、しかも正規の授業だけでなく、学習環境を含めた、いわばトータルな大学教育の質が問われなければならないのである。
●経営課題としての質
このような観点からみればまず重要なのは、大学の教育が学生にどのような影響を与え、また学生が何を望み、またどのような学習行動をとっているかを、体系的、かつ恒常的に把握することである。
しかもそうした情報が、学内での教育改善にフィードバックしていくことが必要になる。それが、個々の授業の改善に活かされるだけでなく、大学の教育課程全体を通じたデザインにつながっていくことが求められる。
こうした作業は、大学自身が何を教育の目的とし、そのために具体的に何をするのか、を問うことにつながる。大学の個性化とは具体的にはそうした過程によって形成されるのではないか。そしてそれを社会に示し、学生の獲得につなげていくことが求められる。
こうしてみれば、質の改善は大学がその組織をあげて取り組まねばならない課題であることが改めて認識される。そうした意味で、これからの大学経営の最も重要な課題は、学士課程の質的転換であるといえよう。