アルカディア学報
深まらない“学士課程”の理念
官民一体で取組みを
大学教育の質に対する議論が高まっている。これは、米国でも欧州でも同様で、世界的な潮流といえよう。この問題の根源は、高等教育の大衆化に起因する。経済が発展し、国民所得が向上すると家計の学費負担能力が高まり、高等教育への進学率が上昇する。大学の定員と進学希望者の需給バランスが変化し「売り手市場」から「買い手市場」になれば、この率はさらに高まる。
大学への進学者が増加すればするほど、総体的に大学生の学力的な質は低下する。「エリート型」(大学進学率が15%以下)から「マス型」(同15%~50%)へ、さらに「ユニバーサル型」(同50%以上)へと変化する過程で避けて通れない課題である。特にわが国のように急激に18才人口のマーケットが縮小し、一方で大学数が増加している状況では、その傾向は顕著である。
日本私立学校振興・共済事業団の調べによれば、今年度の私立大学における定員割れは、約半数の266大学、47.1%に上っている。学生獲得競争は激化の一途をたどり、選抜という意味での入試が成立しない大学が増えている。このことは、基礎学力が十分でなく、また大学への進学動機が曖昧な学生集団をも受け入れざるを得ない状況を生む。学費収入への依存度が高い私立大学にとっては、やむをえない選択だ。
このため大学側は、基礎学力を補完するための初年次教育や早い段階でのキャリア教育などに力を入れているが大きな成果が出ているとは言いがたい。その要因は、いずれもスポットの教育として取り組まれており、一般教育や専門教育を含めた大学全体の教育プログラムの一環として構築されていないためだ。
〈求められる大学側の理解〉
中教審で審議されてきた「学士課程教育の構築」は、中間まとめを一部修正して、間もなく本答申されるという。この答申の柱は、まさに大学教育の学習成果、ラーニング・アウトカムにある。ところが、「審議のまとめ」が出てから、もう半年以上もたつというのに大学関係者の間で、この問題に対する理解が深まっていない点が気にかかる。10月下旬、大阪で開かれた日本私立大学協会の総会でもこの問題が取り上げられ、多くの意見が交わされた。
「一般教育をもっと重視すべきである」という意見の一方、「専門教育に特化すべき」との意見もあった。これに対し、専門委員として携わった濱名 篤関西国際大学長が「委員会では一度も、一般教育と専門教育とを区別して論じたことはない。それらを含めた(学位につながる)学士課程教育全体のプログラムを構築することによって、学習成果の達成を目指すものである」と明快に答えていた。
「まとめ」の中で、この点について「学士課程教育という言葉や概念が、大学関係者はもとより一般に広く理解されることを期待したい」と述べているが、残念ながらまだ十分とは思えない。大学側が、本質を理解して取り組むことは当然であるが、答申を受けた文科省も政策として提示する以上は、きめの細かい説明会を開催して大学関係者に意義と目的を周知する手段をとることを望みたい。かつて、自己点検・評価が本来の理念、意義、目的から乖離し、機能しなかったのは、「大学側の責任で...」といって突き放した文科省の姿勢も一因のように思えるからである。
〈統一テストの危険性〉
大学教育の学習成果、ラーニング・アウトカムに関しては、米国の大学の取組みが参考になる。発端は、教育省のバーバラ・スペリングス長官が06年9月に発表した、いわゆる「スペリングス・レポート」である。(詳細は、5月14日付当欄の森 利枝研究員のレポートを参照されたい)これより先、ブッシュ政権は初等教育における「落ちこぼれ防止対策」を打ち出した。その内容は、12年間の初中教育のうち5年生、8年生、12年生の3回にわたって統一テストを実施し、学習成果を評価するとともに学校ごとのスコアを一般に公開するというものである。当然、学校間格差が明らかになる。ねらいは、教育の改善にマーケットのプレッシャーを役立てようとすることに他ならない。
スペリングス・レポートは、同じアイデアを高等教育機関にも適用しようというものであった。アクレディテーションを実施する評価機関に対し、ラーニング・アウトカムに関する基準を設け、成果を測る統一テストを行って数値で示すように要求した。さらに「数値を満たさないものには、アクレディテーションを与えない」という過激な内容が含まれていた。
この提案は、評価機関だけでなく大学からも受け入れられなかった。「同じような内容を教える初等・中等教育では可能であっても、学問自体が細分化・複雑化している大学では、到底受け入れられない」というものである。サンフランシスコにある西部地区基準協会(WASC)のリチャード・ウィン博士は、スペリングス・レポートについて「異なったミッションを持つ大学を、一つのテストで評価することは不可能。例えば、卒業率を見た場合スタンフォードは96%と高いが、カリフォルニア州立大学ドミンゴ校の場合は40%と低い。マイノリティの多いドミンゴ校の学生の多くは低所得者の家庭で、60%は家族の中で初めて大学に進学している。しかし、14年もかけて卒業したケースや、未婚の母、50マイルを毎日通学した学生などがいる。レポートに従えば96%と40%という比較だけになってしまう。これは正当な評価とはいえない」という。
また、「仮に統一テストを取り入れた場合、合格率を上げるために成績の悪い学生を受験させないような手段を取る大学が現れるかもしれない。あるいは、テストのための教育が重視されて、高等教育の本質が失われる可能性もある」と指摘する。ただ、教育のアウトカムについては「かつては、教員は自分の専門分野に関して教えればよかった。今では、学生たちがどこまで理解しているかが問われている。財務状況が健全で、教員の質も整っていれば、それで十分ではないかという意見がある。しかし、それは大学のインプットであって、アウトカムではない。専門分野のアウトカム評価は、専門分野別評価機関が行うので、WASCは大学に対して一般教育のアウトカムに関するレビューと証拠書類を提出するよう要求している」と語っている。
〈基本はシラバス〉
このような状況を受けて、大学側も真剣な取組みを始めている。リベラルアーツ系のサンタクララ大学では、ベテラン教員のアカデミック・コンサルタントが講義のプランニングから教授法の改善指導まで行っている。特に、学生の授業評価が低い教員の場合には、直接教室まで出向いて参観し、授業後学生から不満を聞いて、改善のためのプログラムを作成している。
また、サンフランシスコ大学ではアウトカムの基本にシラバスを位置づけている。毎年夏休み中に専攻ごとのワークショップを開催、そこで専門教育、一般教育を含めた新年度のプログラム方針を確認した上で、各人がシラバスを作成する。「シラバスは、学生との契約である」ということを前提に、科目の目的、具体的なアウトカムの内容、試験の方法などを記載するという。
魅力ある講義を展開し高いアウトカムを実現し、合わせて学生の満足度を高めようという米国の大学の取組みに学ぶ点は多い。