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アルカディア学報

No.340

規制改革と高等教育(その3) -質保証システムの転換-

私学高等教育研究所主幹 瀧澤 博三(帝京科学大学顧問)

 これまでこの欄で2回に亘り(アルカディア学報324、333)規制改革政策の背景と、特に社会的分野における政策決定プロセスの問題点について述べてきた。
 今回は、社会的分野の一つである高等教育に対して規制改革政策の遺していったものが何であったかについて概略をまとめてみたい。規制改革政策は教育分野でも極めて広範に及ぶが、高等教育の分野で進められた規制改革の大きな問題としては、①質保証システムの変革、②株式会社の大学参入、③学校法人の変質、の三つを挙げてよかろう。紙面の制限もあり、ここではまず質保証システムの問題を取り上げたい。
 設置認可の準則主義化
 わが国の高等教育行政の大筋は、国立に対する設置者行政と私学に対する設置認可行政および助成政策、この三つによって担われてきたと言っても過言ではない。私学の比率の高いわが国では、質保証システムとしての設置認可制度は高等教育政策の中で極めて大きくかつ広範な役割を果たしてきた。
 これに対し、規制改革政策は設置認可は市場機能を阻害する「参入規制」であるとして、その機能の極小化に務めてきたが、現状は未だ不十分だとして、設置等を全面的に届出制にすることを求めており、これを設置審査の「準則主義化」と呼んでいる。これは株式会社の設立に関して使われている言葉であり、私人の経済活動は「自由と自己責任」が当然の原則であるから、設立に関して行政庁の裁量は入らない。学校の設置を準則主義化するということは、学校の経営を経済活動と同視することでもある。
 設置認可制度が果たしてきた役割は、基本的には大学設置基準など法令上の基準の維持を図ることであるが、具体的に言えば主要な柱として次の四つを挙げてよいと思う。
 ①教員の資格審査、②カリキュラムの審査、③資産をはじめ経営の安定性の審査、④設置の必要性の審査、の四つである。
 このうち②のカリキュラムの審査は設置基準の大綱化によってカリキュラムの自由化が進んで以来、設置審査を通じてのカリキュラムの規制は殆どなくなっている。また、④の必要性の審査については、法制度の変動もあり、行政の裁量権の範囲についての解釈は必ずしも一定ではなかった。70年代後半からは高等教育の規模、配置の計画性が求められるようになり、数次にわたり高等教育計画が策定されるようになったが、この間、社会的ニーズに即した規模・配置の調整の面で、設置認可制度はかなりの役割を果たしてきたといえよう。
 規制改革の時代になると、「国の計画よりは市場の選択」という思想から、高等教育計画の時代は終わりを告げ、設置認可からも「必要性の審査」は原則として消滅した。
 残るのは②の教員の審査と④の資産の審査であるが、これらも規制改革が進んだ結果、質保証の機能は大幅に弱まりつつある。現在は学部の設置であっても授与する学位の種類や分野の変更がないものは届出でよいことになり、最近では組織の新増設や改組などの多くが認可を経ないで行われている。
 こうして高等教育市場では無計画な新規参入によって、競争による質の向上よりは、むしろ過当競争による弊害を憂える声が満ちている。
 事前規制から事後チェックへ
 規制改革政策の思想では、このように行政による裁量的な参入規制は極力なくし市場原理が適切に機能するようにすれば、サービスの質は向上する筈であるが、しかし公共性の高い社会的な分野では、消費者保護のため、事前規制に代えて第三者評価などの監視システムやセーフティー・ネットの整備など事後の規制・チェックが必要だとしている。そこで生まれたのが認証評価制度である。
 ところが、準則化の進んだ設置認可と認証評価によるこの新しい質保証システムは二つの理由から、システムは機能不全の混乱状態である。
 一つは、設置認可の果たしてきた役割は、上記の四つの柱を見れば自明なように、事前だから意味があるのであり、事後チェックにはなじまない。特に教員組織が完成してから教員審査をする無駄と無意味さは説明の要がない。当然ながら認証評価制度は設置認可の機能を代替するわけにはいかない。
 理由の第二は、甚だしい準備不足である。新しい質保証システムの構築という大事業を進めるに当たって、高等教育の質の維持を担う制度としての充分な審議は行われず、市場主義的な規制改革の理論に先導されて、多くの基本的な問題が未整理のままに性急に結論されてきたことである。
 その結果として、認証評価制度は既に第1回目の7年の周期が既に終わりに近くなった現在もなお、設置認可との役割分担をどうするか、複数ある評価機関の相互関係、特色はどうあるべきか、分野別評価をどうするか、安定した評価体制をどのようにして構築するか、など多くの基本的な問題を抱えたままである。
 設置認可制度については、その後平成17年の中教審答申においてもその質保証機能を再認識しようとする動きが出てきたことは当然のことだろう。認証評価のあり方を考える上において大前提になるのが設置認可制度であり、その早急な再検討が求められる。
 質保証の主役は大学自身
 総合規制改革委員会の第一次答申では「厳しい事前審査を行う一方で、事後的な監視点検が機能していない状況」があるとし、継続的な第三者評価などの「監視体制」を整備すべきだとしている。設置後は質の保証システムが空白になっていると見て、これを埋めるのが第三者評価だとしているわけだが、これは大学の本質への理解を欠く。
 学校法人の制度は、私学の本質である自主性・自律性と公共性とを両立させるべく工夫されたものであり、質の保証はまずは大学自身の責務でなければならない。それが不十分であれば、自主的な質の保証を支援する装置を考えることが先決課題であり、それが認証評価であろう。認証評価自体を質保証の主体と考えることは、自己点検評価を貶め、認証評価のあり方を歪める。
 そもそも、ボランタリーな評価組織によって全高等教育機関の質を継続的に保証するという考えは空想的だし、無理な役割を担って機能不全に陥る恐れがある。認証評価は、自己点検・評価活動を支援し、その誠実性と適切性を社会に保証することを基本と考えたい。
 認証評価は公的な質保証装置である設置認可の事後的な代替ではない。公的な事後チェックとしては、私学法による段階的是正措置がある。これは行政の仕事だ。行政による公的な評価には客観性が求められ、定量的評価が主にならざるを得ない。しかし、設置基準には定性的な基準が多いように、大学では定性的な評価が大事である。ボランタリーなピアーによる評価というシステムが意味を持つのは、まさにこうした領域であり、校舎面積やら教員の数やらを扱うのはあまり相応しくない。被評価者とのコミュニケーションを重視しつつ、あえて主観性を避けずに助言的な評価を行うところに大きな意味があろう。
 質保証システムの建て直しのために、設置認可制度の見直しと認証評価との役割分担の明確化が望まれる。